主体の客体化・学校教育


自分の世代が食らってきたのは明らかにこれ。
是非を選べない。
価値観を刷り込まれ、実感を伴わない競合を強いられる。
つまり、各々が自分に対する権利が無いという事になる。
当然それでは誰も責任を負わないのだ。

「権利の無い人間は責任を負わない」 当然だろう。

教師や親の言われた通り、言われた事をやるだけなら、
本人じゃなく指示を出す人間が自分の責任担当者となる。
つまり自分は他人が指示を出していると、そういう刷り込み。
権威に判断をゆだねるという事だ。
他責マインド、他力本願のルーチンワーカー、暗記脳。

これで皆、思考力を失い魂を抜かれて行く。
心が無くなり、ケモノ化してゆく。
残るのは情緒とポーズ、こうやれば成績が上がるという経験則。
実体を無視した優劣判定だ。

悪いが教師が見てるのだって損得であって生徒じゃない。
この子を敵に回すと授業がやりにくくなるとか、
或いはこの生徒の親は有力者だから媚びておこうとか、
このガキは親がアレだから成績を下げても問題ないとか考える。

つまり、誰も何も責任なんて負わない構造になっている。
「誰かがきっと考えてる」と、
主体の無い人間同士がたらい回しで他人をアテにするのだ。

この宙ぶらりんの中で勝手に子供の人生の指針が決められる。
おそらく最初の目的地点は学歴だろう。
学歴を得る効率のいいやり方は、無理に理解をせず暗記する事。
しっくりこなくても正解だと言われて従えばスコアが上がるのだ。
実際は間違っていてもいい訳だ。
賢くなる必要は無い、点数を得る事が重要だ。
あとは野となれ山となれ、疑問を挟む余裕なんて無い。
勉強は理解するのではなくただひたすら覚えるのだ。
コツを掴めば理解をショートカットして鵜呑みが出来ると。

これにより思考停止のルーチンワーカー、ロボット人間ができる。
コントロールするには非常に効率がいいと。

こうして垂直思考で機能的な労働力が量産できる。
責任は誰も負わないにも関わらず、提示された指示に従う。
プログラム通りに行動する。

全ては力学が指針、強い者に従い、弱者に命令すればいい。
そうやって統率されてきた。
もしかしたら平和な時代はこれで良かっただろう。
ルーチンワークのルールに従えば成果が出たかもしれない。

しかし誰かがその裏をかいたとしたら?
見えない変化が発生したとしたら?

普遍な物が無い以上、自分も変化するしかない。
しかしそれは出来ないのだ。
想像力は失われた。
既得権の維持の為、論理を捨ててしまったから。
間違っていると知りつつも、報酬が発生していたから。

その木にはもう実はならない。
ヤドリギが密集している立ち枯れだ。

その海にはもう魚は居ない。
なのに来る日も網をうち続ける。

それしか知らない、思いつく事も無い。
意味も無く反省もせず同じ失敗を繰り返す。
遠い過去の成功が忘れられず、ひたすら繰り返す。

そんな社会になっている。

俺の言う事に反発する人も居るだろうが、
だったらそこにカウンターして欲しい。
どう間違っているかを掘り下げてもらえれば、多分そこに答えがある。
各々が疑問を持ち、試行錯誤して変化し続ける必要がある。
それをやらない人間がどうやって何かを語れるのか。

おしまい

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