のたうち回り①進路

毎日夜になると何も手につかなくなるので、少しでも前に進むために書きます。このままじゃほんとにダメになってしまう。

そう、進路が決まってません。とはいえ、大多数の大学3年生がまだ決まってはないんだろうけどね。
文系学部3年生がとる可能性のある選択肢は以下の通り。

①民間企業就職
②国家・地方公務員(学芸員なども含めて)
③中学・高校教員
④大学院進学
⑤休学して留学やら長期インターンやらなんやら

今の自分は①と③を同時並行しているところ。初めは②も考えたけど、教員との両立が無理すぎて却下。あとどんなに頑張っても自分ひとりの力では何も出来ない組織なのでね。いないと成り立たない仕事ではあるけど、それが僕である必要はない。
本当に希望をあげるなら④がよかった。学部4年間だけじゃ物足りない。でも経済的に厳しかったことと、自分が満足に研究で成果を挙げられる人間かと言われるとそんな自信もないこと(未だに卒論の相談先生にしてない)、院進したとて結局①に舞い戻るなら、結構な額の学費と生活費払ってまで2年間社会に出るのを遅らせただけになることは、本当に自分にとってプラスになるのか考えなきゃいけないって思った。社会に出てもなお意欲が消えないなら、休職or退職して学び直します。国文学がもっとお金になる世界ならいいのにね。
⑤も本気で考えた。なんでこんなめちゃくちゃな状態で社会に出なければいけないのか本当に分からなかったから。身近に実例がそれなりにいたし。でも目的を持たないモラトリアムの延長にはなんの意味もないことには薄々勘づいてたので、キャパシティいくら限界でもそのラインは越えないように踏ん張ってたと言った方が正解かもしれない。こんなこと言いながら人生に絶望して、頭おかしくなって4年後期であっさり休学するかもしれない。前期は教育実習あるから休学できないけど。

そう、教育実習。これが僕の大学最後の1年間を最もややこしくしている元凶だ。
僕は母校の高校で、中高の教員免許を取るために3週間教育実習を行う。6月に。
何が言いたいかといえば、これがいわゆる「シューカツ」の時期とそれなりに被るということだ。下手したら最終面接とかが被ってくる。

だから、自分はそれまでに何とか大学を出たあとの居場所を確保しようと駆けずり回り、結果のたうち回っているわけだ。まさかバンドやってる間ずっと同時並行になるとは思ってなかった。授業休んで休んでひたすら話聞きにいかなきゃいけないなんて思ってなかった。引退ライブ翌日に面接受けるとは思ってなかった(ちなみにしっかり落ちた)。春休み全く休めないとは思ってなかった。そら満足に学問も部活も出来ずに休学も考える。

ここまで書くとひとつの問いが浮かぶ。

「そのまま教員になれば
いいんじゃね?」

思いました。思いましたとも。少なくとも大学2年の終わりまで、「シューカツ」の文字は僕の頭の中にはなかった。

じゃあなんで今必死こいて①と③を両立させようとしているのか(忘れた方はちょっと上に戻ってください)。それは、一言で言うなら
「広い社会をぐるっと見た上で、その見聞を握りしめてちょっとでも良くなった教育の世界に飛び込むため」
だ。虫のいい考えかもしれない。でも、なんとなく周りに流されてとりあえず行ってみた説明会や、とりあえず参加したイベントで、実際に働いている人の面影を少しだけ見ることが出来た。それを繰り返すうちに、訳のわからないまま動いていると思っていた「社会」が、「ひと」を通じて回っているもの、自分もその構成員なんだと少しずつ知るようになった。そうした経験をした、という意味で、ここまでの「シューカツ」に少しは価値があった、と言ってくれる人がいたら天使のような人だな、と思う。何一つ結果に結びついてないし、現段階では①の選択は僕の首を絞める真綿でしかない。単に「阪大卒」の新卒カードを無駄にしたくない、というケチ根性のなせる技で、その高すぎるハードルはかえって自分を追い込んでいるともいえる。「なんとなく」で始めたことに、精神の大部分を支配されてしまっているのが悔しい気もするが、正直そうした感情を呼び起こす元気すら無くなっている。成果でてないからね。

そこまでして民間就職にこだわらなくてもいい、と思う自分もいる。元々教員になるために大学に来たし、実際そうしようと思えばできる環境にいる。もし地元で教員になれば、それこそ学歴は武器になるだろう。教え方だって練習すれば上達していくし。
でも、そんな教員に価値があるのか? 「学校」の枠組みから1度も外に出ず、いきなり「先生」と呼ばれて人の前に立つ。それこそ「僕じゃなくてもいい」と思えてならないのだ。だから僕はあえて外を見てみたくなった。学校という閉鎖的空間で、「外の世界」を知る人間の価値がいかに高いか。真摯に学問に向き合いたいと思った人間がどれだけいるか。それを伝えられれば、教員として「僕」がいる意味はずっと濃いものになるだろう。たぶん、教育実習を経てもそうした感覚は変わらない。いつか、今よりちょっとだけ働きやすくなった(と言える改革がなされることを願っています、ずっと)学校に戻ってくるとしても、それは僕が経験を積んで、「人間」として一回り大きくなった時だと思う(こんなこと言ってあっさり民間諦めて教採も落ちて講師とかしてたら全力で嘲ってください、人生の敗北者です)。
実際、今の教育現場に今の自分が飛び込むのも少し危険な気がしている。メンタルも正直万全ではない。新卒で潰しの効かない職に就いて数年で心を病んで休職するのが想定しうる最悪のバッドエンドなので、何とかそれだけは避けないといけない。

ごたくをこねくり回してたら2000字を超えてました。どれだけ喚こうが、今週は選考があるしエントリーシートの締切がある。どれだけ呻こうが、経験を積まなければWebテストも面接も成果を出せない。授業と同じだ。
これだけ愚痴ったはいいが、正直教育実習は本当に本当に楽しみだ。早く6月にならないかと逸る自分がいる。もちろんそんなことになったら一瞬で人生が詰むわけだが。

ああ、早く教育実習で実際の現場に触れたい。じっくりテクストと向き合って納得のいく卒論が書きたい。じわじわ部活も復帰して演奏したい。全部自分の努力次第でできるかが決まる。

……ちょっとすっきりしたな。思考のデトックス。のたうち回り①。


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