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人間関係

 人間関係の親密度はある程度まで会話の内容で測ることができる。  会話は前提条件の共有に始まり、さらに新たな共通認識を確立していく行為である。挨拶によってまずお互いが同様の言語を話すことが共有される。これが不成立の場合言語でのコミュニケーションが不可能と判断される。その次に名前、出身地、趣味等の話題になる。これらの情報は、相手とどの程度前提条件を共有しているかを認識するのに役立つ。出身地の会話を例に取ってみよう。 「出身は、〇〇です。」 「え!地元〇〇なんですか!一緒です。っ

    • 家庭を持ちたいですか?

      この前兄貴の貯金額を知って驚いた。株式投資もやっていて、順当に資産を増やしている。何のために金を貯めているのかといえば、早期退職して隠遁生活を送るためらしい。まだ学生なのに、こんなんだから、就職すればもっとすごいことになるんだろう。  かくいう私自身も、同じような考えを持っていた時期はある。結婚も将来の夢もどうでもよく、ただ自分ひとりが衣食住満ち足りた最低限の暮らしができればそれでいいと考えていたのだ。今の日本にはこういう考えの人間が多いのかもしれない。  少子高齢化問題

      • コミュ力と言語能力は違うんです

        コミュニケーション能力と言語能力は似ているようで異なる。言語能力というのは、言語を用いてなにか表現する能力である一方で、コミュニケーション能力は、その言語能力を他者との関わりの中で適切に運用する能力を言う。(もちろん非言語コミュニケーションも存在するが、ここでは言語を用いたものを指して言う。)  このことを理解するために「好きな食べ物はなんですか?」と聞かれた場合のことを考えてみよう。  適切な回答は当然好きな食べ物を答えることだから、「カレーです。」とか「ハンバーグです

        • 団塊世代は悪、Z世代は将来の悪

           バイトの関係で、団塊世代と呼ばれる人らと関わりを持つ機会がある。それほど多くの言葉を交わさないものの、少し会話する程度でも世代の差を認識させられる。  ついこの前、私はある老夫婦の会話に違和感を覚えた。  発言だけを切り取れば 「女の運転は信用ならんから。」 という夫の何気ない一言である。その後に続く 「私が代わりに運転したのですよ。」 という発言の前置きという文脈で放たれた言葉だった。私はフェミニストではないから、この発言に特別な嫌悪感を抱いたわけではないが、

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          夜景を見て

          「僕は就職するが、君は昔のままの夢を追い求めていて羨ましいよ。」 「夢か。夢というのは、見ている間が一番幸せで、叶えてしまえば虚しいものなんだろうな。」 「どういうことだい?」 「僕はなにか、世界を変えたいとか、新しい発見をしたいとか、昔は漠然としたものを目的として頑張っていた。研究者になることがその手段だと思っていたし、そのために大学受験も頑張った。」 「でもまだ夢を叶えていないだろう?」 「そう、叶えていない。叶えていないが、大学へ行くという一つの過程を経て近づ

          夜景を見て

          2023年を振り返って

           2023年がいつ始まったかもはや覚えていない。たしか1年前に始まったはずだが、そうでない気もする。知る限り一番古い記憶は2月5日のことで、この日の夜遅くに電話がかかって来て、それで新しい1年が始まった。幸福な1年だったが、9月の末頃に終わって、その1週間後に新年を迎えた。ちょうど月が美しい季節だった。だから2023年がいつ始まったかなんてわかりようもない。  大晦日の明け方は街も駅も人はまばらで、労働に出かけるのはもしかしたら僕だけかもしれないと言う風な錯覚を起こしたが、世

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          ロシアのプロパガンダ

          ロシアによるウクライナ侵攻から2年が経とうとしている。プーチンが停戦に前向きな姿勢を示しているとする情報もあるが、依然として先行きは不透明である。  開戦の2022年2月24日、SNSでまずその情報を知って衝撃を受けたことを覚えている。それからは授業もロシアによるウクライナ侵攻一色に変わって、侵攻の理由とかを色々議論したのを覚えている。このときすでにロシア側の主張はただのプロパガンダであるという風なところは前提として成り立っていた。もちろんNATOやウクライナ側に問題がない

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          卒論お気持ち

           卒業を目前にして卒業論文という最後の課題に四苦八苦している。思うように筆が進まないから、ネットで「卒論 意味ない」とか「卒論 留年」とかいう単語で調べて、似たような境遇にある連中の体験談や同じようなことを考えている人間の不平不満に触れて、なんとか精神の平静を保っている。そんなことをする暇があれば卒論の執筆を進めろと、自分でもわかっているが、わかっていることと、できることとは異なる話なのだ。  卒業論文は論文称している以上は学術的に価値がある、すなわち、新規性と独創性があって

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          Мой брат

          ドライブデート☆ 「今度彼女とドライブに行きたいんだけど、今日練習に付き合ってくれない?まだ人載せるの怖くてさ。」 「えー、めんどくさ。どこ行くの?」 「種差海岸。」  大学の夏休みで帰省して来た兄さんにそう言われた。受験勉強に気疲れしていた私にとって、この誘いは本当はちょっと嬉しかった。けれども気怠げにそう言ってしまったのは、彼女とのドライブの練習に付き合わされるのを喜ぶのが、なんだか惨めに思われたからだった。 「一人で行ってくればいいじゃない。別に大して変わらな

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          食べかけの檸檬聖橋から放る

          東京なんてできればなるべく訪れたくない場所なのだが、高校時代の友人であるKが留学から帰国したのを機に、仲の良かった4人で集まろうという話になって、4人の内一人だけ大阪に住むこの私が東京へ赴く羽目になったのである。せっかく東京に行くんだからみんなに会うまでのあいだ観光でもしようかと思ったが、大してやりたいこともなければ見たいものもない。というのも東京と言われてパッと思い浮かぶような場所がないからである。日本の首都なんだから、ないものはないと言えるくらいには色々面白い場所はあるの

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          大人にだけはなりたくなんかない

          大人になるってなんなんだろって聞いた時、そういうことを思わなくなることだと言われた。いつからかは忘れたけど、自分以外の人間が全員バカに見えて、誰一人自分言う事なんか本当の意味では理解していないんだって思うようになった。今でもそう。だけど、それがどうでも良いと思えないうちはきっとまだ私は子供なんだろうと思う。  ものの見方が狭いとか、プライドが高いとか、よく言われる。事実、そうなのかもしれない。でも敢えてそんなこと言わなくたっていいじゃん。だって私はその言葉で傷つくんだから、

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          ロールモデル1

          イジるーイジられるという会話におけるロールプレイは、一般に広く行われるが、人によってどちらが得意か分かれる。適切に行われればコミュニケーションは円滑になるが、人によっては不快感を生じる場合もあり、運用には注意を要する。今回は2つのロールモデルのうち、イジられる側の対応に着目して体系化する。  複数人いる局面でイジられる側に回るのは少数派である。特定の要素を比較して、それが多数派にとり劣後するとみなされる場合、いじりの対象として選択されやすい。いじりとはある種の攻撃であるため

          ロールモデル1

          あなたを幸せにすると誓います

          悪い予感って言うのは失礼かもしれないけれど、私がそれを肯定的に捉えていないのは本当のことだから仕方ない。それでも彼の誘いを断らなかったのは、その予感は実は自意識過剰な私の思い込みで、私が恐れているようなことは起きないんじゃないかと楽観的に捉えてしまったからだ。でも、楽観的な予想って、大抵裏切られてしまう。 「ずっと前から好きでした。付き合ってください。」  告白を受けるのは今月で3度目。そして断るのも、これで3度目になる。 「...ごめんね。」  断るたびにもう、いつ

          あなたを幸せにすると誓います

          相槌

          今日友人と会話してて感じたのだが、心地よいコミュニケーションにおける相槌は、質問や疑問の形式を取る場合が多いようだ。(文末が〜ですか) 例えば 「今日友人とラーメン屋に行って来たんですよ。」 「ラーメン屋ですか?いいですね。」 「そうそう、駅前にあるラーメン屋です。美味しかったので今度一緒にいきましょう。」 この形式の相槌は、厳密には疑問ではないが、疑問の形式を取っているおかげで、対話者に”回答”として次の話を促す効果がある。さらに上の例であれば、 (ⅰ)友人と

          ニンフェット

          (フィクション)  教師という存在がどこか人間味のない完璧な存在のように思われたのも昔の話で、自分がその立場になってみればなんということもない、ただの俗物であった。尤も教師と言っても大学生の塾講師のアルバイトだからそれも当然のことだが、とにかく私が目の前の生徒からみて人間的に優れた存在であるなんて全く思わない。あくまで勉強について、少しだけ多くのことを知っているだけである。けれども立場が人を変えるというのは往々にしてよくあることで、たかが数年長く生きているというだけで、なに

          ニンフェット

          ?「こんな時こそ、先生の出番だよ。」

          ニンフェットを傷つけるようなことは絶対にしたくない。けれども意図せずにやってしまうことはどうしてもある。昨日だってつい饒舌が祟って彼女の気分を損ねてしまった。僕はそれがどうしても耐えられなくて思わず家を飛び出した。  こんな時は別のことに集中すれば気分も紛れるかもしれないと思って、資格の勉強をするために家から少し離れたところにあるカフェに行った。けれどもやっぱりどうしても悲しくて勉強には全然身が入らない。すると、突然頭に次のような声が響いた。 「こんな時こそ、先生の出番だ

          ?「こんな時こそ、先生の出番だよ。」