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アーティゾン美術館「空間と作品」
アーティゾン美術館の「空間と作品」展を見にいく。素晴らしかった。是非もう一度行きたい。かつてブリジストン美術館だった頃から通い詰めていたこの場所。アーティゾン美術館に変わり、魅力的な場末感がなくなったとはいえ、それでも都内屈指のセンスの良さ。系統としてはパリのロダン美術館やピカソ美術館といったところ。時間がたゆるりと流れる感じ。
珍しく、何枚か写真も撮ってみた。
ピカソの「腕を組んで座るサルタ
『純粋理性批判』覚書きpart2
引き続き『純粋理性批判』の覚書き。前回の覚書きで書いた、まずはこの部分がスタート地点。
人間の認識には「感性」と「知性(悟性)」の二つの幹がある。まず、対象が人間の心を触発し、対象の像を直感的に受けとる。この受けとる能力を感性と呼ぶ。その後、知性によって対象が思考され、概念が作られる。
その上で、感性一般の規則を感性論と呼び、知性一般の規則を論理学と呼ぶ。論理学の中でも一般論理学に含まれる純粋
『純粋理性批判』覚書きpart1
カントの『純粋理性批判』を読み始める。光文社古典新訳文庫から出ている中山元訳版で。全7巻。現在2巻を読んでいる途中。
いつかは対峙しなければいけないと思っていた本だったが、なぜかこのタイミングで。読んでみて思うこと。結局フッサールも、ハイデガーも、この本に実際に当たらない限りは理解できるはずもなかった、ということ。すでにカントの中に、後の現象学の種がしっかりと埋め込まれている、という印象を受けた
「考える」と「悩む」
慶應義塾大学SFC教授の安宅和人氏の主著、『イシューからはじめよ』の冒頭に、「考える」と「悩む」の違いが述べられている。「考える」とは、解決策があるという前提のもとに建設的に考えていくこと、一方「悩む」とは、答えを見つける気もなく考えるふりをすること。スタンフォード大学で出合ったマインドフルネス、その要諦は、放っておくとマインドワンダリング(mind wandering)になってしまう、つまり常に
もっとみる土曜の朝の音楽と愛と幻想のファシズム
何かの雑誌の特別号だったと思うが、『土曜の朝と日曜の夜の音楽』という一冊は本当にセンスが良くて、ここで紹介された音楽をYouTube musicでよく聴いている。キース・ジャレットやらグレン・グールドやら、ジョニ・ミッチェルからブライアン・イーノまで、酒に合う音楽のオンパレード。5年くらい前に当時住んでいたの四谷見附のそばのコンビニで買った一冊。おすすめです。
ということで、ミック・ジャガーのソ
『愛と幻想のファシズム』
村上龍の『愛と幻想のファシズム』を読んでいる。村上龍には一時期ハマったことがあり、その世界観に慣れているせいか、例えば島田雅彦の『パントサーカス』と比べると、その物語の圧倒的な強度を感じる。よくもまあ、ここまで大胆なことを書けたものだと、その極端にまで突進するエネルギーに驚嘆する。弱者に対する同情を一切禁止するという、まさにニーチェが唱えてた文脈、そしてそれはナチスにまで及ぶのだが、それを20世紀
もっとみる阿保みたいに働いて:Kind of blue
阿保みたいに働いている。仕事との距離をもう少し取らなければならない、という危険水域にいる中で、島田雅彦の『パンとサーカス』と松岡正剛の『日本文化の核心』を読み終える。そして、予告通りに村上龍の『愛と幻想のファシズム』を読みはじめる。これまた、面白くなりそうな気配がする。
多くの学生の文章を読んでいると、これは内田樹がどこかで書いていたことだが、そして堀江貴文もホリエチャンネルで言っていたが、人は
apple vision proを体験した
apple storeでapple vision proを体験した。いますぐ60万円を払って買おうとは思わないけれど、色々な可能性を感じさせてくれる商品で、面白かった。
装着感はmeta questと同じような感じ。ただ、apple vision proの方が若干軽い気はする。細かい部分の作り込みはさすがapple。meta questのようにコントローラーを握る必要がなく、視線と指の動きだけで
開いてつながって共感する、が至上の価値の世界というのが何とも息苦しい。
ボルヘスの『語るボルヘス 書物・不死性・時間ほか』読了。
ミラン・クンデラ『小説の技法』
ミラン・クンデラの『小説の技法』読了。岩波文庫版をKindleで。学生時代に読んだのは初版だったので、今回は訳が少し違う。久々に読み返し、やはり学ぶべきところが非常に多い。小説は小説のみが語りうることを語る。つまり複雑な世界を複雑なままに把持するということ、単純な正解に簡単に飛びつかないということ、ドン・キホーテが冒険の旅に出た時に世界は多様な解釈に開かれた大いなる疑問符に変容したということ。