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私の幸せは私がえらぶ


5月2日。5月らしく爽やかであたたかい、よく晴れた青空の下でアイスカフェラテを飲みながらこれを書いている。

私、5月、好きだな。”初夏” という言葉がよく似合う。7月や8月といった真夏のように汗だくな暑さはなく、でも半袖の服を着られて、晴れの日が多い。いつもなら自転車で行くような距離の場所でも、思わず自分の足で歩いて向かいたくなる。

今いるお店は昨秋、自転車のパンクを直してもらいに行ったときに修理が完了するまで散歩していたらたまたま見つけた。コーヒーよりもカフェラテの方が安い、稀有なお店だ(褒めてる)。地下はスタジオで、1階にこのカフェと雑貨、2階に本のセレクトショップがあって、3階はギャラリー。その頃はまだオープンしたてだったこのお店も、今日はたくさん人が入っていて時間の流れを感じる。

今日はパスポートの写真を撮りにきていて、その写真が出来上がるまでの間の暇つぶしだ。後ろでは女子2人が恋バナをしていて、最初の方は頑張って励ましていた方も、「でもー」が続くうちに面倒になってきて、アドバイスめいたことをしている。自分が相談されているわけでもしているわけでもない客観的な恋バナって、なんか滑稽に映るな、とぼんやり思いながら聞こえてくる話に耳を傾けている。





マットレスを買うのだ、と彼が私に意見を求めてきた。

Amazonのリンクを送ってもらって一緒に考えた。三つ折りのやつか、一枚のやつか。1.5万の方か、3万の方か、などと一緒に迷っていると、

「三つ折りなら東京引っ越してからでもお客さん用として使えるでしょ?翠はベッド一緒がいいって言うし」

と言って、形は三つ折りのものになった。最終的に彼が高い方のものに決めた!と言ったときも、その決め手は「翠の家族がもし東京来たりしたら、良いベッドで寝てほしいからさ」「それに、多分こっちの方が“運動”もしやすいしね」だった。

彼が留学を選ぶか、院を選ぶか、院の中でも関西を選ぶか東京を選ぶかはまだ決まっていないけれど、彼の未来にちゃんと私がいることが嬉しい。



恋愛相談に乗る女友達とか、SNSの投稿とか、恋愛コラムとか、世の中には “恋愛とはこうあるべきだ” を雄弁に語るものが多い。こういう人は離すな!とか、こういう人とは別れるべき!とか、直接的に書いてあるわけではないのに幸せそうな惚気とか写真とかを見ただけで、自分の恋愛が間違っているように感じて落ち込んだり嫌になったりしたこともあった。


だけど、もう彼からの愛を疑う必要はない気がするし、私ももう迷わずに彼を愛していていいのだろうと思う。


唇を離した瞬間にやさしく笑う顔。「なんで笑ってるのー?」と聞いたときに「翠とキスできたからかなぁ」と言って照れ隠しにもう一度唇を重ねてきた彼。新しい服を着てきた私を見て「かわいいね」と言って、フランス人風に両頬にキスを落とした彼。半袖にタンクトップで会いに行ってすっかり寒くなった夜に「女の子は冷やしちゃ身体に良くないよ」と着ていたアウターをバス停まで送る道中に貸してくれたこと。そのあと信号待ちのときの彼が寒そうで外であることも構わずに後ろから抱きしめたときに、いつもなら「外だよ」と離そうとするところを離さずにされるがままになっていた彼。エスカレーターや2人きりのエレベーター、別れ際の駅前で外であることも構わずに肩を抱き寄せて唇を塞いできた彼。研究室の新歓終わりに女子がいる席だったわけでもないのに「飲み会帰りは連絡ほしいんじゃなかったっけ」と電話してきたこと(私は安否確認に「おやすみ」か「ただいま」のLINEさえもらえたら良かった)。

そんな風にだんだんと甘く、優しくなってゆく様子は数ヶ月前の感情が今はもう残っていないことを物語っている。


つくづく、

愛の大きさは測れないのだし、
滲み出るものは嘘じゃない

と思う。



相談して「別れなよ!」と無責任に言ったことのある人には「余計なお世話だ」と言ってやりたい。


私の幸せは私が決める。

数ヶ月前、別れそうだと死にかけになっていた頃の私はもういない。何度あの頃に戻っても死にかけになるのだろうけれど、乗り越えた今となっては当時の自分には「どうせ大丈夫だから信じな」と言って背中をさすってあげたい。


別れたくないと思っている、それがすべてだよ。





スマホを置いて本を読みはじめて数ページ経った頃「(私のあだ名)ー?」と私を呼ぶ声が聞こえてきて顔を上げると幼馴染が立っていた。

「おお〜なんでここおんの?どこ行くん?」からはじまって二言三言交わしたのち、彼女は「雰囲気変わったね。似合ってる。」「じゃ、また連絡するわ〜」と去っていった。

黒いタンクトップにショート丈の白のメッシュシャツを羽織り、グリーンのパンツを合わせ、デニムのコンバースを履いて、外ハネヘアにしていた。キレイめであればカジュアル寄りも、かわいい寄りのものも、大人っぽい感じのものも着る私は、どんな髪型にし、何を着るかによって印象がかなり変わるらしい。この日は自分の中では割と珍しい色っぽさを意識したコーデだったから、彼女には新鮮に映ったのだろう。


私の幸せは私が決める。
私の好きは私が決める。

それは恋愛だけに限ったことではない。


歌うのが好き・得意だと思っていたけれど、
自分は歌に詳しいと思っていたけれど、
自分よりもっと“上”がいる、と気づいて「好き」「得意」と言うのをやめたことがある。

だけど、誰が誰より好きとか得意とか、比べる必要なんてないし、ましてや「自分が好きとか得意とか、言う資格がない」なんて思うものじゃない。

自分が好きだと思うなら好き、得意だと思うなら得意でいい。恋愛において愛の大きさを測れないのと同じで、何かに対する好きのレベルや本気度なんて、測れるものじゃない。



いつもと違うテイストの服を選んだり、
新しい服を着たり、
髪色を変えてみたり、
筋トレを毎日続けてみたり、
ヘアオイルを使って外ハネヘアにしてみたり、
朝ごはんや昼ごはんにひと手間工夫を加えてみたり。

自分はそれらが好きじゃないと思っていたけれど、そんなことで一日をご機嫌に過ごせるのだ、と最近気づいた。立派な“好き”じゃん、と思う。


どんな物に囲まれて誰と仲良くするか。
自分はどんな自分でいたいか。


心の声に従って、誰に決められたわけでもない幸せを、生きていきたい。



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