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人はみんな若いまま死ぬ。


二十歳のときは、
三十歳の感覚なんてわからなかった。

三十歳のときは、
四十歳の感覚なんてわからなかった。

四十歳を過ぎた今、
五十歳や六十歳や七十歳の感覚を
少し想像できるようになった。

何歳になっても、
きっと「人生まだまだこれから」と
思って生きているんだろうなって。



二十代前半のころ、
四十代以降の感覚なんて想像もつかなくて
こんな乱暴なことを思っていた。

四十代以降って、
もう若さも体力も相当失われていて、
先(可能性)がほぼ見えていて、
“人生の消化試合モード”に
入っているんじゃないだろうか・・。



でも、実際にその歳になってみると、
ぜんぜん違うのがわかる。

今も、二十代のころと
感覚はほぼ変わっていないのだ。
極端に言えば、高校生のころと
そんなに大差ない気さえする。

あっ、決して、自分が成長していない
という意味ではない。
実際、成長していないかもしれないけれど。


今から何にでもなれるし、
どんな人生にすることだってできる。

今の自分はたぶん、
そういう顔つきをしている。
なんなら、ずっと
その顔つきでいたいなあって思う。
髪が真っ白になっても、
顔がヨボヨボになっても。


日本は世界有数の
お年寄りの国になったけれど、
もし日本中のお年寄りが、
衰えた肉体を若い肉体に取り替えることが
できたとしたらどうなるだろうか。

今の若者たちに混ざっても
違和感なく溶け込めるお年寄りが
結構多くいるはず。
体が思い通りに動くぶん、
すんなり順応できるんじゃないだろうか。

中身が八十歳のお婆さんが
ミニスカで渋谷を歩く。
中身が七十歳のお爺さんが
ブレイクダンスでパフォーマンスする。

外見が若いというだけで、
きっと違和感なんてなくなるのだ。

「年相応」なんて言葉に振り回されずに、
みんなもっと自由に生きていいと思う。
自分を包む肉体の経過年数に、
自分を合わせる必要なんてないのだし。

読んでもらえるだけで幸せ。スキしてくれたらもっと幸せ。