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二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【職業訓練校初日編】

パワハラで仕事を辞めて死にそうになっても、人間とはしぶとくて狡猾な生き物だ。嫌になるくらい醜くて、それでも美しいのが生きるということだ。

命が芽吹く春は死に向かっていたのに、生き物にとどめを刺すような夏に私は外との関わりを再開した。奇怪なv字回復を遂げた私は、朝の爽やかな青空の下、酔い潰れたホストが転がる繁華街を闊歩していた。目指すは繁華街を抜けた先にある職業訓練校。

因みに、繁華街を通らなくても職業訓練校の実施施設には付けるのだが、単純に「朝の繁華街治安悪いんだろうな〜〜見てみたいなー!」という悪趣味な好奇心によって通っただけである。平日の朝だというのに散々たる残状を目の当たりにして、初日以降別のルートで職業訓練校の施設へ向かうようになったのはまた別の話。

職業訓練校とは義務教育を搔い潜り、高校・大学とお手本のような人生を全うしていたらおおよそ縁のない場所だろう。今後の話を展開しやすくするために、まずは軽くその制度について語らせてもらう。

職業訓練校とは、端的に申し上げると技能を身に着ける目的で通う、国が主催している学校である。要は、職に就くための技能を身につけて再就職しなさいということだ。

分野はIT、介護、保育など所謂「人手不足」な業界のものが多いことは否めないが、旅行業界や観光業界で通用する人材を育てるために英語を強化する訓練校もある。また私の知り合いで職業訓練校に通っていた人は二人いたが、一人はアロマ、もう一人は裁縫といった趣味に近いような分野を学んでいた。要は、受講時期や地域によって受けられる内容に差が出るのだ。

誤解のないように言うが、決して人が多い首都圏が有利なわけではない。先に挙げさせてもらったお二人は九州や甲信越で受講していたと聞くし、そもそも開催頻度は内容によって二週間、三ケ月、半年、一年、二年と変わっていく。通校中は交通費も満額出るし、一年以上通校する人には学割が適用されるなど、通常の大学や専門大学よりも金銭に余裕を持って学ぶことができる。

また通所手当というものがあり、40日を限度に一日500円の手当も失業手当に上乗せされて出る。他にも細かいルールや手当があり、語りだしたらキリがないのでここら辺で切り上げるが、つまりは金を貰いながら勉強ができる制度として、非常に優秀なものが職業訓練校だ。以下、職業訓練校のことを「学校」と表記する。

私が選んだ学校は、プログラミング言語として固いと言われているJava言語を教えてくれるところだった。受講期間は3ヶ月、週5で9:00-15:50の6コマで形成されている。場所は低層階ビルの一角。元々プログラミングスクールを展開している会社が委託を受けて開催しているようだった。

1日目は9:00から開講式というものがある。午前中にこれからのことやルール、教科書などを軽く説明するらしい。そして午後はハローワークへ行く。本格的な活動は明日からのようだ。

コンクリートで隙間なく埋められた壁と、ハワイアンテイストの洋服店を横目にビルの中へ進み、エレベーターへ乗る。押し慣れない階のボタンを選び、物言わぬ箱は自分の役目を果たすように上空へ私を連れて行ってくれる。

音を吸い込むような圧迫感の中、大学へ入学した初日の風景が脳裏を過ぎる。
あの頃の私はとにかく心が重く、緊張していた。そしてまた歳近いキラキラした都会の人とどう話せばいいか分からず、ただただ周囲でグループができるのを耳をそば立てて聞いていた。誰か話しかけてくれないかな。誰か「どこから来たの?」とか言ってくれないかな。

ずっと1人だった。だから大学では友達を作りたかった。
それなのにあの時の私はどこまでも受け身で、自分のことなのに他者がどうこうしてくれることを待っていた。本や漫画で読んだ、ひょんなことで人と仲良くなる正規ルートが訪れることを期待していた。

だがもちろんのこと、その「ひょんなこと」は待ちの姿勢ではやって来なかった。
オリエンテーションが終わり、みんながバタバタと学食へ駆け出していく。ぽつん、と教室に残り、駅前のパン屋さんで買ったカレーパンとピザパンをがさがさとリュックから取り出した。

このスポーティなリュック、実は気に入っていない。高校の時に親が買い与えた物だ。その当時高校生ならと言われるような流行りのブランドがあって、それで学校に通うことを望んでいた。

おしゃれなメーカーのリュックが欲しいと親にねだった記憶が蘇る。5000円でお釣りが来るような代物だったので、今の自分が親なら多分迷わず買ってあげただろう。だが、「お前にかける金はない」と一刀されて、適当な欲しくもないリュックを投げて寄越された。

嫌いなものばかりだ。このリュックも、自分の服も。でも1番嫌いなのは自分自身だった。買ってきたパンを食べようと、袋を開けた時だった。

「ねぇ」

びくっと必要以上に身体が硬直する。声の主人に目線を向けると、視線がかち合った。間違いない。あの声は私に向けられたものだった。

「どうしたの?」

怖々、といったような感情が滲み出る声で応える。誰にも話しかけてもらえなかった自分に初めて声が掛けられた瞬間だった。

聞くところによると、お昼を買いに行きたいのだが人の多い場所に1人で行くのが怖いのだという。その気持ちはすごく分かった。私も朝パンを買ってはいたのだが、もし友達ができて学食に行くようなことがあったらこのパンは無駄になるな、と半分食べ物に失礼な期待を込めていた。

「友達もまだできなくて。ちょっと1人学食はハードル高いんだよね」

一緒に学食へ行けばよかったのかもしれない。
でもそれ以上に、「人が多い場所に1人で行くのが怖い」というコミュ障ぼっちよろしくな思考がなんとなくそれを選ばなかった。

代わりに選んだのは、この場に一緒に留まること。ピザパンを右手、カレーパンを左手に持ち、名前も知らない親近感に問う。

「どっち食べたい?一緒にここでお昼しようよ」

目の前の主は目を大きく見開いた。そして次の瞬間花が綻ぶように笑った。いいの?ありがとう。カレーパンがいい。と左手を指さして言うので、差し出して昼を共にする。どこから来たのか、たわいもない話で時間が溶けていく。私の心もまた解けていく。これがきっかけで私のぼっちライフには終わりが来て、後にこの人は大学通して付き合う友人へと変わる。

この時学んだのは、「ひょんなことを待つんじゃない。私自身がひょんなことになるんだよ」だ。
最初のきっかけが友人からの話しかけではあったが、最終的に互いの歩み寄りで仲良くなることができた。奇跡や縁は待つものではない。自分がその正体になって取りに行くものなんだと、身を持って知った。

あの頃から私は変わった。あの出会いが、あれ以降の全ての経験が、私の血肉となり能動的な人間へと成長させてくれた。人は怖い。己の機嫌だけで他人のことを容易く傷付けて開き直れる悪魔のような一面を持つ人もいる。一方で、無職で双極性障害を患った私に寄り添って支えてくれた夫やハロワの人、病院の主治医みたいな人もいる。

エレベーターのドアが開く。灰色のカーペットに白い壁のコントラストが目に入る。全ての人が私を気にいるわけではない。全ての人が私に害をなさない訳ではない。この世の中は私に都合良くなんてできてないけど、それでもいい。私はここでの出会いで自分から縁になりにいく。

【Javaコース8月受講生の方は教室Aです】の看板に従って、静寂の先へ向かう。教室にはまばらに人が座っていて、前を向いて居心地悪そうにしている頭、振り返って探りがちに話す顔など多彩な人心地が目に入る。腹に力を入れて、顔を上げる。

「おはようございます」

何人かこちらを振り返って声がやまびこのように還る。おはようございます、の声と同時に、私という人間をその目が捉えた。

ここでの時間を良いものにしよう。
そう思って、異空間へと足を踏み入れた。

◇  ◇  ◇

入校式では、事務の人がやってきて学校のルールを教えてくれた。休む時や遅れる時は自分のコース名と入校月を電話で伝えてから言うこと、毎朝テーマがあってそれでスピーチをすること、交代制で居室の掃除をすることなど、至って普通のルールがつらつらと立板に水が流れる如く述べられていく。

最後に、と付け加えて事務の方は就職が決まった場合の報告の仕方を教えてくれた。大学院の時ものちに就職する後輩のために書類を書いたけど、それとは違う。学校で身につけた技能の関連で就職したか、失業手当の給付日の関係がどうなのか、など、制度的な問題が絡むらしい。

教室にはざっと20人はいた。
文系か理系かで言えば理系に属するようなコースだが、それでも女性は思ったより多く5,6人前後。既に軽くコミュニケーションを取れた人も居たし、「少し学生時代みたいで楽しいな」とうきうきした気持ちがあったのだが、同時にここは再就職が目的の場所だと言うことを忘れないように、と思った。そもそも私は人が怖く、働けるだけの体力に自信がなかった。そのリハビリとして通うことを選んだ、というのが当初の目的である。ただ楽しいだけで終わらせるのは目的から逸れるし、そんなつもりもさらさらなかった。

とはいえITのことを少しも分からない自分が、新しいことを学びながら就職活動なんてできるのだろうか?転職活動と勉強は体力知力共に疲弊する行為だということは予想が簡単だったが、それでも「仕事をまたしたい」という自分の気持ちから逃げることはしたくなかった。
少々の負荷がかかることをこの時点で覚悟していた。

入校式を終え、ハローワークで手続きをして一日が終わる。あれだけ人の多い空間に居たのはどれくらいぶりだろうか。無職になって初めの3ヶ月に関わった人より多いんじゃないかと錯覚するくらい大衆の気配から遠ざかっていたのだろう。

早々に夕飯を済ませて風呂に入り、睡眠薬と抗精神薬を飲んで布団に潜り込む。明日からいよいよ本格的に通い始めるのだ。自ら望んで選んだのに、怖い、と感じている自分が居た。今のところ不快な思いをすることはなかったが、やはりまだパワハラの後遺症は残っているみたいだ。

かつてぶつけられた言葉を思い出すことは減った。夜も叫びながら飛び起きなくていい。死にたさも自責も、ある程度払拭できている。
ただ、棘が刺さったように自分の中で何かがピン留めされて不自由に覚えてしまうことだけは未だに心を支配していた。言語化ができない不安感や恐怖心がずっと心を縛っていた。

結局のところ、まだ私はあの時の傷に向き合い切れていないのだ。距離を取って記憶を薄めただけで、根本的な治療には至っていないのだ。自分は傷ついている。今でも見えない後遺症と戦っている。どうにかしてこれを癒す方法はないんだろうか。このまま風化するのを待つしか自分にできることはないんだろうか。

混濁した意識の中、自分の傷を見ていた。

次の日、満員電車に揺られて学校へと向かった。今日は軽くITの歴史について学んだ後、自己紹介をする日らしい。学校の最寄りのコンビニで麦茶と朝ご飯のおにぎりを購入し、灼熱の太陽の下で道をゆっくり進む。

電車の中は人が多くて、人の気配や音が気になってしまった。前職はリモートが半分、出社が半分で朝早い空いている電車を狙っていたから、元々満員電車耐性というものには縁がない。昨日は薬によって熟睡できたはずが、少し神経質になっているようだ。ささいなことで心が削れているのだが、大丈夫なんだろうか。

自分を奮い立たせるようにそれなりの声で挨拶をして教室へ入る。昨日と同じように声が戻ってくる。たかだか2回目なのに、挨拶は既にここでの慣習になっているようだった。急速に自分が変わっていく。新しい場所に馴染もうと、心が形を変えていく。

元より、虐待やパワハラに晒されなかった人間ですら恐らく真っ直ぐで傷のない心を持つ人はいない。いわんやその経験をした人はどんな形をしているのだろうか。どんなに歪に捻じ曲げられてしまったのだろうか。心は見えないから、私が他人の心の形をなぞることも、私の心を差し出すこともできない。

その中でも幸せなことは、傷ついた心なりにまた自分の力でその形を変えられることだ。それは歯科矯正のように痛みやメンテナンスを伴う厄介なものかもしれない。ただ、それでもやってみる価値はある。

最近は実家の太さによる精神の安定、配偶者によってもたらされる金銭の余裕など、何かにつけて他人と比べ、「誰が1番不幸なのか」という永遠に回答のない背比べをしている傾向を見る。けれども、実際には純粋で疑うことを知らない真っ直ぐさを羨ましがるという矛盾を世の中は抱えている。

私はそもそも歪で傷だらけなのに、配偶者を持ち高学歴な障害者という中途半端な人間である。どっちにもなれない、何者にもなれないいい加減さこそが私という生き物の象徴だ。

であれば、私は再施工して綺麗になることを選ぶのではなく、むしろ歪さを極めて「もはや芸術だろう、この人の生き様は」と言われるくらい、独立したジャンルの人間になるのが手っ取り早いだろう。それが私が私で居ても良い手段の一つなのかもしれない。

今日が始まる。日直が号令をして、スピーチが始まる。今月のテーマは「自分の短所と長所」らしい。再就職を目的にしている場所だから、やはり題材も就活の面接チックだ。

そしていよいよ授業へ内容が移動する。学校の1日は一コマ50分、休憩10分のインターバルで午前3コマ、午後3コマの合計6コマで形成されている。今日は午前の3コマでITの歴史を学び、午後自己紹介をするらしい。

ITの歴史は面白く、特に「なぜプログラミングの世界で2進数が使用されているか」や「古い言語から新しい言語が発展するまでの経緯(COBOLやPythonなど)」の話は、単純に「コンピュータの世界ってすごいなぁ」と膝を打つような感覚だった。これまで化学畑で生きてきた人間にとって、ITというものはある意味相対する位置にある気がした。

再現性や根拠を示すのは学問的な下地として共通していたが、ITというものは化学と異なって善意で発展してきた学問らしい。いかに新規で今後の発展性があるかを訴える化学分野に対し、「あっなんか作ったから使ってみて~。無料だから使い勝手は保証しないけど」というある種いい加減な側面で成長してきたIT。ナノ単位のズレも許さない厳しさの中で生きてきた自分には、結構衝撃的なゆるさだった (これはITを専門で仕事にしている人間にも聞いたので本当にそうらしい)。だからこそインドのようなカースト制度の根深い社会でも発展を遂げられたのかもしれないと思うと、かなり夢がある学問だ。

お昼のために場所を移動する。誰もいない空間、海苔がぱりぱりしたおにぎりを休憩スペースで茫然と咀嚼する。教室で食べてもよかったのだが、正直、人疲れしていた。だだっ広い空間に机と椅子、自販機だけが雑多に置いてあるこの空間は、情報のインプットを切ることができるという意味で今の自分にとても優しい。

午後は自己紹介をすると聞いた。あらかじめ提示された自己紹介のテーマは4つ。

1.自分の名前
2.家にパソコンがあるか
3.なにか言語を学んだことがあるか
4.一言

1~3はまだ良しとして、問題は4だ。
学生時代、学会や学内発表、はたまたオープンキャンパスでの挨拶などを務めてきた自分だが、本当はめっぽう人前に立つのが苦手だ。大体、ひとことってなんだよ。みんな3~4行くらい話すのになんで一言なんて名前なんだよ。名前変えろよ、と内心悪態をついていた。

そもそも私に話すほどのことなんてあるのだろうか?三ケ月家に引きこもって、仕事を三年以内に二社辞めた中途半端な自分に、人と共有できることなんて…。

いや、ちょっと待って。
もしかしたら。

喉が鳴った。脈拍がどくどくと上がって、己が生きていることを鬱陶しいくらいに主張してくる。

私が人に話せることは、あれなのか?
傷が風化するのを待たず、迎え撃つのはそれを話すことなんだろうか?

◇ ◇ ◇

自己紹介の時間が始まり、徐々に私の番へ近づいてくる。
前二人は年齢も自分より15~30は上で、華麗なるバックグラウンドを保持していた。また学校に来た理由も、かなり説得性のある、素敵なものだった。2人が大人としてどっしりした、揺るがない内面を有しているのはある程度雑談していてわかっていたこと。だがまさかそれを裏付けるものがここまで強固で、人を魅了するとは思ってもいなかった。

聞いている側の空気も称賛のような、感心のような、とにかく場が出来上がってしまったような感覚を覚えた。

正直、話しづらい。私がお昼に浮かんだ「あのこと」とは「パワハラで仕事を辞めて人生に迷っている」ということだ。この空気感の中で、この話をするのは「正しい」のだろうか?それを選択する私のあり方は、自分の身の振り方は「普通」なのだろうか?葛藤をする間もなく前に促され、灰色の正方形カーペットがはめ込まれた床に椅子を引く音が吸い込まれ、立ち上がる。

前に立つと、40個の瞳が私を捉えるような気がした。顔や表情、姿形よりも、物言わぬ目が私は怖い。脳みそを覗くような、自分の一挙手一投足を評価されているようなその目が怖い。本当はそこまで他人のことなど誰も見ていないことなど、評価できるほど私のひととなりを知らないことなど、なにもかも分かっている。けれど、脚ががくがく震えるのが止められなかった。
それでも逃げるな。顔を上げて、呼吸を整えて、視線をゆっくりと座っている人たちに移しながら話し始める。

「初めまして、霧島美桜です。家にパソコンはあって、LapTopを使っています。学んだ言語は中学校の授業でHtmlやCSSをやったくらいで、からきしです。ええと、ひとこと。ひところはですね…」


いっぺんに話したから呼吸が詰まる。緊張が満ちた時の悪い癖だ。詰まった気まずさから顔が下がる。最悪だ。このタイミングで心に負担がかかる話をするなんて、馬鹿のすることだ。でも。

今を逃して、いつかできるようになるだろうとこの場をやり過ごすのは嫌だった。従順に機が熟すのを待つのは嫌だ。それは永遠に何もできないままの自分を助長する。この先も自分を偽って生きていくのは嫌だ!

決めたんだろう、あの時生きると。みっともなくみじめったらしくとも生きようと。
誰かがひょんなことを起こすのを待つのではなく、私がひょんなことになりにいくのだと誰よりも身体が知っているじゃないか。
それなのにこんなところでしょうもないプライドを発揮してどうするんだ。
それは捨てろ。自分を良く見せようとするな。
目の前のものに、望んだものに正直で居ろ!
顔をあげろ私!


「私は大学院を修了して、新卒で化学メーカーに入りました。でも、やりたいことがあって半年で辞めて、二社目に入りました。その先でパワハラに遭ってメンタルを病んで、また辞めました。そんな自分ですが、皆様にお願いがあります。
それは、私と話して欲しいということです。私は人生に悩んでいます。この先どうしようか悩んでいます。なのでみなさんと話がしたいです。いろいろな意見が聞きたいです。それからまた考えて、自分の人生をやりなおしたいです。なので…何が言いたいかわからくなりましたが、とにかく仲良くしてください。お願いします。」


群衆に頭を下げる。自己紹介の締めの行為というよりも、それは祈りの姿みたいだった。はぁ、と低く深い呼吸が身体からこわばっていた力を外へ逃した。

おわった。これは初日からやってしまった気がする。声も身体も震えて、最後は泣きそうになってしまった。どうしてこんな簡素な自己紹介の場でしんどいことをぶっちゃけて、勝手にしんどくなっているんだろう。自分で決めたこととはいえ、情けなくてみっともない人間のまま生きるとはこんなに苦しいのか。自分は弱い。ここぞという場面で堂々とした態度で話すことができない。人が怖い。それはパワハラに遭う前、もうずっと昔からこうなんだ。

ぱらぱらと拍手が聞こえて自分の席に戻ると、追い打ちをかけるように先生が次の人を促した。

身体の震えが止まるまで時間はかかるし、反応も気になる。人生に悩んでいることを話すのは、正直賭けだった。自分に正直であるために、傷と向き合う手段のために物言わぬ40の瞳を利用したに過ぎない。全員、とまでは言わないけれど、普通の精神を持っていたらこの場でそんなことを話す人間は絶対爪弾きにされる。

「変わってるね」と言われた小学時代を思い出す。
「お前なんでそんな考え方をするんだ、変だ」と笑われた中学時代の記憶が甦ってくる。
「なんか美桜は人と違うね」と述べられた高校時代が追い打ちをかけて、「休みたいって逃げてんじゃねーよ!」と怒鳴られた社会人生活が脳内逃避の逃げ道を塞いだ。

最悪。最悪、最悪、さいあく。
顔を覆いたくなるような羞恥。叫びたくなるような劣等感。せっかく周りの人の人生を知る時間なのに、もう誰の声も言葉も頭に入ってこなかった。

「じゃ、10分休憩しますね」

はた、と気づくと4限目か終わる時間になっていた。前に立っていた人は真ん中くらいにいたから、多分半分くらい自己紹介が進んだんだろう。

自分はこんな時に何を考えていたんだろう。
馬鹿みたいな後悔を反芻していたんじゃないか。

愚かだ、と思った。この場で誰よりも子供だと思った。年齢なんかじゃなく、自分の気持ちに飲まれて周囲を気遣えない自分自身の幼さを恥じた。

それでも時は止まらない。私の時間は前にしか進まない。ならば、後悔を噛み締めるのではなく、少しでも周囲とコミュニケーションを取るべきだろう。

取り返しのつかない行いを心の中で引きづりながら、右側に座る華麗なスピーチをした2人に顔を向けた。ここでは偽名を使うが、私の一つ右隣を佐々木さん、二つ隣を佐藤さんとする。

佐藤さんは海外で開発者として長年働き、この度定年退職により日本に戻ってきたらしい。見た目は年相応で、よく「資料の文字が読めない」と老眼鏡を掛けている姿を知っている。一方、中身は穏やかで非常に物腰柔らかで、私のような半端者にも高圧的に出たことはない。

佐々木さんは色々な仕事を4つ5つ渡り歩いてきた人だ。一つだけ仕事に言及すると、気象予報士の資格を持っていてそれ関連の仕事をしていたこともあるらしい。他の職業も言わずもがな立派だったが、本人はそれを鼻にかけてるような態度を一度たりとも示さなかった。

一つの専門性を突き詰めた人と、多彩な分野で活躍する人。なのにそれを自慢しない謙虚さ。この2人は、元より私がなりたい大人の姿と重なる。

「佐藤さん、海外で開発者やってたんですね。長年海外で働けるなんてすごいですね」

素直な賞賛と憧れと、そして羨ましさを持った言葉。佐藤さんの姿は、大学院生の時に夢を抱いた私の生き方に似ていた。海外の博士後期課程に進学し、博士号を取得した後そのまま海外で働く。
望んだ将来はアカハラによってぼろぼろになった精神で叶えることが出来なかったけれど、それを叶えた人の話は端的に興味深かった。
ほほ、と聞こえてきそうな上品な笑みで佐藤さんは言う。

「いやいや、たまたまなんですよ。本当に急に海外へ行けって言われて。佐々木さんもすごいですね、気象予報士の試験とか難しいって聞きますよ」

全身から人を安心させるような雰囲気と、ナチュラルな爽やかさを持った佐々木さんは答える。

「そうなんですよ、本当に勉強大変でした。意味わかんなかったですもん最初過去問題見た時」

佐々木さんの生き方は、現在私が検討している姿に似ていた。自分が他人と違うこと、王道な道を歩めないことは知っていたから、ならばいっそのことそれを極めて自分だけの生き様を作りたいと思ったのは先に述べた通り。佐々木さんは多彩な分野に進んでいるだけでなく、各々でちゃんと結果を出している。ある意味自分が望む生き方の最終形態みたいなものだった。

一つの分野を極めた人と、多彩な分野で活躍した人。それに比べて何もかも自分は中途半端だな、と内心で自嘲しかけた時、佐藤さんは私に目を向けた。

「霧島さんのスピーチも良かったですよ。自分の弱いところを言える人って、本当に強い人しか出来ませんからね」

佐藤さんは朗らかに笑う。年齢を重ねた人だけが言える、経験と知見に裏打ちされた深みのある言葉。
佐々木さんがそれに追従する。

「そうですね。誰でもできることではないですね」

ほろほろと、心が崩れていく。

「そんなこと…ないですよ」

嬉しいくせに、バカみたいに外向きの顔をして答えるしかできなかった。顔は笑っていたけれど、本音は泣きそうだった。この感情はさっきと違う。安堵だ。暖かさのある言葉は、冷えた心の底を刺激されるようななんとも言えない重さを私の中に残した。

2人と話していると、前に座っている人や斜め前の方が笑いながら雑談を求めてくる。爪弾きにされることを勝手に予測していたが、「大学院ってなにする場所なんですか?てかかなり頭いいじゃないですか」と至って普通な会話を引き続き求められる。

ぐるりと世界が反転するような感覚がする。
自分の中の常識が、動く。心の動きを制限していたはずの楔が、徐々にその全貌を露わにしていくような不思議な夢見心地を覚えた。

私の姿はみっともなかった。それは断言できる。でもじゃあそれが全ての人にとって私と言う人間を切り捨てる判断材料になったか?というとそうではない。

実感がないけれど、多分答えは言葉でも態度でも返ってきた。それはまるで最初から決まっていたことみたいに、当たり前のように会話のキャッチボールが続いた。

ここはあるがままの私で居ても良いのだろうか?

少しずつ恐怖心が溶けていく音がした。

◇  ◇  ◇

ここまでお読みいただきありがとうございます。

前作、「二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【起死回生編】」が沢山の方に読まれていていて嬉しい限りです。

「二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【ディープインパクト編】」に続きます。

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