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お父さんの脱体(8)~美骨~

「ここで最期のお別れです」
火葬場で言われたときも、「もう大丈夫です。お願いします」という気持ちだった。これはお父さんだけれど、ここにお父さんはいない。まさに、「そこにわたしはいません 死んでなんかいません~」の世界。80年お父さんと共にあったものを断捨離させてもらうのだ。本人は先に離れてしまっているので、断捨離というのも変な表現なのかもしれないけれど。

火葬が終わるまでの待ち時間、待合室での食事はできないこと、茶器は使用できるけれど茶葉は各自持ち込む必要があることなどは、2021っぽさを感じさせる。

火葬が終わるまで待っていると14:00を過ぎる時間になる。ここでも食事をどうする問題が浮かび上がった。朝から葬儀に参加し、火葬場にも足を運んでくれた方の中には、他県からかけつけてくれての久しぶりの再会もある。コロナ禍とはいえこのまま「ありがとうございました」の解散は忍びない。そう母は思ったらしい。人数もさほど多くないことだし、皆さんに確認して食事の席をご用意することにした。大きなお世話でなかったことを願う。

そうして、一応家族ぶんだけお願いしていたお店に、追加での用意ができるか確認する。快く受けてもらえてホッとした。ちなみに、お通夜の夜のお弁当を頼んだのと同じお店。度々ありがとうございます。


火葬場なんてそうそう来る場所でもないが、ここは設備がすごく新しく感じた。個室になった待合室が並び、小さいながらも旅館の一部屋のようなしつらえだった。指定された部屋で待っていると、ブザー(電話だったか?)でお知らせが来る。火葬が終わったお父さんの亡骸と対面だ。

お父さんの骨を初めて見たとき、その白さに驚いた。目の前にあるそれもまたお父さんとは別物。違う人の骨を見せられてもわからなかっただろう。そして、人の身体はこうなっているのだという、模型でも写真でもなく実物を見る機会をもらえることが、なんとも感慨深かった。

ものすごくきれいに骨の形が残っていて、こういう状態で見るのは初めてのような気がした。お父さんの骨が丈夫だったのか、新しい火葬場だから骨の形を残す焼き方ができる設備だったりするのか。とにかく立派な大腿骨、くっきりはっきりとした頭蓋骨。身内なのをいいことに、母とも「すごいね、すごいね」と感嘆を隠すことなくお骨を壺に入れていった。

そういえば晩年のお父さんは、何度か派手に転んでいたみたいだけれど骨折することはなかった。この骨じゃ折れないわ~と、真相はともかく妙に納得したのでした。


思ったより早く火葬が終わり、またまた慌てて会食のお店に電話。出かけていたようで、今回ばかりは大将も慌てていた。ただでさえ時間外にお願いしているのに、度々の変更でごめんなさい。そしてご対応ありがとうございます。

食事の席は、お酒も無し、お弁当型の簡単なものだったけれど、それでもこういう時間を持てて良かったように思った。
しかしいくら慣れていないこととはいえ、もう少しスマートにできなかったものかと反省する。みんなどうしているんだろう? 多々至らずにすみません、本当にありがとうございますという気持ちで食事を終え、皆さんを見送った。

長いようであっという間だった一連のセレモニーの終わり。そしていよいよ、お父さんの(お骨と)帰宅だ。


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火葬に入る前、遺体と離れがたかったり、燃やしてなくなることに抵抗を感じて遺体にすがりついて泣く方もあるのだと聞きました。

また、後日法事のときにお坊さんから聞いた話では、コロナ感染で亡くなった場合、感染予防の観点からお骨になって初めて対面するケースもあるのだと。(お父さんの死因はコロナではありません)

「もし〇〇だったら」を今生で経験することはできなくて、比べようもないし比べることに意味もない。ただ、こんな風に送り出せたらいいなが叶ったことを、有難いと思いました。

もっとできたこともあるだろうし、おもてなしとしては反省しきり。でも、「そばにいるのに面会できず、遺体になったお父さんと対面して号泣する」ドラマを創り出して後悔した私としては、その後お父さんを送り出す流れは上々だったのではないかと、今になってそう思います。
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