習作2

(フィクション)
 他人と比較することをやめたい。自分には自分の幸せがあるって信じたい。でもこの年になると見ないようにしていたものが段々と見えてくる。それは昔は遠い未来だと思っていたもので、今は目の前に迫っているあらゆる現実だ。人はいずれ死ぬ。親も死ぬし、兄弟も死ぬ。そして私も死ぬ。でも死ぬってそんなに単純なことじゃない。その前にいろんなことが起きるんだ。しかもそれは一回起きておしまいというものでもない。だんだんと気付かないうちに私の身の回りが蝕まれて、終りへと向かって行く。
 子供部屋おばさんって言葉を、いつだったか新卒の社員の男の子から教わった。ニートとか引きこもりとは違って、働いて経済的には自立しているけど、独身未婚で実家で両親と暮らしていて、いつの間にか中年になっているような状態の事を言うらしい。子供部屋おじさんはそれの男版。なんかすごく屈辱的な気分になったけど、その時は適当に笑って誤魔化した。今の職場はもう今年で10年目になる。前の職場を辞めてから失業手当をもらいながら資格を取って、ドラッグストアでパートナー社員として勤務している。未婚で子供のいない私は閉店まで勤務できるから店長からはすごく重宝されている。「いつも助かってますよ本当」と声をかけてくれるのは嬉しいけど、それで給料が上がるわけでもないし、そもそも給料もそんなにいらないんだ。生活にお金はかからない。昔みたいに服とか化粧品にお金をかけることもなくなった。もともと無頓着だったのもあるけれど、今はより一層気にもしなくなった。
「ちょっとでも見た目に気を遣ったら、もともときれいなんだからすぐに結婚相手見つかるのに」
なんて母に小言を言われていたが、今は
「あんたの老後が心配だね。私らにはあんたちがいるからいいけどさ。ほんとに孤独死しちゃうんじゃない?」
と、もうすでに諦めかけたような事を言ってくる。さて、どうしたものか。
 小さい頃からセンシティブなところはあったかもしれない。正直家族と生活するのにも気を遣ってばかりなのに、見ず知らずの他人と結婚して家庭を築くなんて、私には想像もできなかった。恋愛経験はないわけではない。それなりに人を好きになるし、多分それなりに人からも好かれていた。でも例えば私から相手に声を掛けるなんてできないし、相手から声をかけてもらっても嫌われるのが怖くて結局ある一定以上の距離感を保ってしまう。レジでの接客も、未だに苦手だ。単純作業は良いけど、ちょっとしたお客さんの表情の変化とか、声色の違いとかで機嫌の良し悪しを勝手に想像してしまって、自分になにか落ち度があったのかも、と考えてしまう。家に帰ってからもずっとそのことで悩んでいたりする。気遣いができる優しい性格だと褒められることもあるけれど、それ故私は相手にも私以上の気遣いを期待してしまう。恐らくこの性格が祟って、私は「子供部屋おばさん」になってしまったんだろう。
 私の悩みの根本原因はこの点にある。今の私がこの性格のまま結婚したら、きっとストレスフルで不幸な毎日を送るのは目に見えている。結婚して家庭を築いている他人を見て「羨ましい」と思うのは、厳密に言えば結婚して家庭を築いているその結果のほうに対するものではなくて、私と違ってセンシティブではない「普通」の人間であるという根本的な性質の違いに対する羨望であり、自分が他者に比べて劣っているのだという僻みでもある。
 でもそんな事を悔やんだってしょうがない。私は私なりに自分を受け入れて、自分なりの幸せを見つけるしかない。他人にできて自分にできないことじゃなくて、自分にできて他人にできないことを探すんだ。それが何度も曲がりくねってずっと暗闇に包まれていた私の思考の中に見出した一筋の光のような希望だ。
 新入社員がやってくる4月は仕事が大分楽になる。彼らは半年間の店舗での研修を終えた後、別の店舗に配属になる。一店舗当たりの社員の人数はそれぞれ決まっているが、新入社員はそれにカウントされないのだ。今年は4人も入ってきた。どうせ秋には別の店舗に転属になるからあまり親しくしないようにしている。別れが辛くなる。それに今の若い子たちは正社員で採用されてもちょっと嫌なことがあるとすぐに辞めてしまう。パートの私よりずっと給料も待遇もいいのに。
 小売業界は就活生にはあまり人気のない業界らしいけれど、入ってくる新入社員達はみんな大卒で仕事への意欲も高い人が多い。あんまり愚痴とか言えない雰囲気があるからちょっと苦手だったりもする。もちろんやる気もなくて冴えないような子もいるけど、そういう子らはそもそも職場の人間との交流にも消極的だから私が関わることはない。新卒で言葉を交わすのはごく一部の社交的な子たちだけだ。
 社員同士は自己紹介をする時間が設けられるけれど、パートやアルバイトはシフトが被ったらその都度挨拶程度にという感じで、彼らの顔と名前が一致するようになったのは配属からようやく2週間ほど経ってからのことだった。彼らの教育は主に店長の仕事だから、店長に引き連れられてゾロゾロと売り場を歩き回る彼らをレジから見て、最初はなんかカモの親子みたいだなと思っていた。そんな彼らもすぐに独り立ちして、立派に業務をこなすようになる。まぁ品出しとレジ打ちなんて慣れるのにそう長くはかからないもんね。
 ある時新卒の一人、星名君と休憩時間が被った。誰かと休憩時間が被った時は大体駐車場まで行って車の中で夕食を済ませるのだが、ロッカーから荷物と車のキーを取り出そうとしているところを見た星名くんは
「あれ、佐々木さん、どこかいかれるんですか?」
と絡まれてしまった。
「あ、休憩邪魔かなって思って、私車で食べて来るので大丈夫です。」
というと
「えー、せっかくだからいいじゃないですか!一緒に食べましょうよ!」
と言われてしまった。正直気まずいから車に行きたかったが、こう言われてしまうと断るのも難しい。
「わ、わかりました、では失礼しますね…」
夕食は売り場で割引シールが貼られていた菓子パン二つ。でも隣に人が座っているとなんかやっぱり食べにくい。
「佐々木さん、それだけですか!?健康に悪いですよ!!」
そういう星名くんは、手作りのお弁当を机の上に広げていた。彩りも良い。
「星名くんは実家暮らしですか?」
「いえ、一人暮らしです。地元は関西の方なんです。」
「へーそんなところからわざわざ。ってことはお弁当は自分で?」
「そうですね。まぁ残り物詰め合わせただけですけどね。佐々木さんは地元どの辺なんですか?」
「地元はこの辺です。私は実家でたことないんですよ。今も両親と暮らしてます。」
そう言うと星名くんは目をまんまるくして
「ええええー!マジですか!じゃあ家事とかもやらなくていいってことですよね?うわ、いいなぁ。」
と言ってきた。そんな羨ましがるようなことでもないだろう。意外そうな反応をしたのは私が既婚者だと思ってたからに違いない。
「実はずっと佐々木さんと話してみたかったんですよね。なんかミステリアスな感じしてずっと気になってたんです。」
なかなか聞き捨てならない事をいう小僧だ。でも最低限のデリカシーはあるらしい。ストレートに未婚なんですか!?とか歳いくつですか?!とかは言ってこない。
「えーなんにもないですよ。本当つまらない人間なので。」
「そんなことないと思いますよ。それに新卒の間だと佐々木さんレジ打ちすごい早いからみんなの憧れですよ。」
レジ打ちを誇りにしたことはなかったが、新卒のぎこちないレジ打ちに比べればもう10年近くやっている私のスピードはそりゃ早いに決まっている。
「レジなんてすぐ慣れますよ。それにみんな正社員だから、少ししたら私が頼る側になると思います。」
実際ここ数年おんなじような事を繰り返してきたからわかる。多少の違いはあれど、みんな大体数ヶ月で大体の業務はこなせるようになる。
「話変わるんですけど、佐々木さんって彼氏とかいるんですか?」
「え?彼氏?」
かなり困惑した。話変わりすぎ。そんなこと聞いてなんになるんだ?半分初対面みたいな関係で聞くか?それ?
「いない、ですね。」
「あ、そうなんですね。」
しばらく沈黙が続いた。
「あのよかったら連絡先、交換しませんか。実はこっち来てから友達全然いなくて。」
「あ、いいですよ。はい。」
断る理由も思いつかなくて、連絡先を交換してしまった。
「あ、ごめんなさい。もう休憩あと5分しかないですね!ちょっと急いでこれ食べちゃいます!」
弁当をささっと平らげた彼はそのまま休憩室を出ていった。私はパンに手を付けず彼の後を追うようにして休憩室を出た。
 家に帰る頃には、大抵22時を過ぎている。両親は寝ていて、私を出迎えるのは歳老いたネコのみーちゃんだ。今年で18歳になる。ちょうど私が星名くんくらいの年齢の時に家にやってきた。あのときは両手に収まるくらい小さかった。家族みんなでかわいがっていたけれど、最近はもっぱら私が世話をしている。特に夜は寂しいのか私に甘えてくる。
「みーちゃん、今日ね…」
部屋に戻った私は今日の出来事をみーちゃんに話して聞かせた。
「ねえ、友達になってほしいってどう思う?だって20歳以上歳違うんだよ?」
みーちゃんは何も言わない。
「星名くんってちょっと変わってるのかな。でもさ、もし私の年齢知らなくて、20歳差もあるって思ってないんだとしたら、ちょっと嬉しいかも、そんなことあるわけないか。」
嬉しいのだろうか?年相応の人生経験のなさが露呈していただけかもしれない。それに若く見られたからって何だと言うんだ。でもそうだ、彼ははじめに彼氏がいるかって聞いてきたんだ。その質問の意図は?そもそも別に同期が3人もいるんだからその中で友達を作ればいいじゃないか。なんでわざわざ私なんかに。もしかしてあまり人間関係がうまく行っていない?
 ふと、みーちゃんの目に映る私の顔を見てみた。目の周りに小じわがある。ほうれい線も少し浮き出ているが、鼻から下は普段マスクで隠れて見えない。
 って、何考えてんだか。バカバカしい。もう0時を過ぎている。こんな思考で貴重な睡眠時間を削りたくない。
「みーちゃん、今日はもうおやすみしよっか。」
電気を消して布団に入ると、みーちゃんは私のお腹のところに入ってきて、ゴロゴロと喉を鳴らした。そう言えば、今日買った割引の菓子パン、もう期限過ぎちゃったな。
 
 

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