イロのない世界はきっと、つまらないよ
【景色】
サムネ写真を選ぶときに、こないだ彼と白良浜へ行った日の写真を見て、一昨日ゼミで最後に話していた賢そうな話の内容を思い出した。
夏休みどこ行く?という話で、海の人が多くて。なんで人は海に惹かれるんだろうね、という考察をしていた。
そこでまず出たのは、人間がもともと青を好む性質を持つからではないか?という仮説。空も海も青いんだから、青が不快だったらやってられないよねって。
次に出たのは、でもそれってどっちが先なんだろうっていう疑問。「元々青を好む性質があるから」惹かれるのか、「空が青で毎日毎日見ていて好きになったから」惹かれるのか。結論は出しようがないし、他の人から見たらめんどうくさい話かもしれないけど、競馬や麻雀の話と同列にこれを語ることを楽しめるのがいかにも心理学部の認知系らしいよね。私は好き。
【社会】
人や物事を白黒で判断する潔癖さをいい加減手放さなければ、といつも思う。いじめやパワハラやカスハラは許せないし、真面目な人が損をする理不尽には発狂しそうになる。それでもやはり、白でも黒でもなくグレーを流す姿勢を、自責でも他責でもなく無責のマインドを持たないと、いつか生きていくのが苦しくなるかもしれない。自分は自分が見ている一面だけで目の前の人の善悪を判断して裁けるほど高尚な人間ではない、という自覚を持たなければならない。
このところ 正義 や 物事の多面性 についてよく考える。もっとずっと前に考えておくべきだったし、知っておくべきだったけれど、ずっとわからなかった。少しずつわかってきて、でも納得いかなくて。『ぼくのメジャースプーン』を読んで、私が知りたかったことはこれだと思った。
一方で、ぼくメジャーの“どうしようもない悪”ではないグレーへの姿勢はどうすればいいんだろうという問いは残った。きっと、私が持つ姿勢はどうしようもない悪への対処には向いているけれど、グレーなものには厳しすぎる。
森絵都さんの『カラフル』を開いたのはそんなときだった。
白と黒とグレーではない。
白と黒とカラフルなんだなって思った。
この手の話で1番腑に落ちた考え方だった。
そういえば、白と黒のその間に無限の色が広がってる って桜井さんも歌ってたんだった。
思えば私だって何事に対しても白黒つけたり正しいか否かだけで判断するわけではない。友達の相談に対して正論で返すようなことはしないし、したくないし、できない。
それは私の中の“正しさ”の基準に「相手を傷つけないこと」という項目があるからでもある。相手だってダメだ、よくないと思いながら、それでもどうにもならないことが悔しくて相談しているのだから「それはちゃんとしないと」なんて、いらないのだ。だし、そもそも相手が大切であればあるほど、相手が自分自身を許してあげてほしいという気持ちや、どうすればいいかを相手と一緒に考えたいという気持ちが本音になるものだ。
私は、基本的にどんな人とも仲良くなりたいと思える心を持っている。一方で、相手がどんな人かを分析してしまう姿勢も持っている。だけど、その姿勢は相手と関わることで、些細なきっかけで、柔軟に変えていくことができる。
それがわかっているから。
私はそのきっかけを作れる人になりたい。
自分で勝手に作った壁を乗り越える勇気を持って、コミュニケーションを取れる人になりたい。
そんなことを考えている。
【恋愛】
少し前、バイト先のコンビニと内定先でそれぞれで「早朝組で飲み会しようって企画しててLINEグループあるんやけど…」と、内定先のSlackから「関西組のLINEグループできてるから招待するわ」と言われて男性とLINEを交換した。
やり取りからなかなか解放してもらえなくて「会って食事とかしたら楽しそうですよね」とかっていう連絡をスルーしてもさらにしつこく誘ってくることにゲンナリしてはじめて、これがナンパだったということに気づいた。
週1回, 3時間の付き合いで、その間レジが忙しすぎてほとんど話していないような人、あるいは内定者懇親会で十数人のブレイクアウトルームが一緒で顔もよく覚えていないような人と2人で会って、何を話すというんだろう。彼氏がいるかどうかの確認すらしてこなくて「こいつは彼氏いなさそう」「チョロそう」って見くびられたようで不愉快だった。
昔から、自分が好きになった人や好きになれそうな人ほど恋愛には発展しなかった。その代わり、ほとんど関わったことがない人から突然告白されてストーカー化するとか、中学から高校に上がったタイミング、高校から大学に上がったタイミング、バイトで、街中で、LINEで、ナンパされるような、求めていない想いを向けられることは多かった。
ナンパはともかく、私が目を向けさえするならば、私がぶくぶく太ろうが、自己中な振る舞いをしようが、誰かの悪口やワガママを言おうが、受け入れて、余裕がなくなるくらい私を愛してくれるような人はいるのだろう、と思う(しないけど)。逆にいえば、その分そういう振る舞いをせずとも勝手に「思ってたのと違った」とか言って簡単に離れていく人もいるのだろうけれど。そしてそれは私に限った話ではなく、誰だって、そう。
一方、彼は私が誰に言い寄られようとナンパされようと、余裕そうに「モテることはいいことじゃん」と笑って、
モテるってことは、他の人から見てもそれだけ価値がある人ってことでしょ。そんな人がどれだけ声かけられても断固として靡かずに、俺を選び続けてるって自信になるね。
とかなんとか言ってる。
そんな彼は、私のどこが好きか?という問いに「ぜんぶ」と答えながら「努力できるところ」と言う。「(私)の身体好きー」と言いながら「筋トレしてほしいなぁ」とおねだりしてくる。
体質的に太れないから太る心配はないから全くもって無理していることもないのだけれど、もし仮に私がぶくぶく太れば彼は離れていくかもしれない。もし仮に筋トレしなくなったからといって離れていくようなことはないけど(実際、何度も習慣化するのに挫折している)、筋トレしている場合の方が愛されるのは目に見えている。
世界で1人くらいは「素のままでいいんだよ」と言ってくれる人がいてもいいのかもしれない。それが身近な人であればあるほど、その言葉に救われるかもしれない。
だけど “素のままでいい” って、ある意味 呪い だ。その言葉を掛ける人からみた “素” は、掛けられる人にとっての "素" ではないかもしれない。違った瞬間に、相手は離れていくかもしれない。“素のままでいい”は相手をダメにする言葉になる可能性を秘めている。
彼の、“私が努力するもしないも自由だけど”というスタンスは、変わった私も変わらずに愛してくれるのだと思える。
それくらいの余裕を持って、私を振り回し、飼い慣らしてくるくらいの人に、私は惹かれるのだ。
私の素のままを余裕なく愛すようなことがないように見える彼は、唯一「まっすぐなところは変わらずにいてね」と言う。私の変わる余地がある部分には自由を残し、変わろうとしても変われない部分をはじめから変わらず愛してくれる。
だから私たちは、掛け違えているように見えてもきちんと繋がっているのだ。
【個性】
だいぶ前に『推しの子』を漫画で全話読み、アニメを見て、YOASOBI『アイドル』を歌えるようになった。
YOASOBIのライブ映像を見て、そこからいろんな人が歌うor演奏する『アイドル』を聴いた。なかでも鈴木愛理さんと手越祐也のアイドルに痺れた。
「自分のものにする」ってこういうことか、と。
ただ本家をなぞるだけじゃダメで、上手いだけでもダメで。
「私を見て!!」と全身で叫ぶように、その曲を使って自分自身を表現すること。
それが許される唯一の職業が芸能人な気がしてしまうけれど、やるだけなら自由だ。
こないだ酔っ払いながら『アイドル』を歌ったとき、あまりにも気分が良くて、もっとノリノリで踊って歌えばよかったなって思った。
「私を見ろ!!」って自信満々に、個性を爆発させて『アイドル』を歌いたい。あの曲ならそれを可能にしてくれるし、許してくれる気がする。
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なにはともあれ。
ミスチルのニューアルバム10/4発売&ツアーが決定しましたね!!!!!
昨年やったとこだから今年はないかと諦めてたのに、嬉しすぎる…😭
やっぱり人間は、このためになら頑張れるっていうものが必要ですね。
パリから帰ってきたら腑抜けになりそうだなって思っていたけど、卒論バリバリ頑張って、ミスチルのライブ行くぞ!
ツアーの時期はスピッツとも被っておりますが、卒論のモチベのためにもどっちも勝ち取るぞ〜!
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