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桜の花びら散るたびに

桜が好きだ。数ある花の中でもいちばん。春に咲く花のなかでも最もポピュラーで、最も数多く花開き、最も消費され、それでいて最も儚い花。日本全国に植えられているソメイヨシノは実は全てひとつの木のクローンであり、開花時期がぴたりと揃うのはそれが理由であるという。この逸話を聞いてからはますます、桜の儚さを感じるようになった、気がする。あの薄桃色の、少しの風にも散らされてしまう花びらが、今にも消えてしまいそうに感じるからだろうか。

ところでここまで書いてきて気づいたけど、桜の花びらの色を「薄桃色」って書くのはどうなんだろうか。それだと桃の花のことになるのでは? でも「薄ピンク」だと急な軽薄さが出てしまう。同じ悩みを抱えた昔の人が「桜色」を生み出したのだろうが、それはそれでありきたりな形容に使われすぎていてどこかうさんくささを感じる(考えすぎか?)。このとらえどころのなさも桜のイメージ作りに一役買っているような気もする。

今年の桜は例年より咲き始めが早く、自分たちの入学式の時まで残ってくれるだろうかとそわそわしていた。結局当日にじっくり桜を眺めることはなかったけど、いつのころから自分たちは桜をそうした人生の節目の象徴として据えるようになったのだろうか。日を追うごとにだんだんつぼみが膨らんで、色がじんわりと濃くなっていき、やがて花開き、程なく散っていき、青葉に取って代わられる。そうした一連の流れは、期待に胸をふくらませ新しい環境に飛び込んだ新入生が、次第にメッキが剥がれるように新たな生活に溶け込んでゆく様子にも重なって見える。まだメッキという名の花びらを半分ほど残した自分が、綺麗な葉桜になるのはいつの頃だろう。

桜はいつまでも咲き続けることはできない。一度完全に散ってしまわなければ新しい花を開くことはできないのだ。そんな当たり前の事実に気づき始めたとき、花の散った桜も好きになり、満開の華やかさに潜む繊細さもより愛せるようになった。

だから、僕はまた木々を見上げ、次の春を待っている。心のどこかでずっと。

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