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はば

 彼は買ったばかりのカメラを片手に家を出た。特に何か目的があったわけではない。ただなんとなく、師走の喧噪を離れて、年を跨ぐ非日常に浮き足立つ空気から離れて、ひとりになりたかった。せっかく実家にまで持って帰ってきて、道中ずっと鞄を膨らませていたモノを使わずじまいでいるのを、惜しんだからかもしれない。ここ数年で身についた、地元での時間の潰し方だ。都会での生活に知らず知らず溶け込んで、日々眼の前にある物事に追われる彼にとって、ここに流れる時間は長すぎた。
 玄関を出てまっすぐ北へ。ただでさえ坂の上にある家からさらに坂を登り、住宅街の隅に行き着くと、小さな、それでも長い階段が見えてきた。百日階段と呼ばれるそれは、彼が幼い頃からずっとそこにあり、幾度となく彼の視界と記憶に現れてきたものだった。
  先の見えない階段を怖がって、途中で引き返したとき。うっそうと茂る木々。祖母に連れられて、初めて階段を登りきったとき。ごほうびに買ってもらったオレンジジュースの匂い。まだ幼かった妹の手を引いて、ゆっくりゆっくり登ったとき。まだ小さな手の温もり。叱られたあと1人になりたくて、駆け上がったとき。耳元で唸る風。
 時間が生まれると、路地の裏の裏まで塗りつぶすように歩いてきた。彼が気まぐれに歩くコースは、以前と全く変わらない。家からまっすぐ階段まで行き、ゆっくり階段を上がりつつ、その上にある住宅街をぐるっと1周し、家まで戻る。気まぐれに住宅街の路地に入り込んでみたり、カーブミラーをのぞき込んでみたり、それでも道のりは変わらない。階段を上りきったときに、必ず振り返って数秒前の自分の面影を探すことも。目線を遠くにやって、何の変哲もない、それでも彼を育んだ住宅街と、ずっと先にある背景の山々をぼんやり眺めることも。
 自分の影を追って上りきった階段のてっぺんから見下ろす町は、彼の育ったころから少しずつ若返っている。彼よりも小さな子どもがいる家族連れが増え、洒落た建築の一軒家が増えた。彼と同世代の若者が社会を担い始め、彼らの色に町を染めようとしている。そこから出て行った人間に、それを曲げたり止めたりする力は残されていない。彼がこの町を出ることで手に入れたモノは多くある。そう思っていた。けれど、知らず知らずのうちに手放していたモノの方が、きっと多い。
 静かに黒いカメラを構え、息と構図を止め、シャッターを切る。顔を上げ、遠くを見る。溜めていた白い集中力が空へ舞う。やはりその姿は、どこか垢抜けて見える。持っていたはずの記憶に、どうしてもピースが嵌まってくれない。彼の手の届かないところで、町を変えてしまったモノがあったのか? いや、違う。
 町自身が、少しずつ自分の形を変えていったのだ。
 彼の脳裏にある、平均年齢高めで、家の近所が格好の犬の散歩コースだったおばあさんたちに挨拶をするような町のかたちは、少しずつ、でも確実に薄れている。どの家に住んでいた人がどこに去ってしまったのか、彼にはもうわからない。彼の通っていた小学校に通う子どもたちは、今どのくらいいるのだろう。彼が戻ってくるたびに、若返った町からは、少しずつ、それでも確実に、それまであったものがこぼれ落ちていくように思えた。
 夜の足音が少しずつ聞こえてきた。分不相応に高価なカメラ以外に何も持たない彼は、再び歩き出す。その歩幅は、彼が思っているよりも、ほんの少し大きい。かつての彼よりは、もっと。
 彼の散歩コースは、いつも近所の公園に立ち寄って終わる。遊具なんてブランコとシーソーと鉄棒で終わる、ささいな公園。けれどもう何度訪れたか分からないほど、彼にとってこの町の記憶と強く結びついている場所だ。祖母と桜を見にきたことも、ゲーム機を持ち寄って友達と集まったことも、雪合戦をしにきたことも、彼の掌にあるのは、どれも日焼けして褪せたフィルムのような懐かしさと距離感だ。
 一目で奥まで見渡せてしまう小ささ。どこまでも遊び場が続いていると思っていたあの頃から月日が経ち、彼は様々なものを知ってしまった。近所にもっと大きな公園があること。車や電車を使えばもっと遠くの遊び場にも行けてしまうこと。公園が「遊び場」として一番パワーがあったのは、想像力が一番豊かだった「あの頃」だったのだ、ということも。
 頭の中のフィルムを一通り回して、ぐるっと歩いたらそれで済んでしまった公園から立ち去るのが、なんとなく惜しくなる。手近にあったブランコに腰掛けると、眼の前に桜の枝が伸びていた。堅く眠った蕾は、あと3,4ヶ月もすれば薄紅色の春を運んでくれる。幾度もそれを眺めてきた。どんな名勝よりも、うつくしいと思う。それは、今も変わらない。たくさんの煌びやかなものを見てきても、心に張った根はずっと彼からふるさとへの思いを吸い取っていた。代わりに、それを花開かせてくれていた。だから彼は戻ってきたのだ、今年も。
 座るだけだと物足りなくなって、ブランコを漕いでみる。五十数キロある彼の体重を、ブランコはあの頃と変わらず支えてくれている。次第に早くなる振幅、近づいてくる木々、風となって動きを持つ静寂。最高地点に着くまでの時間は短くなった。力が強くなったからだ。身体が重くなったからだ。でもやっぱり、どれだけ力を込めて漕いでも、ブランコは同じ幅で揺れる。
その瞬間、ふっと力が抜ける。どれだけ変わったと思っていても、変わらないものは、自分のすぐそばにあったのか。マスクのせいでぼやけていた視界は、風のおかげでクリアになっていった。
 ブランコを降りると、足下がふらつく。さすがにあの頃のようにすぐには走り出せない。一息ついて、乗っていたブランコに向けて、彼は機械の眼を向ける。少し禿げた赤いペンキ。今日が曇りで良かった。頼りない両手足を持て余している彼は、腹の頼りなさにも気づく。
 なんだ、と思う。おなかを空かせておうちに帰る、「あの頃」の自分はまだそこにいたんだ。遊びに遊んで、やりきった表情で、夕飯を楽しみに弾んだ足どりで歩く自分の姿が視界にちらついた。
 コートのポケットに手を入れ、彼は再び歩き出す。その足どりは、頼りなさを少しずつ確かさに変えていた。


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