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二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【ディープインパクト編】

中途半端な自分は永遠に何者にもなれない。何者かを名乗ろうとすると、対になる片方の属性が「置いていくな」と足を引っ張る。だがそんな半端者でも受け入れてくれる人が居るという事実は心強い。私が何者かにならなくても、なれなくても、私自身の普遍的な気質を評価して肯定してくれる人がいるというのは、賞レースで優勝するよりも難易度が高い幸運だ。

佐々木さんや佐藤さんのおかげで緊張や恐怖が溶けかけてきた自分には、ようやく他者の自己紹介を聞く余裕が生まれた。これまでは自分のことでいっぱいいっぱいで、他人に興味を持つことができなかったが、少しだけ生じた脳のリソースは他人の情報を貰うことに使おう。集中するために前を向いた。

そこでは驚くべき話を沢山聞けたのだが、ここではひとまず7人を一言で紹介する。今後の展開を進めやすくするために名前も付けるが、全て偽名なので安心してほしい。

①音大進学を勧められるレベルで楽器がうまく地頭がいいクソガキ…東堂さん

②見た目地雷系だが努力家で思慮深い、元カレに裏拳をかました女…裏拳さん

③笑顔がかわいいアルバイター兼Java宣教師…ニコちゃん

④ヘビースモーカーで謎が多い元エンジニア紳士…愛煙家さん

⑤元バンドマンで見た目年齢20代の奇跡…パンクさん

⑥バリキャリ英語ペラペラで気さくな美女…ロキソニンさん

⑦4なしウィスキーオタクなプロニート…山崎さん

20人弱の自己紹介を聞き終わって最初に浮かんだことは「大学を出ていない人がこんなに居るんだ」だった。上記に挙げた7名だけでも、4名は高卒だ。大学院の時は研究職に就きたくてそのパイを取り合っていたため、のっけから新卒切符をどこに提供するかなんて考えたことすらない、大学に行かず働いていた人が7割もいたという事実は予想外だった。

だが一方、思い返すと地元の人たちも似たようなものだった。中学50人中8割が高校進学、そのうち半分が大学進学、そして院卒に至っては1、2人?自分は大卒が当たり前じゃない世界を知っていたのに、いつの間に自分の見えてるものが世の中のセオリーだと思っていたんだろうか。

やれ就活解禁だ、セミナーがインターンがと言って、死にたくなったり追い詰められたりする人間は社会問題と言っていいほど後を絶たない。だが一方で、社会を支える過半数の人達は大卒でもなんでもないのだ。現在大学進学率は上昇しているらしいが、それでも今後社会におけるこの割合が逆転するには相当な時間がかかるだろう。

正直な話、ここに通う人たちはみんな人生終わったような顔をしているのだろうと思っていた。まあなんといっても無職だ。国から金を貰えている税金泥棒と呼ばれる存在だが、実態は保険料を払ってしまえば生活保護以下の値段しか手元に残らない。金と将来の二重の不安を抱える生活の苦しさは知っている。とても他人に構うような余裕は持てない。だから学校での時間をいいものにしたい一方、灰に塗れたような日々になるかもと、かなり偏見に満ちた目で覚悟していた。

でもそれは違った。自己紹介のために前へ立った人はみんなどこにでも居そうな、黙っていれば無職なんてわからない顔をしていた。なにかの拍子に職を失ったという点だけは共通しているが、どの人も堂々として色の付いた人生を送っているということがわかった。なにより現状を恥じているわけでもなく、前向きな気持ちで学校へ通おうと決めた人が過半数だった。

これはなんなんだろう。夢か?

心を鈍器で殴られたような衝撃を覚える。自分が思っていた普通の形が、怪しく蜃気楼のように揺れる。雨降って地固まったはずの足元がぐずぐずに崩れていくような、そんな不思議な浮遊感を覚える。それなのに何度も現実が殴ってきて、これは嘘じゃないと主張してくる。

嘲笑に似た笑いが込み上げて、でも人前だからと噛み殺した。笑ったのは他人じゃない。私自身のことだ。なんて狭いんだ。私の見ていた世界も、私が血眼になってしがみついていた「普通」の世界も。驚くほど狭くて、信じられないほど冷たい。世の中院卒なんて普通じゃなくて、大学も普通じゃなくて、それなのに私の中では新卒3年以内に2社辞めただの、人生終わったから死にたいだのとしょうもない悩みがでかい顔して幅を取っていたのか。馬鹿みてえだ、こんなにも色々な人が居るのに何故わたしは。

何故地元のことを知っているのに、自分の環境が普通だと勘違いしていた?
そもそも世の中の「普通」ってなんだ?
働けば社会人と呼ばれ、そこに適合しない人は社会不適合者と烙印を押されるが、その人たちが定義する「社会」とはどこを指すんだ?

徐々に笑いが引いていくと、その隙間に冷静な思考が押し寄せる。再び笑いが込み上げると思いきやそうじゃない。波のように寄せては返す優しいものではなく、誰かがバケツで頭に流し込んだかの如く、否応にも永遠に思考がまわる。これまで目を背けていたたった1つの問い。気付いてしまえば、気になってしまえばもうなかったことにはできない。


私がしがみついていたものの正体は、一体なんだったんだろう?


答えになるような材料は、生憎視界の狭い私には持ち合わせぬものだった。ただ誰かの人生の一部をダイジェスト方式で垣間見せてもらっただけなのに、なんでこんなにショックを受けているんだ。これでまだ始まって数日なのだから、終わる頃にはどんな自分がいるだろうか?

ふらふらと学校を出て、電車に乗るために駅へ向かう。夏休み中の学生や観光客、そしてスーツを着た人達が私の進行方向と逆に流れていく。信号で足止めをくらって、暖色の賑わいを持った人達の中、一人で青を待つ。

ここまでの数百メートルで一体何人の人とすれ違ったんだろう。仮に50人だとしたら、50人全員に私が知らない物語があるということか。誰も知らない。あちらも私のことを知らない。今後どこかで知らない人が知っている人になるのか、それも今は分からない。教室で引いたはずの笑いが、今更喧騒で蘇る。

私は本当の意味で、他人や世の中を知っているなんて言えるのだろうか。

不快な暑さがじわじわと身を侵食してくる。笑っているのに、ただただ不快な感情は己を解放してはくれなかった。日傘をさしたその奥、不織布を貫いた日差しが身体に収めた不安の核を打ったような気がして、しばらくそこから動けなかった。

◇ ◇ ◇

次の日、相変わらずの満員電車に揺られて学校へ向かう。この時間帯は混んでいるが、車両を選んで並ぶコツさえ掴めたら座れるということを知った。両耳にワイアレスイヤホンを押し込み、Spotifyので「2023」と記載されたマイリストを再生する。好んで聞いている音楽は、それを聴いている年のリストを作ってぶちこむことにしている。目をつぶると音が流れてくる。今日は音が雑音に聞こえない日。ならある程度の精神的な余裕は保たれているようだ。

何気ない動作だが、実はここまでの流れは体調を測るためのバロメーターでしている。パワハラに遭遇して以来、身体が緊張状態になりやすくなってしまった。それで身体は音と光に過敏になった。端的にどういう状態か?を説明すると、なにもない人が1の情報を受け取る時に、私は50くらいの情報量を受け取ってしまう。そのため刺激の多い、特に電車みたいな場所に居座るとHPをごりごりに削られるので疲れ切ってしまう。とても仕事や勉強どころではないので、今後復職を目指すにあたり電車の克服は課題の1つだった。

そこで対策として電車内で試していることが、下記3点になる。
・視覚の遮断 (目をつぶる)
・日常の一部を持ってくる (好んでいる音楽を聴く)
・心のバロメーターを自覚する (音に過敏か否かの判断)

これらは現在も続けている習慣だが、案外理にかなっていると思う。まず目をつぶることだが、これは過敏な自分がなんでも脳内にしまい込む特性から対策を考えた。私の体は気持ち悪い、もうパンパンだって悲鳴をあげていても勝手に情報を拾ってくる。なのでまず情報を得やすい視覚を遮断して、拾う行為を一旦ストップさせることにした。これは当たりの行為で、脳の疲れやすさが8割くらい軽減された。

次に好んでいる音楽を聴く行為だが、これは新しい環境にいく時の心細さを軽減するのに大きく役立った。Spotifyの音楽は自宅でも聴くので、日常生活の一部を公共交通機関に持ち込んでいるようなものだ。海外に行った時、日本人を見つけて安心するかのような効果が自分にはあった。それさえあれば不安感はかなり軽減される。

最後に心のバロメーターを自覚することだが、これは自己が抱える双極性障害によって現在どのような影響が心に齎されているかを知るためにやった。もとより過敏な人間に病気が悪さをすると、とてもひどい状態になる。回復にも時間を要するし、人間関係を破壊しかねない。それを避けるには、今どのような状態かを理解することが必須だった。

これには音に対する感じ方が一役かった。好きな音楽でさえ雑音に聞こえる日なら、きっとそれは調子のよくない日だ。すぐに曲の再生をやめて電車の中をやり過ごすのが一番いい。これら3点セットを朝ルーティンに入れ込むことで、私は体力の温存を戦略的にすることができる。今日は調子が悪くない日なので、そのまま音楽を楽しんで移動を続けようと思った。そういう日に音楽を聴く行為は絶好のスパイスである。

学校の最寄り駅を告げる社内アナウンスを聞いて、群衆と共に車内から降りた。あとは日傘をさして繁華街を避けながらコンビニまで行く。学校はリハビリの一環としてとらえていたので、最初の月はここまでできればOKという心持ちで居た。

コンビニで麦茶とおにぎりを買い、挨拶をして自席に座る。今日はいよいよコードを書き始めるらしい。ごくごくと喉を鳴らして麦茶を飲むと、うだるような不快感が少し減ったような気がした。

早めに着いたが特にやることもないので、おにぎりを食べながら漠然と空想の世界へ漕ぎ出す。やっぱり気になるのは、「普通」という言葉のこと。

ここまで述べてきてわかると思うが、私にとって「普通」とは執着の対象であった。では何故私がここまで普通について考えを及ばせ、凝り固まっている思考の持ち主かというと、実は心当たりがある。それは昔からなにをやっても「変わっている。なんか変」と言われ続けていたからだ。また自身が保有する双極性障害に関しても、「変わっていること」へ寄与する材料になっている。

変わっていることはいいことで、双極性障害も悲観するようなものじゃないと言う人も多い。が、本当はその認識自体が条件付きで言われていることを当事者は知っている。変人であることを真に許されるのは、一部の天才的な能力を持っている人達だけだ。

最近有名人がADHDやASD、パニック障害などの病を公表している。「有名人が名乗り出してくれることで、同じ病気の人達の理解も進む」という声も理解はしているが、では実際にそれで具体的に一般人の当事者側が生きやすくなったのか?というと実感はない。依然として精神の障害者雇用は正社員率が低く、期限付きの雇用だなんて話も多い。また賃金も生活保護スレスレしか貰えないのに、週5日8時間働くことが当たり前で合理的配慮なんか得られないと泣いていた躁鬱患者の姿を思い出すと、苦しいものがある。

結果的に、「変わっている人って才能があるらしいね」とか「双極性障害って天才が多いらしいね」と言った言葉に対して私は嫌悪感を示すようになっていた。何故なら私を含め躁鬱患者の大半は天才でもなんでもなく、なにか人から乞い求められるような才能を有しているわけでもないただの人間なのだ。

時折、「病気が自分のことを助けてくれた」と述べる有名人を知っているが、せめてその情報だけではなく、どんな症状で日常生活に困っていて、どんな対策を取ったらそこまで病気を肯定できるようになったのか、セットで述べてくれた方が助かる。そうでないと、天才でもない、才能もない障害者や変わっている人が、どれだけ日常生活で困難を背負って生きているかの情報は伝わらない。ただ単純に、「あの芸能人病気を持ってるからすごい才能なんだよね」のイメージが表面的に広まって、二次被害でそうじゃない自分に苦しむだけだ。これは本当の意味で障害の理解が進んでいると言えるのだろうか?

私の前提はそんな訳なので、本人にそのつもりがないことはさておき、当事者でもなんでもない人から病気を肯定的に言われると、無言の圧を感じる。それはうまく病気と付き合えている自分ですら未だにされて苦しい行為の一つだ。勝手に周りの都合で変わっていると括られる、一生抗精神薬を服用し続ける感情を持った人間だ。そんな事実を無視して「病気を肯定しろ」となんてメッセージを好意で出されるのは、なににも誰にも配慮をしちゃいない。言った側が気持ちよくなるだけのグロテスクな行為だとさえ思っている。

とはいえ表立って怒りを示すほど私も幼稚ではない。当人が経験していないものを理解して想像しろ、なんて傲慢はとてもじゃないけど言いたくはない。

じゃあ私はどうしたのか?というと、結論「普通」に擬態した。元々虐待されて普通から外れてしまっていたので、同い年の人よりスタートラインは底に近かったし、早いうちから精神疾患の気があった。そんな自分が普通に戻れる唯一のチャンスを勉学に見出した。もちろん学ぶことが好きなのもあったが、なにより勉強は自分を裏切らない。学歴も海外経験も、私を立派な人間のラインに並ぶことを許してくれる。これらは黙っていればそこらへんに居る「普通」の人として処理され、障害者としてふるい落とされずに済む印篭だ。

大学→大学院→社会人と年齢を重ねるごとに、徐々に世の中の輪郭を理解してきた。そのため「普通」の擬態はどんどんうまくなっていった。院卒で就活をした時も、新卒の会社でも、その次に入った会社でも、学んだ「普通」やその場所の慣習を理解してそれに追従していた。毎日疲れてぐったりしていたけれど、それをしなければまたあんな風に変わっていることで、障害者ということで人権を蹂躙されるだろうと分かっていた。だから擬態は義務だった。そう思っていた。思っていた、のに。

擬態をすることで、まさかあんな思いをするとは夢にも思わないじゃないか。

そもそも私が見ていた世界や慣習が当たり前じゃないなんて誰が思うのか。理解したと思っていたはずなものがハリボテだなんて、いつ疑えたのか。自分がしがみついていた「普通」の定義が怪しいだなんて疑う余裕すら無かった。

わざわざ頑張って「普通」に擬態した先に転落があって、でもその先にも道が続いている。普通がないなんて思わないけれど、自分に鞭を打って王道のサクセスストーリーをなぞるよりも、全く正解かどうかなんて分からない、なにに繋がるか分からない勉強をしようとしている今の方がずっと生きている実感がある。「普通」じゃない自分で、弱者であるほうが生きやすいなんて、おかしいのだろうか?

はあ、と一つため息をつく。おにぎりも食べ終わってしまったし、思考もある程度結論が出て手持無沙汰になったので、隣の席の佐々木さんに話しかける。

「佐々木さん、普通ってなんだと思いますか?私、普通がわからなくなっちゃって」

佐々木さんは今度また別の国家資格を受けるべく、持ち歩き式の参考書を開いていたところだった。それでもすぐにそれから顔を離してくれて、私に向き直った。

「普通ですか。普通については、僕少し思っていることありますよ」

「思っていること?それはなんでしょう」

誰もが言う「普通なんてない」、の言葉が飛んでこないことに驚きを抱えつつ、佐々木さんへ問い直す。

「僕が好きな言葉がありまして、【The normal is the rarest thing in the world】です。意訳としては【普通とは世界で最も稀なことである】と勝手にしてます。僕はこれをアメリカに居た時に聞いたんですが、素晴らしいなと思いました。そもそも人は違うじゃないですか。人種や性別、性格など挙げたらキリがないくらい多様化してますよね。それなのにいちいち個別で【これが普通だ】なんて定めていって、最終的に【普通とはこれだ】と言われてもそれにみんなが当てはまるわけないじゃないですか。なので僕は普通で居ることってすごく難しいし、あるとしたらそれは珍しいっていう考え方はとても共感できましたし、なにより楽だなと感じました。だからそれ以来、お前普通じゃないよって言われても、そもそも普通であることの方が珍しいって内心僕は思うことにしてます。答えになってますかね?」

【普通とは世界で最も稀なこと】。その言葉に、絡まった思考の脳内を撃ち抜かれたような気がした。ナイフで無理やり切り込んだような苦しさではなく、腕の良い抜刀師にばっさりやられた爽快感を覚える言葉だった。

「普通とは稀なこと…ですか。いい言葉ですね。後でもう一度その言葉教えてもらっていいですか?メモします」

「あ、付箋に書いて渡しますよ。また後で」

思考と短い会話によって埋められた時間は、授業開始のタイミングへ行きついた。いつの間にか全員そろっている。換気のための窓を窓際の人が閉めて、外の音が一気に遮断される。そろそろとカーテンが下ろされて、日直が号令をする。今日も一日が始まる。

【普通とは、世の中で最も稀なことである】

脳内でさっきの言葉をこっそり反芻する。不思議な言葉だ。と同時に、とても納得する言葉だと思った。ここは普通じゃない。でもそもそも世の中にみんなが共通認識で有する「普通」もきっとない。私が職業訓練校の一日で受けた衝撃は、遅かれ早かれどこかで経験したはず。それがたまたま昨日だった。それだけの話。

世の中、国ごとに慣習が変わると言われているが、そんな国単位より細かい慣習が個人には宿る。生きてきた環境やどんな人に会うかで、個人個人に「常識」が形成されていくのだ。常識とは人が20歳までに身に着けた偏見という名のアクセサリーだという言葉を聞いたが、今はその意味がよく分かる。みんな、個人の偏見を振りかざして生きているのだ。それが重なっている時には頼もしい味方になるが、ひとたびズレてしまえば不快になったり、ものによっては排除の方向に進んだりする。基本的に一人を好む私が好きで好きで結婚した夫ですら、時折殺意が湧くほど嫌いになる。それはたぶん、基本的な部分は許容できる範囲の人ですら、身に着けた偏見の一部が自分に沿わなくて腹を立てているからだろう。

目指すべきだと自分の首元に突き付けた「普通」というナイフはそもそも幻だったんじゃないか。しょうもないことで私は悩んでいるんだ、と頭で理解はできたけれど、それはそれとしてこれからどう生きていこうかという答えはまだ出ない。

勉強を頑張って成功しましたという王道で美しいサクセスストーリーも、はたまた障害を持っているけれど頑張っていますという美徳も、それは他人が勝手に評価して消費していく物語だ。自分は他人に褒め称えられるために生きているのではない。私は誰かのための物語にはならない。 

そもそも個人の偏見によって成立する世の中だ。できればこのままの自分でありたいものだが、偏見を有している人達で形成されている「社会」で生きていく以上、私は自分の偏見とも向き合わなければならない。私が持っているアクセサリーは「普通」だけじゃないだろう。もっと複雑で奥に根を張った、無駄に生命力が強いなにかがまだある。

それを加味して考えた時、自分が今後復帰を目指していくものは「社会」なのだろうか?そもそも何を持って社会とするのだろうか?

…自分はどうしたら自分を認められるのか?

思考を開けた先にまた思考があるマトリョーシカみたいな現実の核に辿り着くには、まだまだ時間がかかりそうだ。

◇ ◇ ◇

昼になった。午前はeclipsというプログラミングコードを書くためのソフトをダウンロードしていたり、他にもフローチャートを書くためのアプリを開いていたりとあまり授業授業していなかった。そのためか比較的脳の疲労感は少なく、裏拳さんや佐藤さんと共に談笑しながら昼食を買いにコンビニに出かける余裕もあった。

佐藤さんは日本食が久しぶりだからと、毎日別の具材が入っているおにぎりを買って食べることにしたらしい。それで制覇できたら、最終的にどの具材が一番おいしいかったかを決めることにしているという。とても健康的で楽しそうな姿を見て、ぜひ日本食を沢山食べてもらいたいと思った。

裏拳さんはわりかし食べることが好きみたいで、揚げ物やらなんやらを沢山買っていた。ホットコーナーは揚げたてらしく、店員さんの購買を進めるコールが店内に響いていて誘われたらしい。彼女はとてもおいしそうに食べるし、後に放課後カフェに誘ったら嬉しそうに付き合ってくれた。シンプルにいい人だ。

私は、というとおにぎり1つだけと豆乳を買った。「それしか食べないんですか?!」と二人に驚かれたけれど、実はこれでも食べられる様になった方なのだ。仕事を辞めて寝込んでいた頃は一日二口ほどなにかを食べられればいい方で、最悪液体だけという日も少なくなかった。ハロワへ通う頃は調子が良ければ一日一食食べられるようになり、現在は朝、昼、夜と少量ながら食べられる。他人から見たら少ないことは分かっていたけれど、ようやく吐かずに味を選んでご飯を食べられる。それは即ち肉体の回復につながるので、食べられるとは幸せなことなんだと思っていた。

学校に戻って、軽く話しながらご飯を食べる。私の前の席に座る女性、ハワイさんも交えながら雑談する。こうやってご飯を食べながら誰かと雑談できるようになるなんて、三ケ月前には考えられなかった。

生きていてもいいことなんてないと思っていた。この先なんてとてもじゃないけれど考えられなかった。でも考えようによっては、生きていて死にたくなるくらい辛いことの先には、いつか良いことが待っているという意味でもある。「生きていてもつらいことばかりだ」と考えるか、「生きているとそのうちいいことがある」と考えるかは個人の選択だけれど、この時から執筆現在に至るまで、私は後者の考えを捨てないことにしている。それはひとえにこの時の経験や感情を私が覚えているからだ。時折前者に傾くことはあれど、完全に足を突っ込まないのは記憶が自分を守ってくれているからだろう。

おにぎり1つと豆乳200mlを誰よりも時間をかけて食べた後、時計を見ると12:15を指していた。雑談をしていたハワイさんも裏拳さんも歯磨きをしたり勉強をしたりと、少し場が開ける印象があった。昼休み終了は13:00なので、あと45分以上ある。自分も9月に受験予定の試験勉強をしても良かったのだが、まだ授業が始まって数日なので、脳への労働を休憩時間にまで強いりたくなかった。

ともすれば。と教室をぐるり見渡す。まだみんな互いを探り合っているようなよそよそしい雰囲気の中、一部盛り上がっている3、4人くらいのグループを見つけた。聞こえてくる会話的に、かなりくだけた内容だったので潜り込むことができそうだと判断した。

誰もいない席に座り、「私も混ぜてもらっていいですか?」と言うと、快く混ぜてくれた。そこには元々バス運転手のTシャツさん、お菓子配りをついついしてしまう大阪さん、ニコちゃんの3人で形成された塊だった。なんの話をしてるんですか?と聞くと、ニコちゃんが楽しそうに話の内容を共有してくれた。話の中心はTシャツさんらしく、運転手時代のおもしろエピソードを教えてくれている最中だったらしい。薬を服用している自分にとって運転手という職業はおおよそ経験できないものなので、実際にバスを運転しているような臨場感のある話は面白かった。大型バスの前輪と後輪でタイヤが通る場所が違う、という謎の知識を持っていた私に対してもその大変さを丁寧に伝えてくれて、シンプルに感心した。

そのうち話は職業病のことになり、「つい前職でやっちゃった話」で爆笑してしまった。一週間前には他人だった人とここまで盛り上がれるなんて不思議だなあと思っていると、「僕も混ぜてもらっていいですか?」と東堂さんも参戦してくれた。知らない話は面白い。想像もつかない世界のことを知るたびに、自分が自由になる気がする。

東堂さんは高卒で職歴がないらしい。だが学生時代に熱を入れていた部活の話をしてくれた。ホルン吹きで、これがべらぼうにうまい。音楽教師に「もし音大目指したいなら今からピアノ仕込むけど?」と持ち掛けられるくらい、それはそれはものすごくうまい。ちなみに私は東北出身なので知らなかったが、通っていた高校は「おぉー!」と歓声が挙がるくらい偏差値の高い場所のようだ。それでも嫌味なく、よどみがない話し方は笑いを誘う。

私は自身の中途半端さを持て余していた。だが中途半端さというのは、時に属性てんこ盛りでネタに富むという意味を持つ。自分の持ち駒を適当に選んで群衆に投げても、誰かが拾ってくれたり、琴線に触れたりと勝手に仕事をしてくれる。私もいくつか前職エピソードを投入したが、みんな物珍しそうに聞いてくれた。ついでに大学院エピソードも挟んだが、「とんでもねえ世界だ」と言わんばかりの良リアクションを貰った。

私のあのぐずぐずな自己紹介を知っていても、目の前の人達はなんら偏見もなく話してくれる。それは職業訓練校という特殊な場所だからなのかもしれないが、それを差し引いてもシンプルにいい人たちばかりだ。人が弱さを差し出しても「隙あり」とばかりに攻め込んでこない。それは当たり前かもしれないけれど、私が四ケ月前までいた前職では弱さを見せたらすぐに罵倒の対象にされることが「普通」だった。だけれども、一歩外に出ればそんなの当たり前じゃないことに気付かされる。

私が他人や世の中で知っていると言えることなんてない。それは昨日理解した紛れもない事実だが、じゃあ理解を放棄するのか?というとそれは選ばない。知らないのであれば知ろうとすればいい。時間が許す限り対話を重ねて、自分ができる範囲で世の中を知ればいい。それが私の答えだった。

今のところその選択を拒否するような態度には出会っていない。話した人は、喜んでその人の一部を開示してくれる。私が自分を偽らず、正直に生きていくには辛いことが多いだろう。この生き方はこの後も通用するのか、潰されるのか。それは今は分からないけれど、せめてこの学校が続く間は自分に嘘をつかずに過ごそう。わからなければわからない、知りたいなら知りたいと素直に伝えよう。そう思った昼の時間だった。

◇ ◇ ◇

「山崎さん、興味ありそうにこっち見てますね!」

残りあと1コマの前の10分休み、自分の声が教室に響いた。教室の後ろから前へ向けた言葉だったので、まあまあでかい声だったと思う。

昼の一件でそれなりに自尊心を取り戻していた自分は、自己紹介のことを忘れて元気になっていた。それでどうなったかというと、「えーいこの際話したい人に自分から話しかけちゃえ!」という攻めの姿勢になっていた。若干躁に入りかけていたことは否めないが、この無双状態は後々自分を助けることになる。

そんな状態の自分だったため、「とりあえず周囲を巻き込んで人間関係を広げていこう」という戦略を練っていた。「普通」に擬態しようとして他人を観察していた時に学んだことだが、会話をしたがっている人間というのはわかりやすいサインを出す。たとえばチラチラこっちを見ていたり、ニコニコ話を聞いていたりと、態度がそれを雄弁に語っている。そのため私ができる範囲だが、会話の最中にそんな態度をキャッチしたらとりあえず呼び込む、リアル呼び込みくんになった。

例にも漏れず、山崎さんからそんな視線を受け取った自分は無謀にも山崎さんに声を掛けた。山崎さんはニコニコして「え~えへへ」みたいなことを言っていたので、悪い気はしていないだろう。とはいえ未だ遠慮が見えるのも事実だ。

「話振っちゃってすんません!後でまた話したいです!」

謝罪と話したい意図を伝えて、サッと山崎さんとの会話を切り上げる。焦らなくていい。自分のペースで少しずつ人と距離を詰めていけばいい。それに無理強いするのも好きじゃないから、ジャブを細かく打って相手の反応を見ながら対応を考えていけばいい。無双状態でありながら、冷静な部分だけは欠落しないように思考を張り巡らしていた。

とはいえ「あ~山崎さんと話すの時間かかりそうだなぁ」とぼんやり残念に思ったのも事実だ。実は、山崎さんは一番話してみたい人だったのだ。なぜなら山崎さんは自己紹介で「金もなければ学歴もなく、社会人歴もなければバイト歴もない」と最高速度でコーナーを攻めるような出だしを魅せてくれたからだ。三ケ月で無職に音を上げていた自分に対し、驚異的なプロニートの資質を持っている事実は尊敬に値する。そして自分が価値を感じてしがみついてきた生き方と対極にいるのに、楽しそうで自由な山崎さんがこれまで何を考えてどう生きていたのか、ということは喉から手が出るほど知りたかった。

まあ、そのうち話せるでしょ。と思ったのもつかの間。

まさかその日の放課後、山崎さんとの会話が成立することになるなんて、この時は知りえるはずもない。

◇ ◇ ◇

二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【起死回生編】
二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【職業訓練校初日編】

上記が想像以上にいろいろな人に読まれていて、驚き半分嬉しさ半分です。毎回一万文字を超える長文を読んでくれている人には感謝しかありません。いつもありがとうございます。

「二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【前職決別編-上-】」へ続きます。ちょっとパワハラ表現も出てくるので、苦手な人や気分が悪くなったらすぐにブラウザを閉じてください。引き続きよろしくお願いいたします。


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