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合わせ鏡を見つめてー学び

 2021年にあった大きな変化はこれだけではない。大学生の本分とも言える学びにも、大きな動きがあった。

 僕は文学部の日本文学・国語学専修に所属している。多くのひとが、「文学部」と聞いてイメージするようなことをそのままやっている専修、といえばわかりやすいだろうか。日本の古代、近世、近現代の文学を微に入り細を穿つように読んで、眼光紙背に徹するのである。……要は高校までの「国語」の授業をより細かく詳しくやるのだ(日本語自体の歴史について考えていく国語学も同じ専修なのだが、自分は専門外というかどうにも興味が持てなかったのでここでは割愛する。前期の講義でC取ってるし……)。
 いま「眼光紙背に徹す」という慣用句を使ったけれど、これはふさわしくなかったかもしれない。というのも、文学研究でもっとも重要視されるべきはテクストそのものから得られる情報。作者の綴った人物描写、風景描写、比喩、その他諸々の表現技法を皮切りに、舞台設定、時代設定、ストーリーの構成など、テキストを構成する要素は無数にあると言っていい。これらから思考を得ずしてどうするのか。作者のバックボーンや時代背景を手がかりとした推論は、あくまで二次的に用いられるものなのだ。……こうした姿勢は専修の教授からの受け売りではあるけれど、1年通して演習授業で彼の考えに触れるうち、そうした深みまで達したいと思うことも増えた。卒論も彼の専門である近代文学で今のところは書きたいと思っているし、これからも学び取ることはまだまだある。テクスト分析はテクスト自体と自分の中にある背景知識と結びつけることで得られる発見も数多いし、なんならもう2年学び続けても良いかもしれないという思いも過ぎる。まだ誰のどんな作品について書くか決めてないけど。そもそも読書の絶対数が全然足らないけど。忙しさにかまけた大学生の末路……

 ここまで暑苦しく日本文学研究について書いてきたけれど、実は専門授業をとれるようになった3セメスター時点では、僕は日本文学の授業を2つしか取っていなかった。理由は単純、予定に合っていて興味のある授業が時間割の中にほぼなかったから。なんで前期に講義科目がほぼないんですか弊専修。人数最多なのにあの教室で収まるわけないでしょうが文学部教務。
 「自分は一体何専修なのか……?」と思いながら半年過ごしたけれど、今思えばこの時間も貴重だった。演劇学、ジェンダー論、美術史……興味はあれど専門にするまでもない、みたいな学問について週1回深く触れる機会を持てたから。4セメスターでも味をしめ、音楽学や美学、イギリス文学など専門に活かせるかかなり怪しい授業を、一般教養感覚で履修している。これは文学部に入って良かった、と思う大きなポイントだった。何か一つに集中して、偏った見方に嵌まりこんでしまうことが怖かった自分にとって、(自分の興味の範囲内とは言え)様々な視点から学問に触れ、それにより自分の専門分野さえも客観的に考える機会を与えられているのは本当にありがたい。知れば知るほど、世界はここまで広かったんだ、自分の居る世界が全てではないんだ、と思わせてくれる。だからこそ絶望もするし、希望も持てる。常日頃から思っているけれど、僕が学びに向かっていくモチベーションは、「世界の解像度を上げること」。知れば知るほど、物事に新たな面が見えてきて、それまでの自分が見ていた景色より、ほんの少し色鮮やかな風景が目の前に広がる。「もっと鮮やかな景色を見てみたい」という思いが、僕の歩を進めている。

 こうした思いが一つ結実した結果が、高大連携団体SUITに籍を置いたことかもしれない。あえて「籍を置いた」という回りくどい言い方をしたのは、ほとんど活動に参加できていないからだ。いくら自由参加とはいえ、ことごとく顔を出せていないの本当に申し訳ありません……(届かぬ謝罪)。
 元々文学部の教職仲間達にSUITメンバーの知り合いが多く、純粋に活動に興味があった。とはいえ、「時間がない」「長続きしないかもしれない」という言い訳を重ね、遠目で見ているだけだった。
 でも、教職課程をほぼ取り終わり、教育について考える機会がなくなることを想像すると、やはり自分の時間を割いてでも教育に関わっていたいという思いが勝った。教育について議論が出来るコミュニティができることも自分の中で大きかった。なんとか時間を捻出して、この初心に報いたい。Educussionもいつか作ります。せっかく広報隊に関わらせてもらってるし、ちゃんとした成果で応えたい。

 だから、僕の学びはまだ終わらない。文学研究もし足りないし、今年授業を取れなかった倫理学や現代音楽についても知りたい。宗教学にも興味があるし、心理学や教育学を本格的にやりたくなっているので人科の授業にも顔を出すかも知れない。どうして吹田にあるの人間科学部さん。
 あと2年、もしかしたらもう2年、もらった時間を、自分の力に変えてやる。

P.S. 最近友達が留学の準備をしていたり、そもそも留学生の友達と話す機会が増えたりして、「世界の中で自分を見ること」について考えたりもした。努力が他人の目に見える形で表れていることに対するうらやましさもあったのかもしれない。でも、学びはどこでだって出来る。周りから見てどうだって、内側に大切なものがいっぱい詰まっていれば、人間として一つ上のステージに進めるんじゃないか。こんな風に思うことができているのも、今年自分が一つ成長した証だと思いたいなあ。

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