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「#有意義な夏休み」

毎年毎年言われてきた人も多いんじゃないだろうか。主に灼熱の体育館で。
今の学校での全校集会はどうなっているんだろう。コロナ禍の頃はオンラインや校内放送で済ませている学校も多かったけど、徐々に現場も戻りつつあるからなあ。ちなみに実習先の高校は当たり前のように全校集会がありました、女子みーんなマスクしてたけど。今みんなどうしてるのかなあ……人に恥じないことをしていれば、なんだってやればいい。それは自分にもいえるけど。「○○の生徒としての自覚」なんて、あのときはなかった。何なら今もない。1学年1000人超えてるし……
ボランティア先の小学校も夏休みに入って、みんなキャッキャしながら思い出作りに励んでいる頃だろう。新学期に壁新聞を見るのが楽しみだ。関われるのは今年で最後だから、なんだかすごく感傷的になってしまう。彼らの夢の時間は8月末には終わるみたいだけど。31日まで夏休みが続く数少ない県の出身なのでそれが当たり前だと思っていた。フィクションはあくまでもフィクション。あの頃はまだプール開放だの朝の公園で蝉取りだのあったんだよな……ぼくのなつやすみ……

で、だ。こんなことを言っておきながら、僕は夏休みというものが昔から何だか苦手。なんなら冬休みも春休みもゴールデンウィークも好きになれない。
それは僕が内側に“虚”を抱えていて予定を詰めるのが苦手だ、ということもある。てかそれが8割。なんでみんなそう簡単にパカパカ予定を入れられるんだろう、どこに宛があるんだろう、そんなに声を掛けられるのか? それとも自分から誘うのか? そんなに他人とサクサク深いコミュニケーションとれることなんて……

危ない危ない、十数年溜め込んだ色んなものが吹き出してしまいそうになる。ふう……下宿したとて、成人したとて、人間の中身は、そうそう変わらん。

元々親に頼まなければ電車にも乗れないような場所(物理)で育ったせいで、土日も長期休みも基本家にいる習慣がついてしまっていた。部活終わったら直帰。授業終わったら直帰。遊びに行くところもねえ。嗚呼車社会。夏休みで一番記憶に残っている場面はリビングで寝転がりながら高校野球を見ているか、自分の部屋で本を読んでいるうちに、そしていつの間にか寝こけている間にご飯の呼び声が聞こえてくるか。

オヤジか。

いやでも実際今回の帰省もだいたいそんな感じだったな、半分は激ヤバ台風のせいだけど。生活リズムを矯正するために帰省したはいいけど(失礼)、結局朝もゆっくり寝かせてくれたし、昼寝夕寝するし、だから夜も2時3時くらいまで眠れないし、アホ????? 結局ただ食いもんと酒を漁りに来ただけやないか、いや一応鳥羽行って卒論の舞台回ったりしたけど(ただの観光)(なんなら本当の舞台行ってない)
それに罪悪感とか虚無感をそれほど感じずにいられているのは、大阪での生活がそれなりに密度あるものだからなのだろうか。主にバイトと卒論で。テメーらのせいで生活リズムだだ崩れだよ。他人とのコミュニケーションや自分の思考の整理に使ってるから持ちつもたれつだけど。

長期休暇にやることなくなったように感じて空しさを感じる現象はもう治らないものだと思ってる、自分は何かを生み出せてないと自己肯定できない人間だから。けど、そのなかでも”夏休み”に特に苦手意識があるのはどうしてなんだろう。
輝く海、雄大な山々、どこまでも蒼く広がる空……シチュエーションとしては最高なのに。
端的に自分が暑さに弱いということはある。特にここ最近の殺人的な暑さ、家を出ることすらためらってしまう。いくら大阪という大都会に出たとて、自然の脅威には勝てない。あとエアコンの風にも弱いので、本格的に夏は活動休止することを検討してもいいレベルかもしれない。ないんだろうか、夏眠。

エアコンの話を書いたら思い出したけど、「夏なのに寒気がする瞬間」が嫌なのかもしれない。宿題終わってなくていたたまれないときに浴びた冷風、突然の豪雨に振られた身体を芯から冷やす風、わけのわからない模試を解いているとき、焦りを煽るような風。本当は暑いはずなのに寒さを感じてしまうあの瞬間がどうしても苦手で、それを今でも克服できていないのかもしれない。自分だけ一人でいるときにひたすらさみしさをこらえるあの感覚とも似ている。怪談とかは平気なんだけど。

2020年の夏休みは特にひどかった。あれだけ新学期を待ち遠しく思った夏休みは他にないかもしれない。結局教習所終わるかどうかドキドキしてたら終わってったけど。謎の病人みたいにベッドから青空を眺めていた虚無の時間。どうやったら減らせるんだろうか。あの時の空も悔しいくらいに青かった。
「自分だけひとり」「なにもすることがないこと=虚無感」みたいな歪んだ感覚を戻していくことが大前提なんだろうけども。あと半年でどうにかなるのかなあ。ほんでそれをSNSを眺めることでより増長させてるのがほんとによくないね、今更過ぎるけど。デジタルデトックスなんて言葉がありますが、デバイスを持った初期から他人の頭の中を覗き込む行為にズブズブだったのでそう簡単に抜け出せるもんではない。物理的にスマホとパソコン壊したら解決するんだろうか。やらんけど。

幸いクーラーをつけなければ、今のワンルームは汗が止まらないくらい熱気がこもっている。夏に寒さで死ぬことはない。裸足の裏をくすぐっていった冷気にも、昔ほど敏感に反応することはなくなった。年を重ねるにつれて徐々に思考回路は丸くなっていったけど、それは身体感覚も同じだったようだ。もう年を重ねることに大した感慨はなくなっているけれど、少しずつ自分を取り巻く鎖が解かれていくと考えれば、それはひとつの楽しみといえるのかもしれない。

夏に楽しみも生まれた。まだ今年はかき氷も食べてないし、花火も見ていない。できれば山奥の神社とか行きたい。全部叶える一人旅でもやろうかな。高校生の頃、去年、あれだけのめりこんでいた音楽からも今年は少し離れてしまっている。ありがたいことにめちゃくちゃうまい後輩ばかりだし、部活の規模もどんどん大きくなってるし、仕方のないことだけど、やっぱりまだやり足りないことがたくさんある。後輩や同輩を応援する傍ら、まだふわふわした身でいられるうちは前線に立ちたいなあ。そうできるくらいの腕前を保つことが大前提として。どうしようもなくなったらカラオケスペースとかやってみっか……

ここまで振り返ってもやっぱり「有意義な夏休み」を満足に送れた学生生活ではなかったなあ、中学も結局部活して塾行っての繰り返しだったし。僕にとって夏休みはその間に移り変わっていく窓の外の風景や風、そこから高まっていく新しい生活への準備期間だったのかな、と今は思う。最後の夏は、いつも以上に太陽がギラつく厳しい環境だけど、自分の外側と内側をうまく組み合わせていきたいね。

いつも以上にクソデカTwitterみたいになったな。意地でもXとは呼ばないと決めている。何としても8月中に投稿したいと決めていたので、卒論そっちのけでこの文章を書いている。手段と目的が入れ替わってますね。こうはなってはいけません。それなりにだらだら文章書いてきたお兄さんとの約束。

ずっと自分のことしか書いてないから、今度また創作でもできたらいいなあ、なんて思ってるのはここだけの話。”掌編でもちりつも”を狙っていこう。写真モチーフもいいし、何にも考えず殴り書きしてみるのも楽しそうだ。
うん。新しい暇つぶし。

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