旅で改めて感じた未知を既知に変える経験の大切さ
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こんにちは、旅人先生Xです。
今日は「知らないことを知ること」について書いていきたいと思います。
良かったら、のんびり目を通していってみてください!
目次は、以下の通りです。
知らないことは、良くも悪くも想像が膨らむ
知らないことというのは、良くも悪くも想像が膨らむなと思います。
知らないから、怖い・恐ろしい。
分からないから、ワクワク・ドキドキする。
ありもしないことを考えて、良いなと思ったり、悪いことばかりが頭をよぎったりするわけです。
ある意味でこれは、知らない・分からないが故の自然な反応なのではないかと思います。
知らない・分からないということが引き起こすプラスとマイナスの影響がある。
そう考えると勉強をしたり、旅に出たり、読書をするということは、未知を既知に変えることができるため、価値があると考えられるのではないでしょうか。
知らないことを知る経験を繰り返す
知らないことを知る経験を繰り返していくと、
「いかに自分が知らないか」
ということを身を持って知ることになっていきます。
分かることで分からないことが増えるというのは不思議な話ですが、これはよくあることだと思います。
一方で、ちょっと知ることで、
「抱いていたイメージが修正される」
ということもあると思います。
私は今回、中央アジアを旅するまでは、正直ちょっと怖いイメージを持っていました。
ですが、行ってみるとそんなことはなく、そこにはそこの人の営みがあり、文化や習慣、温かさや冷たさのようなものがありました。
これらは、日本でも感じることがある同様のものでした。
イメージだけで勝手に「怖いところなのかな」と思っていましたが、それは私の勝手な想像で、何かに引っ張られて悪い方に膨らみ過ぎていたのかもしれません。
今回の旅で改めて、そんな風に感じました。
一部を分かったつもりでも自覚があればいいんじゃないか?
旅の話などをしていると時折、「それって、一部のことじゃないの?」という指摘をもらうことがあります。
私は「確かにその通りだな」と思います。
それと同時に、「全部をわかることはできないからなぁ」とも思います。
大切なのは、「一部から考えたという認識」ではないかなと考えています。
自ら経験することで、
「それが全てではないけれど、そういう側面も確かにある」
ということを身をもって知ることができます。
これは実際にやってみないと分からないことです。
怖い国かなと思っていたけれど、実際に行ってみたら、親切な人は確かにいて、自分とさほど変わらない感覚や通じ合える部分があった。
こうした実感を伴った理解を繰り返すことで、一部からでも十分に世界を広げたり、認識を変えたりしていける可能性があると思うのです。
だからこそ、未知を既知に変えることは面白いし、他者と共に考えたり、話したりすることは楽しいんじゃないかと私は思います。
今回書いたことは、旅に出なくても考えられることではありますが、私の場合、旅に出ることで改めて感じることができました。
まだまだ夏も始まったばかりです。
皆さんもお時間がある時に、未知を既知に変える経験を繰り返すことについて、考えたり、改めて試したりしてみてはいかがでしょうか。
今回は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございます😊
ではまた、次の記事でお会いしましょう。
みなさま、皆様、良い一日をお過ごしください。