一人ブラック企業

※読んでてしんどくなるかもしれないのでスルー推奨です、ごめんなさい。

この表現を見たとき、本当にびっくりした。自分の状態をこれほどぴったり表している言葉に初めて出会ったから。

要は自己肯定感が低すぎるのだ、たぶん。自分のことを自分が一番信用できていないから、何をしても自信が持てない。決断も選択も何か一つするごとに、「もっとこうするべきだったのでは」「自分のあの行動はどうだったのか」という一人反省会が規模を問わずに開催されてしまう。ひとに迷惑をかけることがなにより嫌だから、できる限り自分でどうにかしようとして、でもそんな能力そうそう備わっていないから、結局ひとの手を煩わせ、ひとに愚痴を吐き倒し、そんな自分にほとほと嫌気が差す(今の自分はこの状態な気がする)。ひとに愚痴を吐き倒してアドバイスをもらっても、自分の中で消化しきれていなくて何度も再考する。その過程も自分をえぐっていく。いまも、ほら。

そして問題なのは、気分転換も下手……というかなにかほかのことをしていても常に抱えている問題が頭のどこかに残り続けていること。だから心が休まるヒマがない。あと、「考えて折り合いをつけないといけない」という意識や問題に向き合わないことに対する罪悪感のようなものもあるのだろう。今回は大阪に戻ってから一ヶ月、寝ても覚めても悩みが頭を離れてくれなかった。ベッドから動く気力もないときもあった。誰かに会って話すとかなり心は軽くなるものの、その後で倍くらい憂鬱になる。前までひとりで楽しめていたことに、心がそこまで動いていないことに恐ろしくなる。気分の浮き沈みも激しく、今もまだ完全に吹っ切れたわけじゃないのだろう。だからこんなnoteを書いている。

この状況、何かに似ている。タスクをひとつ片付けても次から次へとタスクが湧いてきて、周りに助けを求めることができず、何もしていないときにもそのことが頭から離れず、いっそ辞めたいと思っても自分が抜けた後の迷惑を考えて足踏みしている……そう、俗に言う「ブラック企業」である。

ただ、実際のブラック企業と違うのは、この状態をすべて自分で作り出してしまっている点。悩みの原因から離れることはできても、自分自身の考え方から決別しない限りは手を替え品を替えこの状態は一生続くのではないか。思えば昔からそうだった。自分の中に心配事のストックがいくつもあって、なにか一つ消えてもすぐまた別の心配事に心が支配されてしまう。自分の意識や考え方を変えていくしかないんだろう、気の長い話になりそうだけど、より生きやすくなったらいいな。

前に比べたら多少は状態がマシになってきた気がするので、できる限り客観的に自己分析をしてみた。大げさかもしれないけど、言語化することで何かが変わればいいと思って。なにかいいメソッドをご存じの方、連絡待ってます……(他力本願)

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