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FURIOSA マッドマックス:フュリオサ 荒野の歴史が生まれるとき。

マッドマックスフュリオサ、観てきた。微妙にネタバレあり。

フュリオサは、前作マッドマックス怒りのデスロード(FURY ROAD)も三回くらい観たので、ワクワクして観にいきました。

昔のマッドマックスの過去作品もいちおう見てます。ゾンビ、核戦争後の荒野、SF、経緯は関係なく終末世界、アポカリプスが好きなんですよね。

結論、フュリオサの復讐、というテーマとは直接関わらない部分が一番インパクトがありました!

前半1/3くらいは主人公のフュリオサが幼少期のためあまり活躍する場面がないんですが、その間に行われる二人の悪役の攻防が異様に面白い。

というか、アニメやドラマとかのありきたりな物語、とくに主人公のヒーローの活躍する話は数多くあるんですが、悪役同士のガチでどっちが勝つのかわからない戦いってこんなにハラハラするんだなと思いましたね。

な、何というか、アクション映画の面白さではなく、歴史の面白さだったんですよ。

それも日本史の戦国時代を今リアルタイムで見れているようなカタルシスですね。

歴史の授業で習う内容って、今の世界に繋がってたりある程度それまで見聞きしたりする内容だったりで、面白さは先生のストーリーテリング次第ではあると思うんです。

ただ、この映画の前半はどっちが勝ってもおかしくないような核戦争後の荒野の戦国時代をリアルで追っていくような流れなので、見てるこっちまで不安になるくらいハラハラします。

そしてこのハラハラが、かなり不快なハラハラドキドキなのも大事だと思うわけです。

特に今回新しく登場する悪役ディメンタスがあり得ないくらいアホで、ムカつくを通り越して笑けてきます。混沌を100%味方に付け下克上を体現した運とノリと勢いの男みたいな人間なんですよ。

映画のレビューとかで、「登場人物~の行動が意味がわからなすぎて共感できなかった!」みたいなことを書く人がいるんですが、マッドマックスのような終末世界とか、明らかに現在の地球と異なる世界を描くのなら、登場人物の思考や行動が理解できなくて当たり前だし、その理解できなさや感じるモヤモヤこそが正しい映画体験なんじゃないかって思うわけでやす。

神々のたそがれ、というロシアのストルガツキー兄弟原作のSF映画があります。そこではある惑星の二足歩行生物(裏設定では植民した人類の末裔?)の、汚ならしくて意味不明な行動をとり続ける異星人の生活や争いが描かれるんですが、そこで我々視聴者は作品名に「神々のたそがれ」とあるように、訳のわからない行動様式をとり発展の予兆もない地上の異星人達を眺めて憂鬱な気持ちになる神々の心情を追体験できるという構造がありました。そんな登場人物に感じる不快感も映画を観る上で重要な心の動きですよね。


神々のたそがれ、というロシアのストルガツキー兄弟原作のSF映画があります。そこではある惑星の二足歩行生物(裏設定では植民した人類の末裔?)の、汚ならしくて意味不明な行動をとり続ける異星人の生活や争いが描かれるんですが、そこで我々視聴者は作品名に「神々のたそがれ」とあるように、訳のわからない行動様式をとり発展の予兆もない地上の異星人達を眺めて憂鬱な気持ちになる神々の心情を追体験できるという構造がありました。そんな登場人物に感じる不快感も映画を観る上で重要な心の動きですよね。


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そんな、視聴者にマシマシの不快感を与えてくれるディメンタスに対するは、前作でカルトの王国を作り上げたイモータンジョーです。そんな鬼畜外道の筈のイモータンジョーも頼れる智将に見えてくるくらい、今回のヴィラン、ディメンタスはハゲタコなんですよね。

そんな二人の戦いは、ワンピースでいえばまさに白ひげVS黒ひげみたいな対照がありましたね。もちろんジョーとディメンタスには師弟関係的な繋がりはないんですが、白ひげもイモータンジョーも年老いて不健康な印象で特異な家族観で統一された組織を率いている(イモータンジョーが下級戦士のウォーボーイズ達に家族愛を向けているかといえばnoだし、単に戦争の駒を洗脳しているだけなのだろうが、ジョーが女を囲ったり息子を近くに置いて生々しくグロテスクな形で子孫を残すことに固執するのは白ひげの反像にあるとも言える)。さらに、逆にディメンタスは何も考えず突っ込んでいき何だかんだうまく行ってしまう様が悪の主人公黒ひげにぴったりな男だなという感じです。

今作、この二人の対立は、混沌の中に気持ちの悪い秩序を打ち立てた男イモータンジョーと、混沌の中心で更なる混沌の渦を意味もなく巻き起こしていくカオスの象徴ディメンタス、そんな対照的な二人の将軍の戦いであったと言えるのではないでしょうか。

また、ディメンタスが時に「解放」とか「自由」とかアナーキズム的な演説をして、イモータンジョーの領土の貧民達に一瞬支持されるとこも印象的でした。

ただ、そのあとディメンタスはせっかく奪った領土を自分の間抜けさと部下の離脱によって失うので、序盤の演説も革命の皮を被った(←秀逸な表現)空っぽの言葉の寄せ集めだったことがわかるわけです。

これは革命というものを皮肉ったものかもしれないですね。圧政に喘ぐ民には、解放者は頼れる存在に見えるが、そんな解放者もノリと勢いで下克上できそうだからイキってるだけで、実際人の上に立つ資格も能力もないディメンタスみたいなド阿呆かもしれないし、実際歴史を通してそうだった、のかもしれません。

圧倒的な兵力と洗脳による統率で帝国を築いたイモータンジョーに戦いを挑む人間味に溢れる挑戦者ディメンタスは、愛すべき存在なのかもしれませんね。

いろいろ喋ってきましたが、こんな二人の小競り合いが、スリリングで一番見所があったと思います。

よく考えれば先の見えない展開といっても、前作に繋がる話なので、結末はある程度見えるんですが、主人公フュリオサにもそんなのあったっけ?みたいな設定が振られていたりしたので、途中までパラレルな設定なのかなと思っていたぐらい、全く先が予想できない面白さがありました。

逆にいえば、前作を知らずに観に行く人たちのほうがこのマッドマックスの世界!無法者達の戦国時代のカオス!をより体感できるのではないでしょうか!

俳優陣については、あまり詳しくないので語りませんが、ディメンタス役はアベンジャーズのマイティ・ソーの俳優がつとめていたり、アニャテイラージョイが絶賛されていたり(ちょっとフュリオサにしては小柄だが、ここぞという場面で眼光の鋭さが光る!)、イモータンジョーが前作と全く同じように見えて俳優が変わっていたり、するみたいですね。

アクションでいえば、前作みたいな派手な爆音ガチャガチャスチームパンク山車みたいなビークルは登場しなかったんですが、一番見所のアクションシーンの空中戦!?がマジで痺れました。空中戦を仕掛けてくる軍勢、ディメンタスの元配下の豪族の黒ずくめのスタイルもクールだし素顔がかなり渋い。

いろいろいってきましたが、私はどれだけ「普通の物語」「ありがちなストーリー」「単調な英雄譚」を崩せるかで、映画やマンガを評価してしまう人間なので、今回のマッドマックスフュリオサは個人的に、DCのザスーサイドスクワッド(ピースメーカーが出てくるやつ)ばりにスリリングで、ハンズアップしながら見ちゃうみたいなアツさを感じました。

いい忘れてたけど、フュリオサの出会うことにる最も信頼のできる人間との絆、そしてうっすら存在がほのめかされるマックスの存在も忘れちゃいけませんね!

 今作ではマッドマックスシリーズの主役であるマックスは一瞬しか出てこない。ヒーロー不在の英雄譚であったからこそ、フュリオサが経験し、彼女もその主要人物の一人として名を残すことになる、誰も知らない未来の荒野の歴史、粗野でちっぽけな戦国に、我々は立ち会うのである。

デスロードもう一回観よう。


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