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お父さんの脱体(9)~ぬくもり~

お父さんのお見送りが終わって1週間、母のそばにいることにした。そして、葬儀後の整理や諸手続きをこの1週間で一緒に片付けるのだ。

まず葬儀翌日は、お坊さんに自宅に来ていただいて初七日の法要。
このお坊さんの歌声がまた美しくて聞き惚れてしまう。(後で知った南こうせつ作の)「まごころに生きる」にはやられてしまった。ツーっと細くまっすぐな涙が頬を伝っていく。

49日までの期間、お父さんの魂はあの世とこの世を行ったり来たりするらしい。この世に憂いなくあちらへ旅立てるよう、こちらから後押ししていく期間なのだそうだ。私の気持ちも行ったり来たりしながらお父さんの死を馴染ませていくのだろう。


この世に憂いを残させてなるものか。というわけではないけれど、お父さんの衣類などもこの期間にできるだけ片付けた。「え?もう処分しちゃうの?」とお父さんは驚いているかもしれないけれど、時間がたつほどにお父さんのかけらに触れる怖さがふくらんで億劫になる気がしたから。これよく着てたねなんて話をするのは、せつない中でも嬉しかった。きっとそれは、お父さんはいたのだと確認できることだったからだろうと思う。

役場その他での手続きも思いのほか早く片付いた。見えないところで、たくさんの方に助けていただいてお父さんとお母さんの生活はあったのだと感謝が湧いてくる。その恩恵を受けて私もこうして成長してきたのだ。
お父さんの戸籍の除籍の二文字にはせつなくて息がつまった。お父さんという人はもう存在しないのだと突き付けられたような気がして。
こんなところでもまた、ある と ない の感覚の違いがはなはだしい。

夜、祭壇にあるお父さんの写真を見ては、じわーっと目の淵に水がたまることを繰り返した。ついじーっと見てしまうのだけど、こんな風にじっくりと味わえる時間を持てて幸せだなと思った。悲しいけれど胸の真ん中がじんわり温かい。
母もお香典のお礼やら何やらで、お父さんのことを話すごとに鼻をグスグスさせているが、そんな母を見るにつけ、お父さんは幸せだなと思った。晩年はいっぱい怒られてたけれど。


一通りを終えてあっという間の1週間。しばらくは毎週母の顔を見に来ることにして、自宅に戻った。お互い寂しいときだけどがんばろうと言葉を残して。

ひとりの時間ができ、ふとひと息ついたとき、猛烈な後悔と自責の念に襲われた。

お父さんが生きていたときに、もっとできることがあったんじゃないか。コロナで会えなかったんじゃない。会いにいくのがこわかったんだ。
お父さんは認知症と診断されていて、進行はゆっくりだけれど確実に進んでいた。もう私のことわからないんじゃないか。それに頑固さが増していく面倒くさいお父さんは見たくない。でも、会いたい。いや、会うのが怖い。お父さんと会ったときに感じてしまうかもしれないことが怖かった。コロナを言い訳にして会わずにいることにどこかホッとしていたんだ。ごめんなさい、ごめんなさい、お父さんごめん……

文句や弱音を吐きながらもずっとお父さんのそばにいた母は、はたから見ていてこれ以上ないというくらい本当によくやっていたと思う。その母でも、「もっとできたことがあるはずなのに」と悔やんでいた。
何を悔やむことがあるのかと思っていたけれど、どれだけやっても、悔やもうと思えば悔やむことはできてしまうのだ。何が悪いでなくても、自分を責めようと思えばいくらでも責められる。

あれだけ ある と ない の違いを感じていて、ないを見てさらに自責のループにハマっているとわかっていてもどうにも抜けられそうになかった。もうとことん落ちるとこまで落ちるしかない。


そんな気持ちでクッションに顔をうずめて号泣し、いつの間にか眠ってたのかなんなのか、眠りと目覚めの狭間にあるような朧げな意識の中で、ふいにぶわっと暖かい何かに包まれるのを感じた。

外側からあたためられたようでいて、同時に自分の心と思うところの真ん中からも温度が高まってくる感覚がある。ものすごくあたたかい。目は覚めつつあるけれど、お願いだからもう少しこのままでといいたくなるぬくもり。

お父さん? と思った自分が不思議だった。

もうすっかり目は覚めていて、あたたかかった何かはスッと消えてなくなった。
「大丈夫だよ。ありがとね~」
何が聞こえたでもなく、そう言ってもらえたような気がした。

いつも別れ際にお父さんが言っていた「ありがとね~」を思い出してまた泣いた。もう今日は思う存分泣いた日にしてしまおう。母の前で、やらなきゃいけないことの中で、思っているより私はがまんしていたようだ。



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こんなことは覚えている限り今まで経験がなくて、お父さんだったかどうかなんてなんの確証もないのです。
でも、なんの証明もできなくても、あのときのあれはお父さん(のような何か)だったのだと思っています。

そしてこれも勝手な私の想像なのですが、お父さんは娘の私にはかっこいいところだけ見せておきたかったかもしれないなとも思うようになりました。

お父さんが生前最後に自宅に戻ったとき、次の日に顔を見に行く予定にしてたのですが、自力で起き上がることが出来ず、ショートステイに戻ることになり会うことができませんでした。今思えばあれが最後のチャンスだったのに。

一目でも遠目でも顔が見たかった。でも私は内心会うのが怖かったし、お父さんも会いたくなかったのかもしれないです。

本当に勝手な解釈ですが、それでいいと思ってます。¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨





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