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このフレーズが「主体性」のない日本人を造り上げているかもしれない?

(写真は満開のしだれ梅:2021年3月撮影)

  • 指示待ち

  • 優柔不断

  • 向上心ない

  • 八方美人

  • 受け身

  • 意思決定できない

  • 気にしすぎ

  • メンタル弱い  などなど

「主体性」がない状態を表現する言葉は、それほど困難なく思い浮かびます。

「主体性」の欠如を、私たちは日頃から見聞きしているからではないでしょうか。

裏返せば「主体性」が求められていると言っても良いかもしれません。

主体性とは?

私はこの言葉を英語に訳さなければならない時に「主体性」がどのようなニュアンスで用いられているかによって訳語を変えます

英語は関係ないと言えば関係ないのですが、英語で考えると「主体性」が日本の文脈でこそ求められている性質や態度であることを理解しやすいと思いますので言及しておきます。

文部科学省の学習指導要領にアクティブラーニングの説明として「主体的・対話的で深い学び」というものがあります。

文部科学省では英語訳の学指導要領も発表していますが、そこではこのように英訳しています。

Proactive(主体的), interactive(対話的), and deep learning(深い学び)」

Proactiveというと「率先して、積極的に」といったニュアンスのある言葉です。

文科省が求めているのは、教師が一方的に児童・生徒に教えを授けるという受け身的なものではなく、「率先して、積極的に」自分から興味をもって学ぶことであるのが伝わります。

「主体性」を和英辞書をひいてみると、この「Proactive」という言葉は出てきません。

主体性
autonomy; independence; identity

Weblio

集団主義的な文化背景の中で用いられる「主体性」という言葉だから、このような英単語が意味としてあげられているのでしょう。

「自治(autonomy)」「独立(independence)」「独自(identity)」といった言葉が訳語としてあがってきます。

日本語の辞書では「主体性」どのように説明しているか見てみましょう。

主体性(しゅたいせい)
自分の意志・判断で行動しようとする態度。

goo辞書

そうそう、と思う説明ですよね。「行動しようとする」という部分に文科省が意味している「率先して,積極的に」というニュアンスを見ることができます。

なぜ「主体性」?

「主体性」が改めて求められるのはなぜでしょう。

辞書の意味にあった「自分の意思・判断で行動しようとするのではない態度について考えてみます。

他人の意思・判断で行動しようとする」という事になります。

「他人」のところに何を入れるかによって、問題ないと考える人もいるかもしれません。

「親」の意思・判断で行動しようとする
「上司」の意思・判断で行動しようとする
「先輩」の意思・判断で行動しようとする
「恋人」の意思・判断で行動しようとする
「会社」の意思・判断で行動しようとする
「世間」の意思・判断で行動しようとする
「著名人」の意思・判断で行動しようとする

あなたはどのように思うでしょうか?

経産省が3年ほど前に「人生100年時代の社会人基礎力」として3つの能力と12の能力要素を掲げました。

12の能力要素の一つが「主体性」です。

ここでは「主体性」が「変化に前向きに対処する力」として説明されています。

時代が大きく変化し、以前にも増して「人材力強化」が求められていることに対応した政策なのです。

少々意地悪な見方をすると「自分の意思・判断で行動しようとする」人材が我が国には欠けているということになるでしょうか。

このフレーズをやめませんか?

表題の「このフレーズ」について、「主体性を発揮して」書きたいと思います。

子ども達に対して大人が注意する時に使うフレーズです。

「言うことを聞く」

「言うことを聞きなさい!」
「言うことを聞かない子だ!」
「なんで言うことを聞かないの!」などよく耳にしませんか?

親や先生、大人が子どもに向かって言ったり、子どもについて使うのを頻繁に耳にします。

「言うことを聞く」とは、「言っている人の言葉に従う」という意味です。

そして、なぜ従わなければならないかについては、言っているのがその人(親、先生、年上)だからと言う理由しか提供しないフレーズです。

結果的に「言っている人の意思・判断で行動しようとする態度」を醸造してしまっているのではないでしょうか?

このように考えることは、あまりにも論理の飛躍、曲解でしょうか。

子どもが成長する段階で「主体性」を養わない。

自分で考えさせ、自分の意見を持ち、自分で判断する力を養わないで、ただ「言うことを聞く」人をつくってしまっているのではないでしょうか。

「主体性」のある社会人を求めるのであれば、モラトリアム期間にある未成年の時代に、「自分の意思・判断で行動」する経験をするべきと考えます。

なぜ従うべきかを説明しないで、「言うことを聞きなさい!」と繰り返すことをやめるだけでも「主体性」は今よりも育つと思うのです。


最後までお付き合い下さりありがとうございます。





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