あい

2018年 スピなお人たちとの出会いをきっかけにものの見方が大きく変わり始めました。 …

あい

2018年 スピなお人たちとの出会いをきっかけにものの見方が大きく変わり始めました。 2020年『意識を立ち上げる』にコミットし始め生き方が変わりつつあります。 2022年 喜びに生きるを実践しながらわかったことを書いていきます。

マガジン

  • お父さんの脱体

    2021年一番悲しくて一番あたたかかった出来事。意識の向け様が変わりつつある中で「お父さんの死」を通して見えた世界についての記録です。

  • 意識を立ち上げる~『魂が喜ぶ未来創造プログラム』に参加して~

    ことだまナビゲーター野間直美さんにより『魂が喜ぶ未来創造プログラム』に参加しての、自分の変化や気づきについて書いています。 自分自身を生きたい人、宇宙の法則や現実創造と言われるものをこと少し違う角度から見てみたい人、ことだまや野間直美さんの活動に興味がある人に、何かの参考になれば幸いです。

  • スピリチュアルとリアルのあいだ

    2018年 スピなお人達との出会いから変わり始めた心の内と頭の中の回顧録。

最近の記事

お父さんの脱体~おわりに~

父と娘の関係も、家族としてのあり方も。父と娘のぶんだけ、家族の数だけ違いがあることと思います。同じ父の元で生まれて育っても、姉の体験した父との別れはきっと全然違う。私はこういうお父さんとの関係性の中でこういう別れを体験したという、外枠を見ればそれだけの話です。 ただ、近しい人を亡くすというのは誰にとっても大きな出来事で、大きな出来事から受け取るものは大きい。という点では、共通と感じるものもあるのかもしれません。 今回、父の死を通してたくさんのものを受け取りました。 たくさ

    • お父さんの脱体(10)~旅立ち~

      1日、1週間、1ヵ月と時は過ぎ、少しずつお父さんの死というものがなじんでいく。 この間、葬儀にこれなかった遠方の親戚や、お父さんの学生時代の友人の方からお手紙やお供えが届いて、知らなかったお父さんの人生に触れられた気がした。親戚やご近所の方々が、母を気にかけて足を運んでくださったり、私も友人からの手紙や言葉をかけてもらったり、話を聞いてもらったり。心を寄せていただいて、言葉を届けていただいて、ありがとうございますが溢れてとまらない。 日常に戻ったら戻ったで意外と普通に過ご

      • お父さんの脱体(9)~ぬくもり~

        お父さんのお見送りが終わって1週間、母のそばにいることにした。そして、葬儀後の整理や諸手続きをこの1週間で一緒に片付けるのだ。 まず葬儀翌日は、お坊さんに自宅に来ていただいて初七日の法要。 このお坊さんの歌声がまた美しくて聞き惚れてしまう。(後で知った南こうせつ作の)「まごころに生きる」にはやられてしまった。ツーっと細くまっすぐな涙が頬を伝っていく。 49日までの期間、お父さんの魂はあの世とこの世を行ったり来たりするらしい。この世に憂いなくあちらへ旅立てるよう、こちらから

        • お父さんの脱体(8)~美骨~

          「ここで最期のお別れです」 火葬場で言われたときも、「もう大丈夫です。お願いします」という気持ちだった。これはお父さんだけれど、ここにお父さんはいない。まさに、「そこにわたしはいません 死んでなんかいません~」の世界。80年お父さんと共にあったものを断捨離させてもらうのだ。本人は先に離れてしまっているので、断捨離というのも変な表現なのかもしれないけれど。 火葬が終わるまでの待ち時間、待合室での食事はできないこと、茶器は使用できるけれど茶葉は各自持ち込む必要があることなどは、

        お父さんの脱体~おわりに~

        マガジン

        • お父さんの脱体
          12本
        • 意識を立ち上げる~『魂が喜ぶ未来創造プログラム』に参加して~
          12本
        • スピリチュアルとリアルのあいだ
          7本

        記事

          お父さんの脱体(7)~門出~

          「曹洞宗のお葬式は賑やかよね。歌もいいのよね」 母が言う。祖父母の葬儀に始まり、何度か出ているはずなのに全く覚えていない。 会場には楽器が並んでいる。お坊さんは「3人できます」と言っていた。3人も? そんな豪勢にしていただかなくても……とここでもまた思ったけれど、行われたそれは、こんな風に送り出せてよかったなと思える葬儀になった。 (度々出てくる「そこまでしてもらわなくても」にいろんな自分が透けて見える。これはよくよく見つめてみたい案件だと思った。本当はどうだったらいいの

          お父さんの脱体(7)~門出~

          お父さんの脱体(6)~抜け殻~

          「寝ずの番」どころか「寝る気満々だけどあまり寝れなかった番」再び。 目が覚めては隣の会場に行き、線香を確認して、お父さんの顔を覗き込む。 まだ温かかったお父さんの頬は少しずつぬくもりがひいていって、棺に入ってからはドライアイスを入れてることもあってひんやりと冷たくなった。 表情は変わらずそこにあるのに、温度と質感が変わっていく。レプリカのような陶器のような、そこにあるのはまさしくお父さんの抜け殻だった。 お父さんは体を脱いで旅立ったのだ そう思えたとき、「いなくなって悲

          お父さんの脱体(6)~抜け殻~

          お父さんの脱体(5)~空席~

          お父さんはあれよあれよと整い棺に納まった。これがおくりびとか! とついモックンを連想してしまう納棺師の方々のおかげさまだ。 見たことのある服を着ているお父さんは、よりお父さんらしくなった気がする。そしてすっかり祭壇が仕上った隣の会場に運ばれた。 そうか、機能が文字通りお父さんの隣で眠れる最後の機会だったのか。 祭壇は思っていた以上に立派なものだった。 晩年のお父さんは人付き合いも限られていたし、このご時世もあって基本身内で行うていをとることにした。参列にみえても県内の親戚数

          お父さんの脱体(5)~空席~

          お父さんの脱体(4)~寝ずの番~

          張り切って線香の番をするつもりでいたら、グルグル巻きの蚊取り線香のようなものが目に入る。 「これで朝までもちますから」と葬儀屋さん。 なんだ、寝ていいのか。嬉しいような残念なような変な感じだけれど、気にせず眠れることはありがたいなと思った。 顔を洗って横になってみるも、なんだか寝付けない。表は台風のような豪雨で、屋根にあたる雨の音がやたらと激しく騒がしかった。「あぁ、お父さんのために泣いてくれてる……」なんてレベルをはるかに超えて、とても感傷に浸る音ではない。 横を見ると旦

          お父さんの脱体(4)~寝ずの番~

          お父さんの脱体(3)~戒名~

          亡くなった当日に、お父さんに会いにきてくれたのは、本家の伯母と従兄、お坊さん、そして献眼の処置をしてくれるお医者さん。 献眼については、こういうものがあると葬儀社さんから話を受けて母と決めた。そこに父の意志はない。処置もこの場で数十分でできるというし、見た目はわからないようにおさめてくれるという。いずれ燃やしてしまう体だ。どなたかのお役に立てるのならお父さんも本望だろう。(たぶん) お医者さん達が到着した。「このようなときに申し訳ありません。ご理解ありがとうございます」と

          お父さんの脱体(3)~戒名~

          お父さんの脱体(2)~対面~

          お父さんを送り出すことになる葬儀場に到着。少しすると、白い布を顔にのせて横になったままのお父さんが運ばれてきた。 顔が見たい、でも見るのが怖い。だってその顔を見たら認めなくてはいけなくなってしまう。お父さんは死んでしまったと頭ではちゃんとわかってるのにおかしな話だ。怖い、でもやっと会える、やっとそばに……、やっぱりお父さんに会えるという喜びの方が大きかった気がする。 そんな私は、お父さんが大好きっ子なのだと思った。べたべたくっつくようなことはなかったけれど、お父さんがいつ

          お父さんの脱体(2)~対面~

          お父さんの脱体(1)~県外者~

          「今晩が山かもしれないので、ご家族の方(ひとりだけ)面会を」 入院中の病院から連絡があったからと、母が病院に向かったのが5月13日(木)のこと。コロナ禍で面会できずにいたため、再入院から約一週間ぶりの対面だった。 目を開けることもなく、母とわかったかもわからない状態。何をされるかわからないと感じたのか、最初は母の手を振り払ってなかなか触れさせてくれなかったらしい。少しすると落ち着いて、手を握り返してくれたのだという。「わかってくれたんだと思う」と感じた母の実感が全てだと思

          お父さんの脱体(1)~県外者~

          お父さんの脱体~はじめに~

          2021という1年で一番悲しくて温かかった、父の死という出来事。 あのとき感じたものはなんだったのか? 言葉にしたものもあればしきれなかったものもある中で、少しずつ記憶が薄らいでいくのを感じたとき、書き残しておこうという気持ちになりました。 2021年といえば、新型コロナウィルスの広がりをきっかけに世の中の動きが変わり始めて2年目。父の死と、見送る過程においてもその影響はあったけれど、私たち家族の場合、それはささやかだったのではないかと思います。 これは「コロナ禍で家族

          お父さんの脱体~はじめに~

          『たま』を磨く

          本当の自分を知ること、自分らしく生きること、現実創造について、この世界の真理、宇宙の法則、言葉の力……それらを伝えてくれてる人は、本当に多い。いろんな切り口がありますね。 その中で、私の興味の向く方向、そして今の自分にすごく合っていたのだろうと思う『魂が喜ぶ未来創造プログラム』。昨年10月から始まって、前半・後半と正味6カ月のプログラムが先月終了しました。 『言霊』についてのお話会も含めると、2年近く直美さんを通して大きな世界観に触れてきました。 これまでにかいつまんで

          『たま』を磨く

          陰と陽のいったりきたり

          毎日、いや、せめて毎週1回♪ と思って始めたnoteが月1回になっていてびっくりです。 昨年から参加している野間直美さんのプログラムも残すところあと1回。先先月から『裏being』なるものを設定し、自分のあまり好きではない部分と向き合う時間をすごしてます。 向き合うというほど向き合ってもなくて(^^; でも結果なんだかそういうことになってるみたいな感じがまた不思議です。 2カ月近くたってどうなっているかというと、好きではなかったことが「好きでも嫌いでもなくなってきた」

          陰と陽のいったりきたり

          「願えば叶う」にみる枠

          願いが叶ったら、こんなにうれしいことはないけれど。 こうなったらいいな♡と願う時、‟こうなったら”と自分が思う以外のものを叶ったと受け取れないことはよくあるもので、「叶わなかった」に陥りやすい。 願えば叶うんじゃなかったの?! 願い方が違ったの? (それはそうとも言えるかもしれない) 「叶うというか、来るんだよ」 そう聞いて、腑に落ちた。 放ったものは来ると決まってる。 何を「来た」とみるかなんだ。 来たものを見て、自分が何を放ったかも見直せる。 この視点に

          「願えば叶う」にみる枠

          どのみち望むところにつながっていく

          2月になりました。 「あけましておめでとうございます」の挨拶はどこへ。 お久しぶりの更新です。 年が明けてみたら、なんかいろんなことが吹っ切れて(正確に言うと、迷いが吹っ切れる情報が目に入ってきて)あれやこれやと思いつくままに動いています。 動く時に意識するのは、「実験してみよう」ということ。 「こうしたらうまくいった」というのは、何をしたかそのものはあまり意味はなくて、どんな自分で何を意識したのか。 もっと言うなら、うまくいってもいかなくても、そこもあまり関係な

          どのみち望むところにつながっていく