私の経歴(適当極まる自己紹介)
遅ればせながら自己紹介です。多少の脚色はありますが大筋こんな感じ。
※以前アップしたものの取り下げた記事の修正再録です
私の経歴
出生
出生時はデベソを心配され、祖母がヘソの上から10円玉を貼ってくれた。10分後、回診に来た医師が余計なことをするな、と取ってしまった。彼は10円を着服した。
幼少期
喋るのが遅かったらしい。デブだったが歩き出すと細くなった。
小学校
知ったかぶり、いちびり、運動音痴と三拍子揃ったクソガキ。タイムマシンがあれば当時に戻って張っ倒してみたい。
中学校
勉強はできたほう。相変わらずのクソガキっぷりに加え中二病に罹患。タイムマシンがあればジャーマンスープレックスをかけたい。
高校
地元では進学校(もとい、井の中の蛙)に進学。
1年にして物理、化学、生物が分からず理系を断念。
小さい頃からの夢だったマッドサイエンティストへの道も閉ざされ、開き直って文学部志望に切り替え。
しかし漢字の小テストは1人だけ何度も再テスト。国語教師から「君1人のためにテスト作るのだりぃんだけど」と言われる。
部活に入ったもののすぐ辞めた。ちゃんと挨拶せず辞めたので廊下で部活の人とすれ違うとき気まずかった。というか睨まれた。
大学
文学部に進学。友達もおらずバイトもそこそこなので単位を落とすことはなかった。だいたいの時間を図書館の書庫で過ごす。
周りがインターンとか言ってるのをせせら笑っていたが、バチが当たり卒業後プーへ。
プー→象工場勤務
数ヶ月プーをして、金がなくなったのでバイトを探す。象工場の仕事を見つけ潜り込む。
象工場は激務で、だいたいの人が数ヶ月で辞めるか象に踏まれて死んだり、死なないまでも不自由な身体になってしまう。
しかし私は象が好きだ。自分の股間についているゾウさんのこともよく愛撫する。必死に働いて社員となった。
2年以上勤めた私は工場長代理にまでなった。しかし後進が育つ環境ではないこと、自分だけの努力ではそんな環境をつくるのは無理だという諦観が膨れ上がる。体重が減り、股間の象さんも立ち上がることができなくなっていた。
給与、残業、使えない有給、人間関係。あらゆることが不満の種になった。ある日、事務所で使う消しゴムの発注数を10個間違えたことを叱責された。始末書を書いて、ついでに退職届も書いた。
また無職→ツチノコ研究者へ
また無職になり、1ヶ月ほど療養と称して遊んだ。
象工場勤務で50キロを割っていた体重を戻して、再び股間の象さんと遊べるようになった。嬉しくって、とある繁華街で働くお姉さんにも象さんを見せに行った。
それから再び就職活動。象工場でのスキルが役立つところがなく苦労した。
しかしうんうんと頑張っていて、ツチノコ研究所に入ることができた。2022年現在、鋭意研究中。唯一の悩みとして、まだ研究対象の実物を見たことがない、ということがある。
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