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お父さんの脱体(10)~旅立ち~

1日、1週間、1ヵ月と時は過ぎ、少しずつお父さんの死というものがなじんでいく。

この間、葬儀にこれなかった遠方の親戚や、お父さんの学生時代の友人の方からお手紙やお供えが届いて、知らなかったお父さんの人生に触れられた気がした。親戚やご近所の方々が、母を気にかけて足を運んでくださったり、私も友人からの手紙や言葉をかけてもらったり、話を聞いてもらったり。心を寄せていただいて、言葉を届けていただいて、ありがとうございますが溢れてとまらない。

日常に戻ったら戻ったで意外と普通に過ごせるもんだと思いきやふと悲しくなったりもして、まさに行ったり来たりしながらの49日。

あるとき、亡くなったお父さんとの対面の瞬間や、寝れずにお父さんの顔を見に行ったことをわざわざ思いだそうとしてると気づいたことがあった。間違いなく悲しくて、間違いなく泣くのになんでわざわざ?

私は悲しみたがっている。

なんで?

お父さんを忘れたくない。

お父さんが死んでしまって悲しいと感じることは、お父さんがいたと感じられることでもあった。お父さんと過ごした時間や、お父さんから受け取ったたくさんの愛を感じることと、悲しくて苦しい今をイコールで結んでいるような気がした。イコールというか、ひとつの中の両極という感じかもしれない。

悲しみたければ悲しめばいいし、どんだけ泣いたっていいけど、"わざわざ”しなくてよくない? 胸に苦しさを感じて涙を流し続けることをしてもしなくてもお父さんはいたし、っていうか体を脱いで今もどっかにいるんじゃなかったっけ? なんて自分で自分にツッコんでしまう。
そして思うのだ。なんでもいいけど、お父さんが慈しんで育ててくれたこの私を存分に生きようよ。

そう思ってみては、またふと泣きべそかいたりもするのだけど。しょうがない、それはそれだ。


49日の法要を終えて、実家のドアを出ると。お向かいさんの垣根に、脱皮して留まっているセミを見つけた。時間は夕方。まだ空は明るい。セミの脱皮を見るのは初めてだけど、何? こんなわかりやすいところで脱皮してるものなの? 驚きながらも息をのむ。なんか大きな声を出しちゃいけない気がして。

触れずとも繊細な質感を感じる羽。すごく美しい薄緑色をしている。生まれたてのセミ。成虫に生まれ変わったセミ。触ったら壊れてしまいそうに儚げでいて、くっきりととした輪郭と体の大きさ以上のキラキラしたヴェールをまとっているような「希望」の2文字がよく似合う姿。しばらく見惚れてその場にとどまった。

お父さんもこんな風に体を脱いでいったのかな。セミは1週間で死んじゃうけど、お父さんはもう死なない。だってもう死んでるから。なんて自分で言って笑ってしまう。
それは今の私が見ているお父さんの今生での死だ。お父さんの魂は今もどこかにいるのだろうな。楽しくやってくれていたらいいな。

お父さんの娘で幸せでした。どうもありがとう。


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最後に遺影についてひとつ。

高齢者施設で働いていたとき、入居者さんの中にこっそり遺影をご用意されていた方がありました。これを使ってほしいと。
その話をきいてから、私も両親の写真をことあるごとに撮るようになりました。「遺影にいつでも使えるように」と冗談めかして言いながら。

父の遺影に使ったのは、亡くなる約1年前、コロナの最初の緊急事態宣言が解除されて一緒に食事をしたときのものです。

ものすごいニコニコと笑ったいい写真ではあるけれど、こんな笑ってるの遺影にしていいんですかね? と思わず葬儀屋さんに聞いてみたほどよく笑ってる写真です。

葬儀の時も、この写真で良かったと思ったのですが、後になって母が「今は何を言っても笑ってくれるからいいね」と言うのを聞いた時、この写真にして良かったと改めて思いました。

晩年は頑固さが増して、そばにいた母を始め、病院の看護師さんやデイサービスのスタッフさんを手こずらせてこともたくさんあった父ですが、私が思いだす父はダジャレを自分で言って自分で笑ってしまうような、笑顔の父でした。

遺影を見るたびに体の中に温かさがひろがる。
笑顔であるかに関わらずその人らしいなと感じられる遺影がいいなと思い、今またせっせと母の遺影を撮っています。
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