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二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【前職決別編-上-】

弱さというものは厄介だ。自分で持つことを選んだわけでもないのに、攻め込むための標的だ、と言わんばかりに他人は扱う。生きているとそういうのは尽きないから、特に弱さがなにも悪さをしない時は視界からドロップアウトさせるのが楽だ。だが周囲はそうと認識してくれない。一度欠点だと思われたら最後、気付いたら己の核にまで他者の攻撃が行きついていた、なんて恐ろしい結末を迎えることも珍しくない。
では弱さとは永遠に自分の欠陥になのか?というとそうではない。他者によって、あるいは己の捉え方によって、その存在を捉え直すことをできる。

学校で出会った山崎さんとパンクさん、そして前職の秋田さんも、私の弱さを持ってくれる人達だった。

散々人と話した一日の終わり、私は掃除当番でコロコロを床にかけていた。あんまり掃除は得意じゃないけれども、無心で単純作業をするのは素朴に好きだ。思考に塗れた己の頭が無になる貴重な作業だからだ。授業が終わって掃除もして、となると結構な時間が経っていたので教室の人影はまばらだった。

コロコロを所定の場所にしまって、壁掛け時計の時刻を確認する。16:20。今日は前職の人とご飯の約束をしているので、それまでの時間は暇だ。約束の場所はここから30分電車に揺られた場所にあって、特にめぼしい商業施設などもない。あと一時間くらい、ここらへんを適当に散策して時間でも潰そうかな。

日焼け止めを塗り直して教室を出ようとすると、視界の隅でさらりと長髪が揺れた。山崎さんと、その隣に座るパンクさんだ。どうやら同じタイミングで学校を出ようとしたらしい。

おー自分って持ってるなぁ。
無双状態だった私は、迷わず二人に声を掛けた。

「お二人とも、私ちょっと暇なんで小一時間茶しばきしません?」

二人とも喜んで付き合ってくれるとのことだったので、よくあるチェーン店のカフェに入った。繁華街でもありオフィス街でもある場所のカフェには、夕方だというのにサラリーマンの影がちらほら見えた。そんな中私服でどうみても仕事じゃないだろと思える3人が紛れ込んでいる状況は、ちょっと面白かった。

先に二人に買いに行ってもらって、四人席の確保をした。二人はすぐに戻ってきて、交換するように私は席を立った。ルイボスティーを片手に席へ戻ると、「お見合いですか?」と聞きたくなるくらい他人行儀な会話をしている山崎さんとパンクさんが目に入ってきた。

「二人とも隣の席で同じくらいの歳なのに、なんでそんなよそよそしいんですか」

椅子に身体を滑り込ませながら聞くと、実は…と山崎さんが言った。「パンクさんと話したのこれが初めてなんですよ」。

これにはさすがに笑った。隣の席で、なおかつ3日経っているのにまだ話していないのか。聞くところによると、互いにコミュニケーションが嫌いという訳ではないらしい。ただ単純にタイミングが難しくてお見合いしてしまった結果、現在に至った。自分の無双状態をとっかかりに話したことのない人を繋げられたので、勝手にちょっと誇らしかった。何か話題を提供しようと、とりあえず共通の点を振っておく。

「お二人とも、20代でしたよね?」

それを聞いてパンクさんはにやりと笑った。

「違いますよ」
「え?27とかそこらじゃないんですか?」
「山崎さんはどう思いますか」
「うーん。35とか?」
「正解は40です」

これには山崎さんと二人で「えぇ?!嘘だ!!」と驚愕したが、免許証を見せてもらって確認した。本当だった。

「好青年って見た目なのにそのエピソード面白くないですか。山崎さんの4なしといい、学校の人たちみんなネタに富んでますね」

なんの気なしに呟くと、二人はうんうんと首を赤べこのように振った。例えば自己紹介だけでも、元ITエンジニアで第一線を張っていた愛煙家さん、接客業やSESでバリバリ働いていた裏拳さん、派遣の斡旋をして起業経験のあるロキソニンさんなど、「みんな不思議だけど面白そうだよね〜話してみたいなぁ」と興味を掻き立てる魅力に満ちた人が沢山居た。一方でそんな大切な場で、あんなにジメジメした自己紹介を披露した自分て。と少しばかり肩身が狭かった。自分で出しといてなんだが、自己紹介の話は若干気まずいんだよなぁと思っていると、山崎さんはアイスティーを啜りながらこちらを見た。

「実は僕、自己紹介最後だったからみんなの印象とか話してた内容をメモしてたんですよね」
「え、すげぇ」
「ああそれ僕も知ってました。なんかメモしてるなーって」
「その上で思いましたけど、霧島さんもおもしろい人ですよね」

思いがけない発言に面食らっていると、山崎さんは続けて私の自己紹介について話し出した。

「そりゃ声震えてるし、とんでもねぇこと言うなぁって思ったけれど、この人自分に正直なんだなって感じました。自分はああいう場でおちゃらけて逃げるけど、それをしないでありのままを言うこの人すごく真面目なんだろうって思いました。わけわからんくて面白いな〜って。んで、周りもそれを受け入れていると言うか、応援してるというか…とにかく嫌な空気は感じなかったですね」

「うん、それは俺も思ってました」

にこにこ笑いながら自己紹介を振り返る二人に忖度の影は見えない。だからこそ、その発言は胸を打った。どうして仕事を辞めてから出会った人はこうも優しいんだろうか。断罪もしなければ迫害もしない。それどころか、数日前佐藤さんや佐々木さんに言われた時のように泣きたい気持ちになった。自分を開示して、自分からひょんなことになるとこんな副産物に出会えるらしい。

「その言葉を聞けてよかったです」

絞り出すような声を出してお礼を言った。あの日のようにみっともない自身の姿は今のところ変わりがないが、それでもそれでいいと肯定されることが続いている。貰いっぱなしも良くないので、今度は二人の話を聞こうと思った。

「お二人にお聞きしたいことあるんですけど、無職って結構才能要りません?私学校の前三ケ月くらい家に居ましたけど、若干しんどかったですもん。山崎さんってずっとニートしてたみたいですけど、しんどくならなかったんですか?」

「あーそれはならなかったですね。気楽だし、できることなら働きたくないし、学校も金が尽きたからしょうがなく来たって感じです」

あまりのあけすけさ、そしてやる気のなさに笑った。山崎さんはどうやらニートの才能をお持ちの方らしい。たまにネットで目にすることはあったが、実際に出会えるとは感激ものだ。もう少し聞くと、どうやら山崎さんは失業手当ではなく、別の形の給付金を貰って通校している。それは1ヶ月一度も遅刻をしない、休まないなどの厳しい制約があるが、成功すると月に10万貰えるらしい。「根っからの夜型人間なので、失敗したら笑ってくださいね」と言われたので、毎日山崎さんに挨拶することにした。ログインボーナスみたいなものにしてくれたらいいなと思った。

「パンクさんはなんで学校に通おうと?」

「僕は妻が元々行ってて、それで勧められたんです。仕事にも繋がるし、楽しいから行ってみなよって言われて。結構クラスの人が仲良くて、みんなで飲みに行くこともありましたけど、ハロワの人に聞いたらクラスも仲がそんなにな場合と、仲良くなる場合の両方あるらしくて。結構クラスガチャが大きいなって」

クラスガチャなんてものが存在することに、シンプルに驚いた。自分はなぜか仲良くなることを前提で行動していたけれど、もしかしてそれがそぐわなかった未来もあったんだろうか。こうして放課後に茶しばきができている現状は、タイミングと運によるものらしい。

その後は若い頃のパンクさんがバンドを組んでボーカルをしていた話や、無職時代のしんどい経験などを共有して時間が溶けていった。山崎さんはやっぱり無職の才能があったし、パンクさんは好青年の見た目でしっかり狂っていた。二人は音楽の好みがどうやら似ているということで、意気投合していた。明日からも学校が楽しみだ。

◇   ◇   ◇

山崎さんとパンクさんと別れて、普段帰宅に使用していない路線へ乗った。繁華街の賑わいからは少しずつ外れていって、昔から続く会社がぽつぽつあるような静かな駅へとたどり着いた。今日は華金と呼ばれる日で、カフェを出る頃には夜の明かりがすっかり街を染めていた。なのに前職の最寄駅は、光を失ってひっそりしている。

【仕事早めに終わったから、先入ってるね!】

携帯が震えて、送信主のメッセージを受け取る。今日会うのは前職で同じ部署だった秋田さんという人だ。年は親子ほど離れているが、仕事のやり方は丁寧で何度もフォローしてくれた。やっている業務は全く同じではなかったものの、誰に聞けばいいか分からない内容などは聞けば大体教えてくれた。だから仕事を辞める時、なんとなく信頼に足る大人として認識していた秋田さんにだけは、その旨をこっそり電話で伝えた。【元気になったらお話ししようよ】と返され、ある程度回復したので今日に至る。

私は生きていくと決めた。ならば、そのために己の過去と向き合わなければならない。雑多なビルの階段を上がって、重いドアをスライドさせる。お店の人がすぐに来て、「待ち合わせです」と言うと秋田さんの元へ案内してくれた。

秋田さんは、薄暗い店内の角席に座っていた。ブラックオリーブを突いているフォークは、暗いオレンジ色の電球を反射して机の色と馴染むようだった。夏だというのに黒いカーディガンを羽織っていたが、別にこれは珍しい格好ではない。秋田さんは冬だろうが真夏日だろうが、いつもなんてことない長袖を着用していた。私が思い浮かべる秋田さんと言えば黒いカーディガンくらい、その姿には覚えがあった。一方でその所作には、【マダムキラー】の名を恣にしていた理由が凝縮されていた。一見すればただの中年男性だが、きちんと人となりを知ればこの人がいかにプライドを持って仕事をしているかが想像つくだろう。

「秋田さん。お待たせしました」

秋田さんはふと顔を上げて、「おぉ〜久しぶり」とくしゃくしゃにして笑ってくれた。あの時と変わらない、変わったのは私が無職になったというだけ。L字型のソファの片側にそっと促され、メニュー表を差し出される。

「好きなもの頼んでいいよ」
「ありがとうございます。とはいってもあんまり食べられないので、秋田さんの好きなものを頼んでください。食べられそうなら少し頂きます」
「そっか、分かった。ごめんねもう始めちゃってて。てか…痩せた?」

秋田さんのくぼんだ眼が飛び出るようにこちらを見た。昔ダイエットをしていた時に体感しているが、さすがに5kg以上体重を落とした人間の見た目が変化しないわけがない。久しぶりに会ったら尚更そのことがわかるだろうと理解していたが、こうも顕著な態度を出されると最早笑いしか出ない。

「まあ…やっぱりしんどくて」
「そうか。今日はいろいろ聞かせて」

前職の最寄り駅に似つかわしくないようなお洒落なカフェ&バーは、週末だというのに人の影が薄かった。店内BGMは控えめだが、沈黙が苦になるほど静かでもない。お酒を飲めるような体調でもなかったので、1杯目はパインジュースを使ったノンアルコールを頼んだ。

「お酒いいの?結構飲むらしいじゃない」
「実は仕事辞めて以来、お酒もご飯もあんまりで」

それを聞いて秋田さんは何かを込めるようにぐ、と顔を歪ませる。それを述べることが憚られる、でも聞かなきゃいけないといった様子で秋田さんは尋ねた。

「電話で少し聞いたけど、一体何があったの?」

かつて一緒に仕事をしていた表情が、痛々しいものに触れたかのように苦しそうにこちらを覗く。その顔を見て、私は三ケ月閉ざしていた記憶を語り始めた。

◇ ◇ ◇

ことの始まりは障害者手帳を職場に落としたことだった。障害者手帳はカードと紙を選べるのだが、私は紙で申請したことにより緑色のケースが提供されていた。

とはいえ障害者手帳は一般の人に馴染みがないことが普通だ。仮に職場で落としてもじっくり見なければなにを落としたのかわからない。それが"なんの区分において"障害者であるかは、実際に手に取ってその記載内容を見なければならない。だからすぐに拾えば穏便に事が済むはずだったものを、私がすぐに気づかなかったこと、それを拾ったのが私の上司でありメンターでもある人であったことがすべての間違いであった。

「霧島さん。これどういうことか説明して?」

帰宅準備を終え帰宅しようとした矢先に声が掛けられて振り返った先を見ると、あからさまに自分の血の気が引く感覚がした。メンターの手に握られていたものは自分の障害者手帳だった。

違う、と言えばよかったのか。適当に身体や聴力の障害をでっちあげればよかったのか。未だにこの時の問いの正解が分からない。だって手帳には私の顔写真と、「障害等級3級」の文字が掲げられている。この現実を前にして、私が付ける嘘には限りがある。

周りの音が大きく聞こえる。固まっている私の様子に気づいて、ちらりとこちらを覗く人の顔が目に入った。人がたくさん働いている中で自分の障害者手帳が人質に取られている。

なにをされるかわからなくて、とっさに空き会議室へとメンターを促した。個室に二人きりになったことを理解してから、自分が双極性障害で障害者手帳を得たことを告げた。

「双極性障害ってなに?」

「ええと、気分の波が激しくて、急にハイテンションかと思えば鬱になったりする脳の病気でして…」

「ふーん。なにか病気になった心当たりとかあるの?」

「…子供の頃から…親に虐待されていたこととか…あとは……」

今この時に戻れるなら、病名まではまだしも過去の詮索は聞きすぎであると判断して、【それは個人情報を詮索しすぎである】と突っぱねたい。そして過去の私に対して、【聞かれたからといってあなたは話したくないことを話さなくていい】と伝えられた。それでもあの時の私は凍り付いたように、目の前の質問へ正直に回答してしまった。それはかつて虐待をうけた時、従順に暴力を受け続けてしまった時のように。自分の意思とは別物で勝手に身体が応えてしまった。

全ての問いに答え切った後、メンターは満足したかのように次のことを述べた。
・障害者雇用として雇用されれば会社のメリットになるからそうすればいい
・このことは部署内に共有する
・親とは仲直りした方が良い
・あなたの病気を俺が請け負う

色々言いたいことはあるが、今振り返ってメンターの言動をみると、シンプルに怖すぎる。
何が怖いって、一切私の都合やプライバシーを顧みていないからだ。

障害者雇用になれば会社のメリットになる一方、私の給料は薄給に薄給を極める。障害を言わずに一般雇用で入社しているものの、私は決して障害の影響を職場に持ち込んだことはなかった。欠勤をしたことは当然の如くなかったし、むしろ月30時間ほどの残業もこなしていた。何より主治医に一般雇用で働いても問題がないとのお墨付きもいただいている。現状病気とうまく付き合っていて、特段病気が悪化している訳でもない私に、障害者雇用を選ぶメリットはない。単純に【会社が障害者を雇用している】という実績のために私の存在を利用しようとしているだけだ。

また部署内での共有に対しては必死で反対したが、後ほど許可なく共有されていたことが判明する。

両親のことも、虐待されていた私のことを、殴られながら育ったメンターの家庭環境に重ねて「仲直りした方がいいよ。俺は今大人になって親に感謝できるようになったから」と有り難くもない同一視を図ってきた。

レベルが違うんだ、と言えなかった。
殴られるだけじゃない。生理用品を漁られたり、個人情報を詮索したり、宗教陶酔していたり、あげたらキリがないくらい私はずっと苦しかった。院を修了してようやく行方をくらませることが叶ったのに、ようやく電話が掛かってこない日々に安堵を覚えていたのに。どうしてそれを強要されるんだ。

古傷がずくずくとうずく。かさぶたを無理やり剝がされたか、はたまたもう一度同じ場所を切り裂かれたか。どんな痛みかを再現することはできなかったけれど、一つだけ言うとすればその日の夜は久しぶりに実家の夢を見た。

タイミングというものは一度悪くなると加速的だ。障害者手帳を拾われてから約2週間後、生理がきた。生理不順だったので慌ててナプキンを持っておらず、慌ててコンビニに買いに行った。ひとまず下着はこれ以上汚れないけれど、生理痛がひどい。痛み止めも切らしており、ここらへんでは売ってる店がない。一旦は出社したものの、これはもう無理だと思って部長に電話したが、生憎電話が繋がらなかった。そこでひとまず、ということでメンターに「今日は体調悪いので有給使わせてください」と電話すると、その向こうで怒号が聞こえてきた。

・休みたいって逃げてんじゃねぇよ
・周りの人も色々あって頑張っているのに自分だけ辛いと思うな
・なんかあってせめて少し立て直す時間が欲しいならわかるけど、お前のそれは逃げだ

他にも色々言われたが、少し書いただけで気持ち悪くなったのでここまでにしておく。間違いのないようにいうが、私はあくまで【体調が悪いから有給休暇を使って休みたい】としか言っていない。言っている内容も意味がわからず、そもそも怒鳴るような必要すらない。支離滅裂で取り合う必要もないことだが、怒鳴られたことで恐怖の感情が膨れ上がり、冷静な判断ができなかった。

震えた声で「体調悪いから休みたいと言っているだけなのに、それを逃げているって言うのはひどいと思います。やめてください」と述べると、メンターは開き直って「別に酷くない。だって逃げてるでしょ。俺の何が悪いの?」と半分笑いながら言った。

そのあとは、メンターの自分語りを2時間聞かされた。何度か「あなたの経験と私の話は関係ないからやめてください」と伝えた上の所業である。その自語りでは、端的に述べると【俺が如何に頑張っていて理不尽な状況で成長してきたか】を懇切丁寧に事象を添えて説明されただけだった。

怒鳴られたこと、そして意味がわからない語りに心をやられて泣いていると、話に感動したと思ったのか「おー、泣いた方がすっきりするよ〜」と上機嫌で優しい声を出した。

なんなんだこのひとは。なんでも自分の都合のいいようにことを動かそうとしている。怒鳴った後に優しくするなんてモラハラの常套手段じゃないか。

体調が悪い中、誰もいない会議室の一角でメンターの声だけが浮き彫りになるようだった。どれだけ嫌だと言っても伝わらない。日本語が聞こえていないのか私の言うことを理解したくないのか、それは最早分からない。

一刻も早く電話を切りたい。生理痛の冷たい痛みがずくずくと体力を削っていく。吐きそうだ。もう早く終わらせたくて、ただただ「はい、はい」と従っていた。電話を切った後、部長から折り返しの履歴が残っていた。体調が悪くて休みたいことを伝えると、とても心配されてすぐに休むように言われた。

長きにわたる電話が終わった日の夜、私は新品のB5ノートを取り出して、記録を取った。「いつ」「誰が」「どこで」「なんと言った」「記入日」を直筆で記し、今日の仕打ちを全て書き込む。怒鳴られたことも、自語りを3時間したことも、そして障害者手帳を見つけられて病気のことを詰められた日のことも、それはそれは鮮明に書き出した。

記憶は新しいうちに、正確に書き記すのが有効だ。使えるものはなんでも使う。電話を掛けた時間の履歴は社用携帯に残っているので、その開始時刻と終了時刻、そして何時間電話をしていたかの記録も細かく残す。

辛い辛くないの問題ではない。これはやらなければならない。そう思って、ただ淡々と記録を書き記した。感覚が半分麻痺していたからできたことなのかもしれない。

次の日はたまたま部長と出社の日が重なっている日だったので、メンターの発言を相談したが「あいつコミュニケーションが下手だから、分かってあげてよ」と取り合ってもらえなかった。

この後ノートがただのメモ帳になることはなかった。この経験以来、メンターの言動はどう見積もっても擁護できないものが増えた。コロナ禍で出社とリモートを選べる状況下、リモートを好んでいたメンターは、人前にいる時は大人しくしているのに、電話やTeamsでは雄弁だった。なにかにつけていつも怒鳴る。1時間のときもあれば、5分のときもあった。とにかく【いかに霧島さんが間違っていてそれがどれだけ社会人として恥ずかしい行動か】を懇切丁寧に説明するために、メンターが満足できるまで電話を切らなかった。正直、言われて納得できることよりも、圧倒的に理不尽だと感じることのほうが多かった。

例えばその電話は、その場で私をフォローすればなんの問題もないことは珍しくない。メンターは私のメンターなので、取引先とのやりとりに二人で行くことも当然あった。その時は隣に居て黙って見ているくせに、なにか不具合があれば後日電話がかかってくる。尚取引先からのクレームや部長からの注意は一度たりとも貰っていないのにも関わらず、だ。せめてその日の帰りで軽く注意すればいいものの、メンターは人の目がある場所やメール・Teamsチャットなどの文章媒体でそれらを伝えてくることは全くせず、後で記録の残らない方法で私を怒鳴りつける。

証拠が残らないようにやっていることはすぐに理解できた。そうでなければメンターが言うような「重大な私の改善点」を電話で伝えたりはしない。「部長は優しいから何も言わないだけで、俺は霧島さんのために言っているんだよ。将来恥ずかしくない社会人に育ててあげるよ」と言うこの人は、それさえ言えば私を困らせたくてやっていることを帳消しにできると思っている。メンターの言葉を借りるのであれば、「社会人経験が浅くてメンタルが弱い新入りが、こいつは攻撃できる点だと見出されたから」攻め込む的だと勝手に勘違いされた。

ならば逆にそれを利用してやろうと思った。表面上ではメンターが言うように馬鹿で無知なふりを演じてやろうと考え、退勤後は語学の勉強をするなどして能力の底上げを図った。馬鹿で無知な「ふり」をしているだけで仕事の手を抜いている訳でもないので、業務の進行速度は上がる。英語を使う仕事もあったので、英語が全くわからないメンターから引き継いだ仕事の質もどんどん上達していった。この仕事においては、とても頑張っているねと優しい先輩から褒めてもらった。

それでもパワハラの記録はどんどん集まった。そんな簡単に集まるか?と思われるかもしれないが、なんのことはない。私が会社にいる時に理不尽な電話をかけてこないことは分かっていたので、リモートで仕事をしている時にメンターから電話がきたものはわざわざスピーカーにして、私用のiPhoneですべて録音していた。もちろんメンターと一対一で対するものなら、会議だろうが移動中の新幹線だろうが逐一録音しておく。

そして全てが終わった後に「これは問題だろ」と思ったものだけもう一度録音を聴き直し、一言一句丁寧に記録を残した。これをした時のことはもうあんまり記憶に残っていないけれど、今言うなら狂気の行動だったと思う。

何故ここまで私がこんな狂った行動ができたのかというと、メンターに散々屈辱的なことを言われている時にかつて私にアカハラしてきた指導教官を重ねていたからだと思う。私が家族という後ろ盾のないことを理解して、心がすっきりするまでその内を晒す。背景にはうまくいかない現状に対する不満が溜まっていて、うっぷんを晴らすがごとく私を使う。やり返されることがない、誰にも大切に思われていないことを知って、私をぞんざいに扱う。それを本人は間違っていないと思っている。自分の問題を私の問題にすり替えて、気が済むまで八つ当たりをする。

こいつは許さない。許されるべきではない。別に義務感も正義感もなにもない。ただ単純にそのやり口が許せなかった。だから徹底的にやってやろうと思った。メンターに家族が居ることも知っていたけれど、だからなんなのとすら思っていた。むしろそれでメンターが余計に傷つくならその材料にしてやろうと思った。

同時に、何故私に関わる人はこうも最低な行いをするのだろうと疑問を持たなかったわけでもない。教授なんて簡単にありつけるポジションでもないし、メンターも決して人望がない訳でもない。権力も人望も金も持ち合わせて満足してるであろう人間が、何故私には最低な行いをするのか。

リトマス試験紙みたいだ、と思った。昔から【美桜だけには教えるね】とか【なんか話しちゃうんだよなぁ】という感じで、個人の核に関する話を教えてもらったことが何度もある。胸を痛める話もあれば、バカみたいな話、反対にゴミカスみたいな話もあった。何故だか分からないが、皆私の前では普段隠していた自分が出てしまう、らしい。

これもその一環なのだろうか。私と云うリトマス試験紙に出会わなければ、教授もメンターも、はたまた血の繋がった家族も、その人間性が炙り出されることはなかったんだろうか。

メンターは怒鳴りつけるついでに、いろいろな人の個人情報を教えてきた。例えば営業の人の息子さんが発達障害で癇癪に困っているだとか、店舗の店長が流産して長期休暇をもらっているとか。少なくとも本人や限られた人間しか知り得ないであろうプライベートな状況を何かにつけて私に話し、「みんな色々ある中で働いている」と常套句のように言ってきた。もちろんこれらもすべてノートに記録し、【以上の情報を他者に共有するのは個の侵害にあたる】と締めくくっている。

メンターはこの会社に勤めて6年目になるらしい。年齢は私の5個上だった。会社もバカじゃないから、流石に実力がないとメンターなんて役割を任せないだろうと分かっている。実際、仕事のやり方で参考になることはままあった。だからこそ、その素晴らしい経験やトラブル対応能力とやらを、私を傷付けるのにわざわざ使う必要はあるんだろうか。

メンターは散々私に「個人的なことを聞くのは失礼なことだから間違っても聞かないように」と口酸っぱく言っていたが、私の障害は説明を求めてきたし、他の従業員の情報も垂れ流している。それはメンターが言っている個人的なことと何か違うのだろうか。私にはその違いが分からなかった。許可を取っているのかも分からない情報をばら撒くために、その口を使うのか。それとも私が勝手にその人間性を引き出したから、私が悪いという理論なのだろうか。

人間性と仕事の能力に相関性のないことはわかるけれど、仕事ができたらなにをしても許されるのだろうか?それとも私が障害を黙って入ってきたから、優しい部長に代わって軟弱者の根性を叩き直すという大義名分で許容されているのか。

答えは分からないけれど、それと引き換えに少しずつ、ご飯を食べる行為が億劫になっていった。時間が重なり、録音とメモが溜まれば溜まるほど、ご飯を吐き戻す回数が増えていった。

あれおかしいな。ここに居るのは癪だけど、せめて3年の経歴を積んでから出ていこうと勉強を頑張っているのに、こないだも先輩に褒められたのに。辛いことだけじゃないはずなのになんで身体は壊れていくんだ?前向きに努力して世の中のルールに従って生きようとしているのに、身体はどんどん退化していく。

そうこうしているうちに塩味を感じなくなった。コロナかと思ったが違った。「美桜さんはどんどん壊れていくね」と残業で疲れた夫にコメントされた。

どうしてそんなことを言うんだろう?私は資格を沢山取って、TOEICもそれなりに点数をとれるようになったのに。きょうも怒られた。報告をしてから動かなかったことがふまんらしいが、少なくとも主任のきょかを得てうごいたってことはしらないのかな。それをつたえても謝られなかったな。なんで、わからない。なにが悪かったのかな。なにがわるいのかおしえてくださいってなんかい聞いてもはぐらかされるしな。きょうもなにをしてもなにをたべても心がうごかないし、味がしないし、おなかがいたい。

いたみどめでごまかしてもきゅうきゅうしゃではこばれるほどいたい

どうすればいいの
なにをかえたらおこられないの
どうしたらこのいたみはおさまるの
もうどうすればいいかわからないや


灰色に染まった視界は、徐々に私の思考と逃げ道を削っていった。

◇   ◇   ◇

二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【起死回生編】
二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【職業訓練校初日編】
二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【ディープインパクト編】

上記に引き続きお読みいただきありがとうございます。
今回は弱さに関する話ですが、きちんと書きたいのと、話自体長くなりそうなので分割して公開します。
パワハラ表現はかなりマイルドに書いたつもりですが、上記の他、私物を壊されたり、サービス残業の強制などいろいろありました。時間が経っているとはいえ、何度も筆が止まり生活に支障がでたので、若干マイルドな方向に表現を変えたことをご承知おきください。

次回、「二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【前職決別編-下-】」に続きます。


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