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お父さんの脱体~おわりに~

父と娘の関係も、家族としてのあり方も。父と娘のぶんだけ、家族の数だけ違いがあることと思います。同じ父の元で生まれて育っても、姉の体験した父との別れはきっと全然違う。私はこういうお父さんとの関係性の中でこういう別れを体験したという、外枠を見ればそれだけの話です。

ただ、近しい人を亡くすというのは誰にとっても大きな出来事で、大きな出来事から受け取るものは大きい。という点では、共通と感じるものもあるのかもしれません。

今回、父の死を通してたくさんのものを受け取りました。
たくさんの思い込みや自分の至らなさも見えて、たくさんの愛があったことに気づきました。いかに今までそれを受け取れていなかったのかも。
そして自分のためでも何のためでもなく、ただただ、もっとこの命を使っていこうという気持ちが沸々と湧いて生きる力に変わりました。


受け取ったものの中に、「何を感じても大丈夫だのハンコをいくつも自分に押せたこと」があります。

ネガティブと言われる負の感情を味わうことが苦手でした。
どうにも感じたくなくて、逃げてみたり蓋をしてみたり。守って守って本当に自分が何を感じているのかわからなくなって、本当に感じたいものすら感じられなくなっていたのだとわかったところで、蓋はさび付いて重すぎて、すぐにどうにかできるようになるものでもなかった。

ゆるめてみたり、思いっきりこじ開けて見たり、外の世界の美しさを知っても気付くとまた蓋の下にいたり。おっかなびっくりしながら、少しずつ大丈夫が詰みあがってきていた所で、パカンと蓋を取られてしまったような出来事。どうにもこうにも感じることしかできなくて、感じ続けながら前に進むしかないところに置かれた。それが「お父さんの死」という出来事でした。

残念ながら蓋はひとつではなくて、性懲りもなくビクビクすることは今も日常茶飯事です。逃げ癖も健在。でも、お父さんを思うとき、
「何心配してるんだよ。ほら、大丈夫だったでしょ?」 
と見守ってくれているような気になります。
最後の最後まで、というか旅立ってもなお、お父さんには頭が上がりそうにないです。


起こったことの中で、何を見て何を受け取るのか。それによっていかようにも人生のストーリーを作り替えることはできる。いつからでもどこからでも。

そんな力強さをつい忘れてしまう自分のために書いたようなものだったと、書き終えて思います。
こうして公開する場を作ってもらえていることで、どなたかの目に触れる機会をいただけること、そして見てくださった皆様に心より感謝いたします。本当にありがとうございました。

感じることを許して、選んで、決めて。心をあたためふるわせながら、ともにこの時代を生きる皆様と、お互いに力強く己の道を創っていくもので在れますように。

2022年1月22日 にしやまあい


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