団塊世代は悪、Z世代は将来の悪

 バイトの関係で、団塊世代と呼ばれる人らと関わりを持つ機会がある。それほど多くの言葉を交わさないものの、少し会話する程度でも世代の差を認識させられる。

 ついこの前、私はある老夫婦の会話に違和感を覚えた。

 発言だけを切り取れば

「女の運転は信用ならんから。」

という夫の何気ない一言である。その後に続く

「私が代わりに運転したのですよ。」

という発言の前置きという文脈で放たれた言葉だった。私はフェミニストではないから、この発言に特別な嫌悪感を抱いたわけではないが、その一言が気になって、後の会話が入ってこなかった。違和感の原因は発言それ自体にあるのではなくて、大まかに下記の3点にあった。


・妻を「女」という大枠の括りで語っている点

・遠慮する様子もなく平然とその発言をした点

・妻もそれに対してなんの反論もしない点


 例えば仮に、「妻の運転は信用ならない」という発言ならば違和感はなかった。運転の巧拙には個人差があるのは当然で、妻の運転が下手な可能性はあり得る。しかし、その理由が「妻だから」ではなく「女だから」になっている点が私から見ると不自然に思われる。また、差別的であるという自覚のもとに、ある種の冗談として発言がなされたのであれば、違和感はなかった。しかし、その発言は通常のトーンで、さも当たり前であるかのように行われた。そして妻は眉を顰めることすらせず、ニコニコと変わらぬ表情で会話を続けていた。つまり彼女は恐らく不快感をそれほど覚えておらず、発言を問題視していない。

 私は何も団塊世代の女性の権利意識の低さを糾弾したいわけではない。私が言いたいのは、たったこの一言だけで世代による価値観の違いを強く意識したということである。

 そこから当然沸き起こる危機感がある。我々は今の最先端の価値観に触れているかもしれないが、数十年後にはすでに古い価値観として排斥されているかもしれないということだ。例えば、今の我々は正義感でパワハラ・セクハラといった旧時代の悪を社会から排斥している。しかし後の時代に、より思想が進歩すれば、同じように我々の価値観が、正義感によって社会から排斥を受けてしまう可能性は十分にあり得る。

 未来の思想がどうなっているかはわからないが、例えば今は一部の過激思想であるヴィーガニズムや、同性婚、その他ポリコレがスタンダードである世代が生まれる可能性は十分考慮しなくてはならない。思想の流れは後戻りできないのである。



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