合わせ鏡を見つめてーはじまりとつづき

 もうすぐ2021年が終わる。「どんな1年だったか」というお決まりの質問をされたら、「合わせ鏡をのぞき込んだ1年だった」と答えるかもしれない。自分自身と、自分を取り巻く環境と、自分を駆り立てるものを見つめ続けた1年。長くなるけれど、自分自身の言葉で書き残しておきたい、そんな1年だった。

 2021年に入ってすぐ、一浪している僕は成人式を迎えた。コロナ禍によって短縮された式典だけの質素なものだった(そして今も延期になったはずの同窓会の連絡はない)けれど、ひとつ節目を迎えた気がした。気を入れ直してまた生きていこう! そう思って大阪に戻った。

……はずだった。

 大阪に戻った自分を待っていたのは、原因不明の体調不良だった。微熱が1,2ヶ月出続ける。息がしづらい。胸が痛い。動悸が耳について眠れない。身体が震えて止まらない……真っ先にコロナ感染を疑った。同時に地元で自分が家族や大勢の友達と会い、話してきたことに気付き目の前が真っ暗になった。自分が不用意に動き回ったせいで家族や友達が感染してしまったら?  高齢の祖母はどうなる? もし万が一後遺症が残ったら、亡くなったら……
 様々なことを考え出したら止まらなかった。横になっても息が苦しくて眠れない。夜中に起き出してパニックになり、部屋の中を歩き回った。深夜三時に親に電話をかけようとして思いとどまり、ひたすら呼吸法をネットで検索してどうにか落ち着いたこともある。
 白黒はっきりついてしまうのを恐れて検査に行くのが少し遅れてしまったが、結果は陰性。しかしもらった薬を飲んでも症状は治まらない。信用できずにもう一度検査に行ったが、それでも陰性だった。ならもう大手を振って町に出ても良いのだが、自分はここで立ち直れなかった。得体の知れない不調を抱えている自分自身が信じられなかったし、帰省から戻って早々に親を頼りすぎていることにも大きな罪悪感を感じていた。なにより立ち直れなかった最大の原因は、帰省することで一瞬忘れることができていたあらゆる悩みが、大阪に戻ってきて一人になったことで蘇ったことにあった、と今なら思い至る。成人式に出るために少し長く実家に居たことがかえって裏目に出てしまったともいえるだろう。

 そこからは、自分を騙し騙し期末期間を乗り越えた。突如涙が止まらなくなったり、身体が震えて止まらなかったりしたものの、幸か不幸か期末レポートが大量にあり、それに集中することで一瞬しんどさを忘れることができた。
 しかし、期末期間を乗り越え春休みに入ると、いよいよやることがなくなった。そして残ったのは何をすればいいのかもわからない膨大な時間だけだった。週1回の小学校のアルバイト以外はひたすら家で自分の思考と向き合い続ける日々。そのうち身体が重だるくなり、思うように動けなくなった。食欲がなくなった。思った速度で歩けなくなった。テレビも音楽も本も、それまで好きだったものたちに触れる気が起こらなくなった。なのに、「ああ、今日もまた一日何もせず終わってしまった」という焦りだけが消えてくれなかった。スマホの通知が来るのが怖くなって、バイブ音が鳴るたびに縮みあがってしまっていた。手持ち無沙汰でSNSをついつい見てしまっていたのもそれを加速させていた(これは今でもやってしまうけど)。
 今思えば明らかに異常な状態だったのに、病院に行こうという発想がなかったのは、まだ病名がついてしまうことに抵抗があったからかもしれない。そのくせスマホをいじって「うつ病診断」なんてページをひたすら眺めていたり。「何もしていない自分がそんな大層な病気になるわけがない」という考えもあった。「動こうと思えば動けるのなら、他人を頼ることもないんじゃないか?」と。他人を頼って助けを求めること、お金を使ってまで自分を労ることに罪悪感がどうしても拭えなかった。3月になればまた帰省する。実家にいればなんとかなる。当時の心の支えはそれだけだった。

 そんな状態に変化があったきっかけが、週1回の小学校でのアルバイトだ。授業を受けている子どもたちと直接話し、触れあうから、必然的に仕事中に人と会話をする機会も多くなる。時には自分のしたことに先生から感謝されたり、子どもたちが笑顔を向けてくれたりもする。
 いつもならそんなとき、飛び上がるくらい嬉しくなっていた。自分がここに居て良かった、と思うことができていた。でも、その当時の自分は何も心が動かなかった。中途半端な笑顔を浮かべ、そのまま。心臓はずっと鈍く痛むまま。そんな自分に、自分自身が衝撃を受けたのだ。たいした感慨もなくやり過ごした自分に驚きを隠せなかった。そこでやっと、「今の自分の状態は異常で、このまま放っておくわけにはいかない」と思うようになった。これがだいたい2月の半ばくらい。

 バイト帰りの最寄り駅で、ふらふらになりながら大学の学生相談室に連絡をとった。そのときの応対してくれた温かい声は今でも覚えている。予約が一杯で2週間後しか空いていない、とすまなそうに言われたけれど、まだ遠い帰省の日程よりも、身近に希望があるだけでかなり気分がマシになった。とはいえ、その2週間も気分はよかったりよくなかったり。2週間なんて耐えられない、と思う夜も、全然人を頼るほどの状態じゃないな、と思う夜もあった。
 カウンセリング当日、初めて訪れる学生相談室に多少気圧されていた僕をカウンセラーさんは優しく迎えてくれ、つい言葉に詰まって自分でも何を言えば良いのかわからない状態だったのに、それでもこぼれてくる不安や恐怖、罪悪感を静かに受け止めてくれた。そして、「あなたは今まで凄く頑張ってきたんですね。責任感を感じて。でも、もう少し肩の力を抜いてもいいと思いますよ(意訳)」と言ってくれた。涙が止まらなかった。まさか自分がここまで人前で泣いてしまうとは思わなかった。自分は誰かに、親や友達ではない誰かに話を聞いてほしかったんだ、とここで気付いた。

 2回のカウンセリングと、心配して様子を見に来てくれた親のおかげでかなり心は軽くなった。でも、念願の帰省をしてこれでもう大丈夫だ、と思ったのに、20歳の誕生日前後にはまた不安や罪悪感がぶり返し、部屋で泣くような状態が短いスパンで続いた。親から再三「心療内科に行くように」と言われていたのに、症状が以前より軽くなっていたこともあって、結局本当に行き始めたのはGW後だった。
 僕を診察してくれたのは3~40代くらい(推定)の女医さんだった。それだけで少し安心できた。年の離れた男性に少し苦手意識のある僕にとって、話を気軽にできそうだ、というだけで大きな救いになった。
  先生は僕の話をひとしきり聞いた後、僕の状態を「うつ病と自律神経失調症の間」だと言った(多分人に話を聞いてもらって、帰省もして少し回復していたからこその診断なんだろうと今なら思う。前半の状態はほぼうつ病状態だったんじゃないか)。そして、そこから薬物治療が始まった。
 初めは2週間に一度、細かくその間あった出来事を聞いて、症状の状態を聞いて、薬の調整をするような診察だった。だんだん頻度は減り、薬の種類や量は安定したけれど、今でも一月に一度病院へ行って、話を聞いてもらいがてら薬をもらいに通院している。半分カウンセリング感覚で、忙しくて大変だったこと、思い悩んでしまったこと(そのために今月薬が増えた)をひたすら僕が話し、先生がそれに答える時間。ちょくちょく予定を入れすぎていることに釘を刺されたり、考え方のクセを「でもそれは○○ですからね~」と指摘されたりはしているけど、毎回20分もかからない。自分のことを聞いてもらう時間を持てているのはありがたいな、と素直に思う。

 当初は「早く薬に頼らずに済むようにならなきゃ!」という焦りもあったけど、最近は自分自身と向き合う時間を持つ、そのためのツールだと思うようになった。不安や焦り、罪悪感で心を一杯にしていたら、本当に大切なことが見えなくなってしまう。自分自身がどんな風に思い、考え、望みを持っているのか、本当の意味で大切にしてあげられるのは自分しかいない。そのことを教えてくれたのは、紛れもなく今回の一連の出来事だ。

 先生に言われたみたいに、大学生の間に「自分働き方改革」出来ることを目指して、僕は今日も僕を生きていく。特別な「何者」でもない、「僕」になるために。そのスタンスを忘れなければ、きっとこの先なんとかなる。
 これが、一年間自分自身の心をのぞき込んで、自分の中から出てくる言葉と向き合った僕の結論だ。

P.S.今になって書けてない思いが蘇ったので。Twitterにダラダラ書いたことではあったけど。
めちゃくちゃ元気で薬飲むのも若干忘れかけるくらいの状態の今ですら、1人になるとよぎる思考だからもはや本能レベルでのこと。僕は多分、根本的に他人も自分も心の底から信用しきれていない。他人が腹の底で何を考えてるかなんて分からないし、顔を見てて話してもそう思うのに文字だけのやりとりなんて尚更。だから、人を遊びに誘ったりする時も半分冗談みたいなノリでしか言えないし、文字で誘う方がまだハードル低いけどかなり迷った末のこと。しかも大体成就しない。かろうじて誘えても基本2人きりになる。定期的に会えてる人ならともかく、特に帰省してる時みたいに全然連絡とってなかった人に話すのなんてほぼ拷問。一言でいうなら常時ATフィールド全開!! だ。
  こういう思考、たぶん「自分なんかが(性別問わず)他人に好かれてるわけがない」「自分が連絡したところで相手にとってプラスにはならない」「今までの経験上自分が誰かを誘ってなにかしようとしても基本上手くいかない」みたいな固定観念がずっと張り付いてるからなんだろうな。自分自身が自分のことを客観的に見ても愛せない(自分の行動を思い返しても、『頑張った』とは思えるけどそれが『結果に貢献した』『周りにも受け入れられた』にはならない)のに、その程度の価値しかない人間を他人が愛してくれるわけなんかないと思ってる。じゃあ自分にとって他人はそうなのか、といえば全くそんなことはない。誘ってもらえれば、連絡してくれれば飛び上がるほど嬉しい。やろうと思えば愛をつづった怪文書が出来上がってしまう。でも何故か自分のことになると思考が捻じ曲がる。「他人は自分とは違う」という言葉がこんな時だけ頭に浮かぶ。
  とはいえ、人嫌いなわけではない。他人とずっと関わっていたいのだ。でも、ひとつの所にずっと依存して集中して、いざそれに裏切られた時、思い通りにいかなかった時のことを想像するとたまらなく怖くなる。だから僕は、所属もかける時間も分散して、広く浅い交流を取った。それで心の平穏は得られた。狭く深い交流で、弛まぬ努力で、きちんと結果を出した人を間近で見ていると心がざわつくけれど。当たり前ではあるが、広く浅い交流とは、誰とも深い仲にはなれないことと同義だ。どのコミュニティにいても覚える疎外感と孤独感、そして自分と仲良くしてくれている人たちには、誰だって自分よりも大切な存在がいるのだ、と感じる時のどうしようもない嫉妬心と不安感。だからSNSを見るのもたまにたまらなく怖くなるのだ。「ああ、自分もその場にいられたはずなのに、自分じゃない人たちを取ったのか」と考える醜い自分が表に出てきてしまうから。

  でも、それでも、だからこそ、『自分自身』をちゃんと持っていればこうした揺らぎも、戸惑いも、不安も嫉妬も和らいでくるんじゃないのか。今年に入ってようやく実感できたことだ。これが少しづつ大人になってきたということなのだろうか。だとしたら思春期長すぎですね。
  僕を取り囲んでくれる皆さま、もうちょっと待っててください。やっと兆しが見えてきたところ。他人の言葉に振り回されるんじゃなくて、自分の言葉で他人をかき乱せるくらいの強さを見せられる自分になりたい。

  今更ながら不安になってきたけど、Twitter本垢からここまで辿る人そういないよな??? いたとして後生だから見なかったことにしてくれ、リアルでこれの話題出されたらそこがどこであれ飛び降りるしかない。

まあいいです、これにて禊完了!!!! 深夜テンションで書いた文を起きてから推敲するのもうやめよう!!!!!
2021/12/31 追記

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