関西の大学生。思考のゴミ置き場。アウトプット練習中。 いつの日か物書きになりたい。

関西の大学生。思考のゴミ置き場。アウトプット練習中。 いつの日か物書きになりたい。

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はば

 彼は買ったばかりのカメラを片手に家を出た。特に何か目的があったわけではない。ただなんとなく、師走の喧噪を離れて、年を跨ぐ非日常に浮き足立つ空気から離れて、ひとりになりたかった。せっかく実家にまで持って帰ってきて、道中ずっと鞄を膨らませていたモノを使わずじまいでいるのを、惜しんだからかもしれない。ここ数年で身についた、地元での時間の潰し方だ。都会での生活に知らず知らず溶け込んで、日々眼の前にある物事に追われる彼にとって、ここに流れる時間は長すぎた。  玄関を出てまっすぐ北へ。

    • 「#有意義な夏休み」

      毎年毎年言われてきた人も多いんじゃないだろうか。主に灼熱の体育館で。 今の学校での全校集会はどうなっているんだろう。コロナ禍の頃はオンラインや校内放送で済ませている学校も多かったけど、徐々に現場も戻りつつあるからなあ。ちなみに実習先の高校は当たり前のように全校集会がありました、女子みーんなマスクしてたけど。今みんなどうしてるのかなあ……人に恥じないことをしていれば、なんだってやればいい。それは自分にもいえるけど。「○○の生徒としての自覚」なんて、あのときはなかった。何なら今も

      • 「せっかく」の魔力

        今まで生きてきてなんとなくわかったことがある。自分は「せっかく」という言葉、もっと具体的に言うなら「今しかない」という響きに弱いのだということ。「限りあるもの」「時間限定」「ここでしか」などなど、なんと言い換えてもいい、あるタイミングを逃すともう二度と出会えないかもしれない……といったものにどうしようもなく惹かれてしまうのだ。スーパーなんてもはや魔境、limitedの嵐である(主婦の思考)。 「せっかく」の種は、僕たちの周りの至るところに転がっている。せっかく遠出してきたし

        • ひとといる、ひとりといる

          元々誰かとずっと一緒に居続けるのは苦手な性格だった。たぶん、生来のものだ。家族と住んでいた間も、常に家の中には誰かしらが居て、常に話しかけられたり気にかけられたりしていた。それが安心材料になっていたんだということを、一人暮らしを始めてから痛感した。けれど、当時はうっとうしくてたまらなかった。思えば何か嫌なことがあるとすぐ、「ひと」から離れてひとりで布団にくるまってうだうだしていることが多かった。あの逃避行動も「ひと」から逃れたい、目線から外れたい願望の表れなのだろうか。小さい

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        はば

          「見る」「見られる」

          どうもこんにちは、全く予想外の方向からこのnoteのアカウントがバレていてテンパり倒した弦です。やっと落ち着きました。 確かによさげな記事が書けたときはTwitterに流した時期もあった。けどさすがにアクセス数も大した数ないし、大学の部活仲間とか文学部のTwitterよく見る人たちあたりが読んでるのかなーと思って完全に受け流してた。 気が緩んでたから、特に最近はリンクをTwitterに貼ったりしなかったとはいえ、就活のゴタゴタや家庭環境なんかも流したりして、これ読む人によっ

          「見る」「見られる」

          4

          これ、なんの数字だと思います? 4秒考えてみてください。 1、2、3、4。 はい、終わり。ハイ終わりハイ終わり! それじゃあ答案を隣の人と交換してください〜 とまあ下手クソな塾講師モノマネはさておき(書いてから気づいたがいつもやらせてる小テストも4分間だった、どうでもよすぎる)、最近この数字に色々思うことがあるなあと。 まずは「4」回生だということ。学部で卒業するなら大学にいられる最後の年だ。悔しくて仕方ない。それはもう。院進すると決めて勉強に励んでいる同期やらしれっ

          見栄と見えるもの

          親しい人にはもう話していましたが、自分は今民間企業への就職活動をしています。そちらに労力を全部振り絞っているため、卒業論文も教員採用試験も今のところ何もダメです(前者は書かないと卒業できないけど)。 小学生の時から教員を目指し、中学高校浪人と全くその気持ちに変化はなく、大学も教員免許が取れる中で1番やりたいことができるところに行った自分。 なんで今この進路変更? 改めて、『なんで就職活動をしているのか』を考え直さなきゃいけなくなったので備忘録として書いておきます。 ①教員と

          見栄と見えるもの

          のたうち回り①進路

          毎日夜になると何も手につかなくなるので、少しでも前に進むために書きます。このままじゃほんとにダメになってしまう。 そう、進路が決まってません。とはいえ、大多数の大学3年生がまだ決まってはないんだろうけどね。 文系学部3年生がとる可能性のある選択肢は以下の通り。 ①民間企業就職 ②国家・地方公務員(学芸員なども含めて) ③中学・高校教員 ④大学院進学 ⑤休学して留学やら長期インターンやらなんやら 今の自分は①と③を同時並行しているところ。初めは②も考えたけど、教員との両立

          のたうち回り①進路

          なんでこんなにのたうち回っているんだろう?

          正直これに尽きる。うん。大学3年も終わりかけ、レポートも残り1つ、バイトもまだ研修だから楽っちゃ楽、サボってもないからあとは卒論書いて卒業するだけ。卒論だって自分の専門分野で書けるんだからワクワク。人生ハッピー! なわけなかろう。 比喩じゃなく本当に毎日のたうち回っている。部屋の定位置で毛布にくるまりながら呻いている。何一つ未来が見えないからだ。不確定な要素が多ければ多いほど、僕は不安を感じやすい。誰しもそうか。 今の自分を苦しめているもの、ざっと上げただけでもいくつか浮

          なんでこんなにのたうち回っているんだろう?

          滴したたり落ちて

          梅雨(セカンドシーズン)も終わりかけなので、いろいろ思ったことを書いてみようかなと。久々に。note更新してなさ過ぎなんだよな……。「思考のゴミ置き場」が大分長いこと空っぽだった。というかゴミ置き場に入ることもなく放り出されていつしか消えていった。 ……上の文章を書いてたのが去年。「思考のゴミ置き場」の存在すらなかったことになってホコリが積もりに積もってた。なんでだ???? noteを開くより前にTwitterに思ったこと垂れ流しすぎなんよな……。でもそこから延々放っといた

          滴したたり落ちて

          合わせ鏡を見つめてー学び

           2021年にあった大きな変化はこれだけではない。大学生の本分とも言える学びにも、大きな動きがあった。  僕は文学部の日本文学・国語学専修に所属している。多くのひとが、「文学部」と聞いてイメージするようなことをそのままやっている専修、といえばわかりやすいだろうか。日本の古代、近世、近現代の文学を微に入り細を穿つように読んで、眼光紙背に徹するのである。……要は高校までの「国語」の授業をより細かく詳しくやるのだ(日本語自体の歴史について考えていく国語学も同じ専修なのだが、自分は

          合わせ鏡を見つめてー学び

          合わせ鏡を見つめてー出会い

           2021年は、自分自身を取り巻く環境が大きく変化した1年でもあった。最大の変化は、サークルに入り直したことだ。  まず、軽音楽部SWING。様々な理由で一旦音楽から離れてしまった自分は、それでもやはり音楽との関わりを断ち切れなかった。せめて大学生のうちは、音楽の中で遊んでいたかった。病みつきになってしまったのだ。ステージの上でパフォーマンスをする心地よさに。なんでこう書いたかって、半分病気のようなものだからだ。うっかりすると他のすべてを手放してもいいとすら思えるほどに。

          合わせ鏡を見つめてー出会い

          合わせ鏡を見つめてーはじまりとつづき

           もうすぐ2021年が終わる。「どんな1年だったか」というお決まりの質問をされたら、「合わせ鏡をのぞき込んだ1年だった」と答えるかもしれない。自分自身と、自分を取り巻く環境と、自分を駆り立てるものを見つめ続けた1年。長くなるけれど、自分自身の言葉で書き残しておきたい、そんな1年だった。  2021年に入ってすぐ、一浪している僕は成人式を迎えた。コロナ禍によって短縮された式典だけの質素なものだった(そして今も延期になったはずの同窓会の連絡はない)けれど、ひとつ節目を迎えた気が

          合わせ鏡を見つめてーはじまりとつづき

          桜の花びら散るたびに

          桜が好きだ。数ある花の中でもいちばん。春に咲く花のなかでも最もポピュラーで、最も数多く花開き、最も消費され、それでいて最も儚い花。日本全国に植えられているソメイヨシノは実は全てひとつの木のクローンであり、開花時期がぴたりと揃うのはそれが理由であるという。この逸話を聞いてからはますます、桜の儚さを感じるようになった、気がする。あの薄桃色の、少しの風にも散らされてしまう花びらが、今にも消えてしまいそうに感じるからだろうか。 ところでここまで書いてきて気づいたけど、桜の花びらの色

          桜の花びら散るたびに

          あたまテカテカ、さえてピカピカ

          note始めてから気の滅入ることしか書いてないし、ここらで僕の大好きなものについてどこまで書けるかやってみようと思う。すなわち、ドラえもんについて。 藤子・F・不二雄先生が1969年から小学館の学年雑誌で連載をスタートした児童向け生活ギャグ・SF漫画作品だ。今更説明するまでもない。誰もが一度は姿を見たことがあり、誰もが一度は声を聴いたことがあり(新旧どちらのものかはさておき)、誰もが一度は漫画やアニメで見ていくつかのひみつ道具を、物語を知っている……まさに国民的作品。 多

          あたまテカテカ、さえてピカピカ

          一人ブラック企業

          ※読んでてしんどくなるかもしれないのでスルー推奨です、ごめんなさい。 この表現を見たとき、本当にびっくりした。自分の状態をこれほどぴったり表している言葉に初めて出会ったから。 要は自己肯定感が低すぎるのだ、たぶん。自分のことを自分が一番信用できていないから、何をしても自信が持てない。決断も選択も何か一つするごとに、「もっとこうするべきだったのでは」「自分のあの行動はどうだったのか」という一人反省会が規模を問わずに開催されてしまう。ひとに迷惑をかけることがなにより嫌だから、

          一人ブラック企業