見出し画像

合わせ鏡を見つめてー出会い

 2021年は、自分自身を取り巻く環境が大きく変化した1年でもあった。最大の変化は、サークルに入り直したことだ。

 まず、軽音楽部SWING。様々な理由で一旦音楽から離れてしまった自分は、それでもやはり音楽との関わりを断ち切れなかった。せめて大学生のうちは、音楽の中で遊んでいたかった。病みつきになってしまったのだ。ステージの上でパフォーマンスをする心地よさに。なんでこう書いたかって、半分病気のようなものだからだ。うっかりすると他のすべてを手放してもいいとすら思えるほどに。
 今ではすっかりその魅力に取り憑かれてしまっているが、ジャズ研に入る前に迷いがあったのは、ジャズにはアドリブ——即興演奏がつきものだという前提があったからだ。今までの自分の音楽経験は、中学まで惰性で続けていたピアノと、2年+数ヶ月の吹奏楽でのコントラバス、あとは遊びの域を出ない。どれも「楽譜をいかに再現した演奏をするか」という観点でしか音楽を見ていなかった。そんななかで「ここは君が自由にやって」と放り出される。ほとんど放置プレイである。コード進行もキーもよくわからない(なんなら今でもよくわかってない)。ジャズを聴き込んだ経験もほぼない(今でも気を抜くと邦楽しか聴かない)。楽器経験者とはいえ、弾き方は完全に自己流。不安を挙げればキリがなかったが、なんとなく感じていた「自分は特定の音楽の形式ではなく、楽器そのものが好きなのではないか」という感覚を頼りに飛び込んだ。
 いざ入ってみて感じたのはその自由さだ。ビッグバンドもコンボもできるジャズ研としての間口の広さはもちろん、ジャズだけでなく、邦ロックに洋楽、クラシック、ゲーム音楽、ボーカロイド……あらゆる音楽を愛する人がいて、あらゆる楽器が出来る人が集まって(あらゆる楽器やりすぎて本職不明の複数名)、その場で気軽に音を合わせられる。そのフットワークの軽さ。自分もなんとかセッションで浮かない位にはなったかな、とは思うけどまだまだついていけていないところが多すぎる。凄腕のあの先輩、あの同期、あの後輩……周りみたいにもっと自由に楽しめたらいいな。まずはコード理論をきちんとものにするところからですね……土台があってこその即興だし。
 そういう意味で言えば、自分の演奏の「土台」もswingで(というか先輩に見てもらって)見直すことができたのはよかったな。自己流じゃどうしても甘くなってしまう色々なところを経験豊富な人に指摘してもらえること、自分にないものをインプットできる環境に身を置けることのありがたさを痛感した1年だった。
 それに、コンボ演奏はもちろん、一度は諦めかけた「大人数での演奏」がビッグバンドという形式でまた出来たことが嬉しくてしかたなかった。2年からしれっと入った自分をみんな受け入れてくれた。対バンにプロムナードコンサート、そして定期演奏会……踏めたステージは決して多くはなかったけど、それでもあの輝きの中に身を置く幸せをもう一度感じられたことが、なにより楽しくて嬉しかった。それと同時に欲が出た。まだやり足りない! 来年の学祭や定演、企画バン枠が復活しないかなあと密かに願っているのはここだけの話。凄腕なのに気さくな先輩や気軽に絡んできてくれる同期、合うたびに声かけてくれる後輩、ここまでありがとうございました! 大好きです。 そしてこれからもよろしくお願いします。いつでも気軽になんか誘ってください、絡んできてください(言質)。

  次に、写真部。昔から、写真を撮ること自体は好きだった。自分の目に映った一瞬の光景を捉えることに心地よさを覚えるようになったのはいつ頃からだったろう。
  小学生の時(惰性で)やっていた進研ゼミの努力賞(久々に聞いたぞこの言葉)でもらった白いデジカメ、今ではもうどこにあるかも分からないけれど、当時はいつも持ち歩いていた。家族でキャンプに行った時、桜を見た時、新しいものを買った時、何かにつけて自分は画面越しに瞬間を切り取っていた。そしてその熱は、親が一眼レフを買った時により高まった。これまで自分が切り取った風景よりもよりクリアで、より色彩豊かな世界がそこにあった。親にせがんでカメラを首に掛けてもらい、何度も家族の顔をファインダー越しに見た。景色も見た。食べ物もモニュメントも見た。自分の記憶の中にある風景の一部には、確実にファインダー越しのものがあるだろうと今は思う。
  そんな自分が高校の時にスマホを与えられれば、当然のようにカメラ機能の虜になった。どれだけの風景を写真に収めてきたかわからない(2021/12/26時点ではざっと7200枚。意味が分からない)。中高の修学旅行では、気付いたら人よりも風景の方を多く撮っていた。
 「いつか自分のちゃんとしたカメラがほしい」と思うのにそう時間はかからなかったが、その願いが成就するのは当分先のことになる(なぜならまだ何を買うか決められてないから。優柔不断さが恨めしい)。
 自分が写真部に入った決め手は、初夏に水無瀬神宮まで行った撮影会だった。自分と同じように風景を被写体と捉えるひとと一緒に話しながら、写真を見せ合いながら、写真を撮ることがここまで楽しいとは思わなかった。完全に勢いで、撮影会の後、入部を決めていた。その後はいくつかの撮影会や月例会に行ったり、まちかね祭で初めて自分の写真を『作品』として展示したりしたけれど、そのどれもスマホで撮ったものだったので、限界を感じずにはいられない。でも、印刷して写真を楽パネに貼ったときの静かな興奮は忘れがたいものだった。写真部の皆さま、次回参加する時には自分のカメラを持ってきますので、懲りずに付き合ってください。先輩達が引退する前にもっと話したいし、同期とも撮影会がしたい。飲みにも行きたい。せっかくリノベーションされた部室、もっと行かなきゃですね。

 実は今年、もう一つ別の団体に所属したりもしたのだけれど、長くなったので今回はこのへんで。そのことは次のnoteに書こうかな。


 去年の自分からは想像も出来なかったほど、人とのつながりや温かみを感じられた一年でした。かなり抑えながらここまで書いて2516字。リミッター解除したらどうなるんだろう。noteに字数制限ってあったかな(遠い目)。

2021年はありがとうございました。2022年もこんな僕をどうぞよろしくお願いします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?