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明るいうつ病

うつ病は治らない

医者から言われた「うつ病は心の風邪」っていうのは絶対嘘だと思ってます。風邪なら「あ!よくなった」というのが身体をもって理解できますが、うつ病はそういう実感がないからです。

”寛解”なる、何となく症状がマシになったよ的な言葉が精神病業界ではあるようでして、まるで不治の病にかかってしまった人間がギリギリの線で留まってます感がこの病気の一番難しさを示しています。

そんな僕もどうやらうつ病のピーク自体は越したような気がします。12月下旬~1月上旬のnoteさえ書かない開かない時期が一番危なかったです。

このnoteを書いてる直前がマジできつかったです。

noteで書いてある通り、死んだように寝てはノソノソと昼頃に起き上がって飯を食って、また寝るを繰り返す。時々そんな自分に存在価値なんてあるんだろうかと自身に問いかけるものの、そんなことに答えなんか導き出せるはずもありません。

すがる思いで医者に吐露すると「心が休めと言ってるんだ」みたいな回答。”新海誠の新作映画かよ"と突っ込みそうになる時点で、もはやこの医者に求めても仕方がないぞと思ったあとの絶望感。

あの見捨てられた気持ちは如何ともしがたかったです。



うつ病は延々と同じことを考え続ける

多分僕が欲しかったのは、生きる意味に対しての答えでした。

自分は何で生きなきゃいけないの?という誰に聞いてもアヤフヤな回答しか用意できない質問に、マジで考えてしまう危うさがうつ病を悪化させるんだと思います。

僕の場合、
「仕事が上手くいかない」→「仕事を辞めたいが、辞めたら生きるために必要なお金が稼げない」→「そもそも何で生きてるんだ」→「死んじゃえばいいじゃん」
という、典型的なテンプレ鬱展開でした。笑っちゃいますよね。でも罹ってる最中はこの輪廻から抜け出せずに苦しめられました。自分で考えても答えは出せないし、色んな人に話を聞いても誰も教えてくれない。

最後の方は「人生の根源みたいな問題を考えずに、他の人たちはよく生きてられるな。世の中狂ってるわ」とまで頭がキてました。自殺する勇気はないから、誰か殺してくれないかなーみたいなことも思ったものです。

殺人犯なんかが時々「生きる希望もなくて、死刑にしてほしかった」なる発言をする人がいます。この境地にたってしまうのも、多分僕と同じくグルグルと終わらぬ疑問に解が得られなかった結果なような気がします(犯罪を認めるつもりは一切ないですよ)

ここらへんにも書いた通り、生きる理由なんぞ誰もが持ってるわけじゃなくて、時にはそのよりどころを宗教に求めちゃうこともあるんでしょう。

神様信じるって行為はどうにも僕には合わなくてそっちに向かいはしませんでしたが、時に生きる希望にもなるのかもしれません。


答えなんてないし、考えなくてよいと言えばよい

さて、今若干マシになってきた病状のうえでもう一度あえて考えてみましょう。

「何で生きてるんだろう」

この問いに至った今の答えとして

「生きる理由なんぞないし、考えなくていい。良いから、考えるな。考えずにnoteでも書くなりランニングでもしとけ(笑)」

ということです。いや、僕自身もまだ完全に理解したつもりではなくて、ぼんやりたどり着いた場所って言ったほうがいいかも。

ただ、自分が少なくとも真剣に取り組んできた中で上手くいかなかったことに対し、今生死を賭けるほどの価値があるのかと考え出すと、まー、どうでもいっかあんな会社みたいな気持ちになるんです。

自分の世界が会社だけ、学校だけになるから辛くなるわけで。その世界からドロップアウトすると僕は生きる資格なんかございませんみたいな思い込みこそがよろしくないんだろうなと痛感するんです。

いいじゃないか、僕はベストを尽くしたんだ。それでも上手くいかなかったのは会社が悪いからだ、社会が悪いからだ!(笑)

まるで中二病です。いっそ中二と言われるぐらいアホになってみようじゃないかという気持ちです。

そりゃ将来のことをチクチク思考を巡らすといやーな感じにもなりますが、まあまあよく見てみるとこの日本は社会として成熟しててなんとかなりそうな雰囲気があるんです。

お金?大丈夫、貯金は少ないけど家族がいるわけじゃないから最悪バイトでもすりゃ生きていけるだろうし、今は休職してるのに勤務扱いでお金が貰えるという謎ステータス(傷病手当でもない)。数か月はこれでダベッていける。そして傷病手当、失業保険とかもらえれば生きられないほどのレベルには達しないはず!

だったら存分に甘えてやる!と。

ここら辺はうちの叔父が言っていた「図太く生きればいい」という言葉に支えられているところがあります。図太くとはつまり、あんまり何かを考えずに生きりゃいいと捉えてます。


僕は別に悪くないと言ってやりたい

「生きる=辛いことばっか」という数式が成り立っている人生だと、正直僕は生き続ける自信がありません。

一方でいい年こいたオッサンが毎日くっちゃーねーくっちゃーねーの生活が出来る、そして誰も責めない(白い目では見られるかもだけど)今の状況って、まあまあ恵まれてます。

いいじゃん、明るいうつ病で。

時にはやっぱり頭の片隅に「お前は何で生きてるんだ?」と問いかけてくるときはあるんだけれども、そん時はそん時で布団にくるまって嵐が過ぎ去るのを待ちます。

将来のことは考えません。いつか考えなきゃいけなくなる時は来ます。そん時に考えます。甘えているとも感じる状況ですが、そんなことで自分が命を絶つのは何だかおかしいなって思うような気がするんです。

僕は別に悪くないと思っている(思えている)今の状況であれば、まあ何とかなるんじゃねって勝手に都合よく考えてます。


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