人間関係

 人間関係の親密度はある程度まで会話の内容で測ることができる。
 会話は前提条件の共有に始まり、さらに新たな共通認識を確立していく行為である。挨拶によってまずお互いが同様の言語を話すことが共有される。これが不成立の場合言語でのコミュニケーションが不可能と判断される。その次に名前、出身地、趣味等の話題になる。これらの情報は、相手とどの程度前提条件を共有しているかを認識するのに役立つ。出身地の会話を例に取ってみよう。
「出身は、〇〇です。」
「え!地元〇〇なんですか!一緒です。ってことは〇〇高校知ってますか?僕そこ通ってました。」
「え!本当?私も一緒なんだけど!」
上の会話では、出身地が同じであるため、会話者はどちらも高校に関する情報を共有していることが判明した。出身地が同じであれば、その地域に関することは相手も大抵知っていると予想できるからだ。この場合、次以降の会話で「〇〇高校」に関しては、面倒な前提の共有なしに話題に上げることができる。趣味なども同様で、釣りをする人には釣り道具の話をいちいち解説しなくても釣りの話題はスムーズに進行する。
 前提の共有なしにコミュニケーションが進行するということはコミュニケーションのタイムロスが少ないことを意味する。例えば職場で使う専門用語などを知らない部外者と仕事をするとすればいちいち用語の解説をしなくてはならない。これは前提条件の共有がないことで発生するタイムロスのわかりやすい例である。
 共通項の多い相手を見つけると嬉しいのは、前提の共有という煩わしい手順を経ずに会話することのできる相手を見つけることができたと無意識に感じているからにほかならない。
 現に我々の会話の殆どは前提条件の共有に費やされるが、本当に伝えたいのは最後のオチの部分だけである。次の発言を例に考えてみよう。
例:「私最近ドラッグストアでバイト始めたんだけどさ、そこのお店がお年寄りのお客さんが多くてね、この前、おじいさんにこの商品どこにある?って聞かれて、見たらそのおじいさんの目の前にあったの!面白くない?」
 この話で伝えたいパンチラインは「どこにあるか聞かれた商品がおじいさんの目の前にあって面白かった。」であるが、その話が理解されるには話者の職場についての情報が前提として共有されなければならない。話の前半部分はそのために費やされている。さらにいえばこの何気ない会話の中でも、省略されている前提条件は多数ある。そもそも「私」は何者なのか、我々は知らないが対話者同士はそれを日々のコミュニケーションで共有している。コミュニケーションを重ねるごとにこの共有された前提条件は多くなって行く。そういう場合我々は相手を親しいと感じる。言い換えれば、どれだけ前提を省略して会話できるかを親しさの一つの指標と見なすことができる。
前提条件の共有がもっと重要になる局面として「相談」が上げられるだろう。複雑な人間関係によって生じる悩みに関する相談などであればなおさらだ。相談する相手を選ぶ際に、優しいとか話をよく聞いてくれる、という要素以上にまず真っ先に考慮するのは相談相手が「事情を知っていること」であろう。事情を知らない人間に1から色々説明するのは面倒だし、相手もなかなか話を理解できない。
 親しくなるには適度に相手の情報を知りつつ、自分の情報を相手に提供してやる必要がある。そのバランスがどちらかに偏っていてはだめなのだ。だから聞き手に周るのも話し手に周るのも、適度にどちらもやらないといけない。
 外国語学習のファーストステップが、自分のことについて話せるようになる、という風に設定されているのは、まさにコミュニケーションの第一歩がそれだからである。人間関係を円滑化するためにも、自分に関する話のテンプレートはいくつか持っておくと良い。それと同様に相手のことを聞き出すテンプレートも必要である。そうやって関係構築もうまく省エネ化を図るべきである。

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