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お父さんの脱体(7)~門出~

「曹洞宗のお葬式は賑やかよね。歌もいいのよね」

母が言う。祖父母の葬儀に始まり、何度か出ているはずなのに全く覚えていない。
会場には楽器が並んでいる。お坊さんは「3人できます」と言っていた。3人も? そんな豪勢にしていただかなくても……とここでもまた思ったけれど、行われたそれは、こんな風に送り出せてよかったなと思える葬儀になった。

(度々出てくる「そこまでしてもらわなくても」にいろんな自分が透けて見える。これはよくよく見つめてみたい案件だと思った。本当はどうだったらいいのか? それを見えなくする衝立をそこここに立てているようだ)


お経と木魚の音と。いわゆるお葬式の音に包まれていたら、賑やかに楽器が鳴り渡り、お経と相まっての大合奏。お祭りのようなにぎやかさかと思えば、スーッと静まりお経が際立ち御詠歌が染み入る。
静と動のような繰り返しにも意味があるのだろうか? お別れは悲しいけれど、お父さんの新たな門出をみんなでお祝いしているような気持ちになってくる。

お父さんもなんだか嬉しそうだ。って、遺影が笑顔だからそう見えるだけなのかもしれない。逆に、「あんなに音が大きかったらびっくりして起きちゃうよ」などと言っているかもしれない。お父さん、起きてこなくてよかったです。


もうこの頃には気持ちの整理はできていた。お父さんにも、家族にも、参列してくれた方々にも、お坊さんにも、葬儀屋さんにも、関わってくれたすべての人にありがとうという気持ちでいっぱいで、悲しいけれど幸せという不思議な気持ちだった。

棺にお花を入れていくとき、母が
「お母さんの好きなお花いっぱい入れてあげる」
と、最後まで花を添えていたときは危なかった。一瞬うるっときたけれど、もう涙はこぼれない。

お父さんはお花が好きな母のために、家族旅行で出かけた先ではいつも花の展覧会とか植物園に寄っていた。子供の私は点で興味が無くて「また花~?」と思ったものだ。
母のため、子どもの私たちのため、いつもお父さんの時間はあった。自分の楽しみと言えば仕事終わりのお酒とお笑いのテレビを見ることくらいだったろうか。他にもあったのかもしれないけれど私はお父さんの趣味をよく知らない。強いていうなら「家族が趣味」のような人だった。

晩年になり心もとない様子が多くみられるようになってからも、「お母さんにはお父さんがついているから大丈夫だ」と言っていた。母にこのことを伝えると「何言ってんの、逆よ」といつもの冗談を受け流すように笑っていたけれど、お父さんはいつまでもお母さんを守れる存在でいたかったんだよな。

いけない。ひとつのことから芋づる式にいろんなことが思い出されてくる。
大好きだった(であろう)お母さんに見送ってもらえて良かったね。

お父さんはお花いっぱいに囲まれた。どう感じているのかな。といってももう感じるということはないのかもしれない。でもどこかで見ていてくれそうな気はする。どんな気持ちで見ているかな。


お父さんを送り出すセレモニーの終わりまであと少し。全てお膳立てしてもらい何をするでもないけれど、見届けるという役目を果たすのみだ。


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葬儀の始まる前に、祭壇をバックに家族写真を撮っていただきました。

後日、出来上がった写真を見ると、色とりどりのお花に囲まれて笑顔の(写真の)お父さんに比べて、そろって黒い服を着てなんだか疲れてそうな私たちの姿がとても対照的で、思わず笑ってしまったのです。

「いちぬけた。がんばってね~」
とでも言われているかのような画。
死んでしまったお父さんのほうが晴れ晴れと幸せそうに見えました。

死は悲しいもの。忌むもの。暗いもの。そんな概念がぐるっとひっくり返った。もちろん、そう受け止められる死ばかりではないのだろう。これもお父さんの死を通して私が感じた、ひとつのお別れの形にすぎないけれど、お父さんのことは心配ない、また会えるときまで私たちはここでしっかり生きようと、この写真を見るたびに思います。

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