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それでも明日に胸は震える


本気で落ち込んでいるや愚痴っているときに他人から言われる「ドンマイ」と「仕方ないよ」は大嫌い。

「ドジっちゃった、へへへ」って感じで軽く申告しているときに、同じように「ドンマイ」ならわかる。この言葉の元々の使い方のように、チームスポーツで笛が鳴るまで走り続けなきゃいけない、落ち込むくらいなら一分一秒でもはやく切り替えて点取らないと!みたいな場面ならわかる。

でもそうじゃない、明らかな理不尽に対して怒っている時とか、それによって不利益を被っている時に言われたら、"ああ、この人は私が苦しんでいることに対してどうでもいいんだな"と、軽んじられているんだな、と思う。


そういう時、私はただ話を聞いてくれる人、一緒に怒ったり悲しんだりしてくれる人を求める。だから基本的に私が吐き出せる人というのは限られているし、吐き出せるような人にある程度吐き出したら、そこからあとは自分ひとりでどうにかする。


こういうとき「仕方ないね」と言わずに話を聞いてくれるカレの、そういうところが人として最高だ、と思う。黙って受け止めて、本当はテストで忙しいのに心配して隙間時間を見つけては電話してくれる彼を好きだな、と思う。

そしてなにより、私には深い怒りや悲しみを文章にして昇華できる、noteという場所がある。書かなければずっと引き摺り続けていたかもしれない感情が、書くことによって書き終わったときには少し晴れている、この場所を見つけることができた私は本当に幸運だ、と思う。そこに置かれた私の感情を読んで、心配してあたたかい言葉をコメントしてくれたり、励ますかのようなスキくれる、noteのフォロワーさんたちがいて、本当によかった。


おかげさまで、悲しみや絶望を怒りに、怒りをエネルギーに変えて、前を向けそうです。本当にありがとうございます。



***


こんなことが起こるのを予想していたかのようなタイミングで、ミスチル『半世紀へのエントランス』のBlu-rayが届いた。というか、職場近くのセブイレで受け取りにしていて、父がとってきてくれた。

「(例の企業)、いけなくなった。」と言った私に「入る前でよかったよ。そんな会社、良い成果出し続けられかったらすぐに捨てるような会社だから。ドロドロした会社はあかんけど、そこまであっさり切り捨てるような会社も考えものやで。」と言った。

そのあと、リビングで一緒にミスチルのライブを見た。

父と一緒に行った、6月19日の長居公演が入っている。自分が行った日の公演が円盤化されるのは初めてで、同じ日に行っている知り合いが何人かいたから、映ってるかな〜と思いながら観るのは楽しかった。



私にとって、ミスチルは縁起がいいアーティストだ。


終わりなき旅とかGIFTとかに励まされながら走り抜けた4ヶ月で、私は高校に合格した。ミスチルを聴きながら国公立に失敗してから切り替えて後期試験まで走り抜けて、私は今の大学に後期で合格した。


この企業の最終選考に残ったときもそうだった。

京セラ公演の時は、選考会に参加することが決まっていた。選考会に参加したあと、ラストチャンスで長居公演に当選した。そして、長居公演ときはまだインターン選考の結果が出ていなくて、選考会から2週間くらい経っていたから落ちたのかもな、と思っていたところだった。だけどライブでミスチルの音楽に触れていたら、落ちててもいっかあって思った。

長居公演の余韻に浸って毎日ミスチルを聴いていたら、ライブから数日後に結果がきた。感染症で喉がやられている中で、電話を受け取ったことを昨日のように覚えている。



「息を切らしてさ 駆け抜けた道を 振り返りはしないのさ」


テレビ画面から『終わりなき旅』が聞こえてきた瞬間、心が震えた。


「また他のとこ目指してがんばろう」って、人から言われていたら、私はきっと受け入れられなかった。頑張ってきたのに、最後の最後頑張らせてもらえすらしなかったこの虚しさに、がんばろうなんて軽々しく言うなってきっと思った。

なのにさ、音楽だったらすぅっと心の中に入り込んでくるんだよ、不思議だね。ミスチルって表現力豊かだから捉え方次第で「頑張れ」って言われてるみたいだなって思えるような婉曲的な歌も多いけど、『終わりなき旅』ってド直球なのに、少しも不快感がないの。

『海にて、心は裸になりたがる』みたいな底抜けな明るさも、音楽なら受け入れられる。元気になれる。きっと友達にこの曲みたいなテンションで絡まれたらブチギレてたと思うけど、歌なら許せる。不思議だな。


近頃じゃ夕食の 話題でさえ仕事に 汚染されていて
様々な角度から 物事を見ていたら 自分を見失ってた
innocent world
ただ目の前に並べられた仕事を手際よくこなしてく
コーヒーを相棒にして
いいさ 誰が褒めるでもないけど
小さなプライドをこの胸に 勲章みたいにつけて
彩り
息を殺してその時を待っている
いつか俺にあの眩い光が当たるその時を

でも案外 チャンスは来ないもんで
暗いトンネルの中でぼんやり遠くの光を見てるだけ
DANSING SHOES



桜井さんって凡人じゃない、才能ある天才なはずなのに、一日中デスクに向かって降ってきた仕事をこなすようなサラリーマンじゃないはずなのに、どうして凡人のことわかるんだろう、って思う。私たちのことを見透かす、というよりも、俺も一緒なんだよ、って言ってるみたいな歌詞なの。ほんとうに天才なんだな、って思う。

あとこれ、Blu-rayについてた歌詞カード見て打ってるけど、
『彩り』の出だし、ただ目の前に並べられた仕事を手際よくこなしてく、って音楽的にも言語的にも絶対にありえないのに、歌詞上ではここまで全部をひとつなぎの言葉として表現してるの、ほんと天才だなって思うの。ここをひとつなぎにすることで心失っている感、というか「無」な感じが、より伝わるなって。


また 君の中の常識が揺らいでる
知らなきゃ良かったって 思う事ばっかり
そして いつしか慣れるんだ
当り前のものとして 受け入れるんだ
ニシエヒガシエ


ってダークに歌ったあとに

「誰が指図するでもなく 僕らはどこへでもいける
そう どんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って…」
Worlds end


って光を放って、天国に繋がる階段みたいに目の前を明るくするの。


闇から光に変わるこの2曲の流れが本当に好き。

正しい送り仮名は「当たり前」なのに「当り前」って表すことで「当然<とうぜん>」感が強まったり、歌詞に「」とか "…" を使うところも。


ある時は悲しみが
多くのものを奪い去っても
次のシーンを笑って迎えるための
演出だって思えばいい
Documentary film
悔やんだって後の祭り
もう昨日に手を振ろう
さぁ 旅立ちのときは今
重たく沈んだ碇を上げ

fanfare
天気予報によれば 夕方からの
降水確率は上がっている
でも雨に濡れぬ場所を探すより
星空を信じ出かけよう

雨に降られたら 乾いてた街が
滲んできれいな光を放つ
心さえ乾いてなければ
どんな景色も宝石に変わる

エソラ

『エソラ』のココこそ婉曲的な応援言葉の最上級と言わざるを得ない歌詞だなって思うんです。私にはとてもじゃないけど一生書けない。



一番きれいな色ってなんだろう?
一番ひかってるものってなんだろう?
僕は探していた 最高のGIFTを
君が喜んだ姿をイメージしながら

「本当の自分」を見つけたいって言うけど
「生まれた意味」を知りたいって言うけど
僕の両手がそれを渡す時 
ふと謎が解けるといいな 受け取ってくれるかな

長い間 君に渡したくて
強く握りしめていたから
もうグチャグチャになって 色は変わり果て
お世辞にもきれいとは言えないけど

「白か黒で答えろ」という
難題を突きつけられ
ぶち当たった壁の前で
僕らはまた迷っている 迷ってるけど
白と黒のその間に
無限の色が広がってる
君に似合う色探して やさしい名前をつけたなら
ほら 一番きれいな色
今 君に贈るよ

GIFT

私の中で『GIFT』は文句なしで不動の人生No.1ソングなんです。

すでに大部分引用してるけど、全部引用したいくらい。

歌って、1個「うわっ」て思える言葉があるだけで かち だし、歌詞は特筆すべきことないけど音がいいってだけでも かち。1曲を通して景色を描写して婉曲的に伝えるも、物語を語るも、とにかくストレートにメッセージを語るも良し。

なのにGIFTって全部持ってるんですよ。ずるい。

北京オリンピックのNHKテーマソングだったから、順当に行けば応援ソングだけど、恋愛ソングとも取れるし、物語にもできる。

現在進行形で頑張っているときでも、努力が報われずに落ち込んでいる時でも、ほんといつ聴いてもいい。

自分の耳が特殊なのか「僕の両手がそれを渡すとき ふと」「自分の胸に聞くと」がGIFTにかけてるように聞こえるの。そこも勝手に好き。


美しすぎてゴスペルのようで、聴くたび歌うたび泣きそうになる。



地平線の先に辿り着いても
新しい地平線が広がるだけ
「もうやめにしようか?」自分の胸に聞くと
「まだ歩き続けたい」と返事が聞こえたよ
GIFT

テレビの前で涙ながらに歌いながら、
ああ、自分もそうだなって思った。

どんなに心折れても、周りに助けられながら、自分で考えて整理しながら、立ち上がって歩き続けてしまうんだろう。

今回も、就活なんてクソだ、って言いながら、
どうせまた頑張ってしまうんだろう。


だって、私だもの。



***



一夜明けて、東京ドームの『半世紀へのエントランス』を観た。

正確に言うと、観ながらこれを書いている。

また、音楽に慰められ、励まされている。


スタジアム公演では歌われなかった曲の中に、GIFTの次と言っても過言じゃないくらい、大好きな曲があるんだ。GIFTよりもマイナーなのかもしれないけど、世界中の人に聞いてほしいような曲。



今回のツアーでは、原曲じゃなくてアレンジされていたけど、そのライブverの『くるみ』が本当に美しくて、この曲は原曲のあたたかい感じだけじゃなくて、キーを変えてギターソロにするだけであんな切ない顔も見せられるんだ、って思った。

現在の自分に響いてしかたなかった。


良かった事だけ思い出して
やけに年老いた気持ちになる
とはいえ暮らしの中で 
今 動き出そうとしている
歯車のひとつにならなくてはなぁ
希望の数だけ失望は増える
それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」
想像してみるんだよ
くるみ



****



新卒でGAFAMの最終選考に残っていた、という事実は、それだけでもすごいことなのだと思うし、そう思っていた方が精神衛生上いいってこともわかっている。でも私にとっては、一度手に入ってしまった枠だから、最終選考がなくなった時点で、ただの過去。内定を手にしたわけでも、2ヶ月70万のサマーインターンに受かっていたわけでもないから、過去の"栄光"ですらないけれど、自慢と思われても仕方ないことなのだとも思う。


いくら色んな人から励ましをもらって闇から脱出しても、ミスチルの音楽でその仕上げが完了して、平常心を取り戻しても、「仕方がない」とは思えないし、怒りや悲しみがゼロになることはない。

今まで「変わってる」「真面目だ」と嫌われてきたのも、その性質のおかげで例の企業に選ばれたんだ、としたら報われたんだと思っていたから。

だけど、私が最終選考に呼ばれていた企業がゲームやメタバースのエンタメVRから事実上の撤退, ビジネスVRについても巨額発注が止められ人員削減、というニュースを見て、ああそっかって思った。

所詮、企業にとって社員は、ましてや中途だらけの中で実務経験もなく入社もしてない新卒なんて、駒でしかないんだって。


私はどこかの企業に入れたらいい、というような考え方を一切してない。
ビジョンに共感はしても、敬う気はない。

この企業のことだって、自分のビジョンを達成するための手段としてしか見ていなかった。やりたいことができる土壌がすでにあって、社会的インパクトも大きい最高峰の環境だから、第一志望に据えたにすぎない。ここに入って食らいつきさえすれば、嫌になっても企業名を味方につけて自由に転職なり企業なりできると思った。

でもその時点で、企業に頼ってたんだなって今は思う。


いつ、どの企業が潰れてもおかしくない。
いつ、リストラされてもおかしくない。
自分で食べていけるように、副業を。


そんな風に叫ばれる理由が、やっと自分ごととしてわかった。



***



こないだInstagramをはじめました!って言ったけど、
最初はちょっと頑張ったけど、
インスタにもアフィリエイトにもあんまり情熱を持てなくて、
やっぱりnoteに帰って来ちゃうな、なんて、
向いてないのかもな、なんて、思ってたんだけど。

もう少し、本気でやってみようと思う。


就活ももちろん頑張るけど、インスタも自分の職業だと思って、副業だと思ってやってみようと思う。就職後も続けられるように、職を失ってもアルバイト代くらいはインスタで賄えるように、頑張ってみたい。


私は(どっかの企業名)の社員、じゃなくて「つくり上げる人」でありたいんだ。職種にはこだわるよ、商品サービス企画職。職種名として企画職じゃなくても、その内実が企画職であればいいから提案型の法人営業はセーフだよ。他の人の力も借りて、技術の力でアイデアを形にするの。


インスタは、言葉と写真で自分の世界観を作り上げる企画の練習のつもり。


「納得いくまで頭の中で、議論の中で、Why?を繰り返して考え抜いてこだわることができる、自分の長所が活かせるのが企画だと思うんです」

って昨日だって面接で言ったところなんだから。

信じてるから。


それを、証明しようと思うんだ。




果てしない闇の向こうに oh, oh 手を伸ばそう
癒える事ない痛みなら いっそ引き連れて
少しぐらい はみだしたっていいさ oh, oh 夢を描こう
誰かの為に生きてみたって oh, oh Tomorrow never knows
心のまま僕はゆくのさ 誰も知る事のない明日へ
Tomorrow never knows








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