私が占い師になったワケ(闘病記⑮生まれて初めてのノロウィルス 27歳)
2005年12月5日。
朝、目が覚めると右ひじがまだ痛いのに気が付いた。
薬を飲むため、昼食を撮る。
その後、シャワーを浴びたまでは良かったが、酷い腹痛に見舞われた。
コルヒチンの副作用だろうか。暫くの間、様子を見ることにした。
しかし夕方になると今度は嘔吐が私を襲った。
何度も何度も嘔吐を繰り返し、気が付いたら胃の中はあっという間にスッカラカンになってしまい、3時間くらいは経過しただろうか。
私は緊急外来を受診することに決めた。
今思えば、私が通っている病院は、第三次救命救急なので、右ひじに水が溜まり、夜間外来を訪れた際もそうだったが、もうすでに吐けるものはすべて吐き出してしまったのだから、と言う理由で帰って欲しいというような対応だった。
ここでは「鈴木さん」と呼ばれ「はい」と返事できるような人間は、まともに扱ってくれない。
とにかく診察券や保険証を用意することもやっとだったが、時間が経てばたつほど、寒気に襲われ次第に手が震え出したので、意を決して病院へ向かった。
診察室へ入ると明らかにやる気のなさそうな態度の泌尿器科医がいて「ポカリスウェットが飲めるのであればポカリでも飲んでじっとしていれば」と言った。
今の時代のようにOS-1があれば良いのだが、その当時はそんなものは存在しないので「水分を摂りたくても撮っているそばから嘔吐してしまうので、できれば点滴をお願いできませんか?」と言うと、すかさず隣にいた看護師が「点滴なんて必要じゃないのだから、500じゃなくて200で良いんじゃない?」と言ってきた。
明らかに面倒くさいから点滴を打つ量を減らしたいと言うような態度だった。
類は友を呼ぶとはよく言ったものだ、と思いながら、私は病院のロビーのソファーに腰掛けながら、点滴を打ち、それと同時に今度はものすごい勢いで発熱していくのがわかった。
今だからこそ病院で体温を測るのは定番だが、この時の夜間外来では先ほどの看護師ん「熱を測る必要ない」と言われ、体温計さえ貸してもらえなかった。
仕方がないので家から持参した体温計を用いて、病院で熱を測ったら39度8分もあった。
酷い話である。
翌日、私は昼過ぎまで寝ていたせいか、だいぶよくなっていた。
今のところこの日以来、私は夜間外来に足を運んでいない。
できるものならばもう2度と行きたくない。