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お父さんの脱体(1)~県外者~

「今晩が山かもしれないので、ご家族の方(ひとりだけ)面会を」

入院中の病院から連絡があったからと、母が病院に向かったのが5月13日(木)のこと。コロナ禍で面会できずにいたため、再入院から約一週間ぶりの対面だった。

目を開けることもなく、母とわかったかもわからない状態。何をされるかわからないと感じたのか、最初は母の手を振り払ってなかなか触れさせてくれなかったらしい。少しすると落ち着いて、手を握り返してくれたのだという。「わかってくれたんだと思う」と感じた母の実感が全てだと思った。

いつお迎えが来てもおかしくないと覚悟していた二日後の夕方、母から電話がかかってきた。病院から知らせが来たと。テレビドラマで何度も見たことのあるあのシーンだ。「ご家族に連絡を」

私たち夫婦は県外に住んでいたのだけれど、ちょうど別件で近くに来ていた。二日前のことがあったので、いざというときに備えて喪服も持って。縁起でもないか? もしものとき行き来に時間を使うより、両親のそばですごしたいという気持ちが大きかった。

母から電話がかかってきたのは、自宅へ戻ろうとした帰り道、今が一番お父さんの病院に近いという所でのことだった。
「お父さん、もし今日がそのときなら、今一番近くにいるよ。すぐに会いに行ける所に今いるよ」
良いのか悪いのか、念じたのが通じてしまったなと思いながら病院に直行した。
頭をよぎるのは、コロナ禍にあって、県外者の私たちが面会できるのか? とうことだった。


すでに病院に到着している母に面会について聞くと、「大丈夫でしょ」と意外とあっさりとしている。母は意外とそういうところがある。想像するに、もう今生のお別れというタイミングで家族が会えないなんてことある? というような、なんの疑いももってないような返事だった。

そうだ、しれっと入ってしまおう! と、勢いで受付をスルーした。しかし病棟の入口を前にしてさすがにまずいだろうという気持ちになる。一応看護師さんに確認することにした。

答は、
「PCR検査は受けてます? 受けてないということでしたら、病院の中にも入っていただきたくないですし、お母様との接触も避けていただきたいです」

わかりましたというしかなかった。
こんなこと、好きで言いたい人なんていないだろう。そしてスルーしてここまで来た私のほうに非がある。言わせてしまってごめんなさいとさえ思う。でも悔しくて仕方がない。年明けいらいずっと会えてなかった。もう今生の別れだっていうこのになんで会えないの⁈ すぐそばにいるのに。 


外にとめた車の中で待つこと数分後、母から「亡くなったよ」の電話を受けた。2021年5月15日18時55分。お父さんの旅立ちの時間はなんだか5が多い。

母が面会できたときは、もう息も止まっており、まだ心臓だけが動いていたという状態だったそう。母の声はとても落ち着いている。

私はというと、どうしようもなく心がうごめいて涙が止まらなった。悲しさ、寂しさ、悔しさ、もどかしさ、と名前が付くような感情たちがぐちゃぐちゃに大騒ぎ。
それと同時に、いざというとき葬儀社さんをどこにするか? 数日前に母と話をしていたことを良かったなと思う自分もいた。

数分後には少し落ち着いて、ブルブルとなっていたスマホを手に取った。こんなときにスマホかよ! と、自分に突っ込みながらもLINEを開くと、来月の食事会の連絡だった。グループ内での明るい絵文字とスタンプのやりとりが今の自分の状況とかけ離れすぎて感情が挟まる余地もない。来月の私はどんなだろう? と思いながら冷静に「OKです」と返事をする自分を不思議に思った。

じっと黙って隣にいてくれたダンナさんは、忌引きの連絡を会社にするべく静かに車の外に出て電話をかけている。

これからお父さんのお見送りだ。

亡くなったお父さんと会ったら私はどうなってしまうのかという緊張と、ようやく会えるという安堵感のようなものが混ざり合った不思議な気持ちで、お父さんの遺体が運ばれる葬儀会場へ向かった。


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まず、いくら家族の最期がせまってるからとはいえ、制限下の中、断りもなく病棟の入口まで入るという行動をしたこと、日々命と向き合っている医療従事者の方に言わずにすむ言葉を言わせてしまったことを、この場を借りてお詫び申し上げます。

このときのことを後で振り返ってみたときに、思ったことがあります。

息があるうちに会えることがそんなに大事なこと?

会えたら会えたで、もちろん「会えてよかった」「間に合って良かった」と思ったのだろう。見送れた、立ち会えた、これで良かった。せめてもの責務を果たせたようで、自分を肯定できるひとつの理由にもなり得る。

でも、見送れなかったからなんだというのだろう。そのときでき得る一番近い場所で想いを寄せて過ごせた。それでいいじゃないか。というこれもまた、自分を肯定したいだけの文句なのかもしれない。でもそれで気持ちが楽になるならいいじゃないか。

「こうできることが幸せ神話」みたいなものを自分の中に見たのです。どうやらそれは、他にもいろいろとありそうな気がしています。¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨







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