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#9 1987年の覚醒

#8 1986年&87年の憂鬱2はコチラです >>>

*登場人物や地名は全て架空のフィクションです。

1987年秋。親父に一番迷惑を掛けたと思ったのは高2の10月だ。平日の夕方、旧桜村(つくば市)中心部のサウナ施設に隣接した銀玉屋から出てきた5人の高校生が盗難車のようなボロボロの原付バイク2台で二人乗り(Nちゃんのミント)と三人乗り(直結して捨てられてたオレンジ色のパッソル)をしながら私道を走り始めたのを覚醒剤検挙の為にたまたま張っていた土浦警察署の麻薬捜査チームが走って追いかけてきた。

自分は割と足が速かったので拾ったバイクを降りて捨て去り3人バラバラに走って振り切って逃げた。2人乗りしている仲間が捕まっているのを横目に溜まり場になっている友達の家に戻ると3人ともいて口裏あわせをした。"何も心配ない。俺達はただ公園で遊んでただけだ"と。

だが2人の友達が警察に捕まり土浦署に連行されていて、高校生が禁止されている風営法に道路交通法違反(50cc以下の原付バイクの2人乗り以上)は当然バレていて、家に帰ると電話を受け青ざめた母親と一緒に土浦警察署に呼び出された。

高校の出席日数も足りなかったし、学校は厳しい私立で知ってる奴は何人も無期停学か自主退学してたのでこりゃ俺もダメだなと腹を括った。1コ下と一緒に後2年もあんな糞つまんない学校で過ごすくらいなら、とっととオサラバしてバイトとバンドでもやりながら大検を受けるつもりだった。

自分達は覚醒剤絡みではない、というのと5人全員が中学の同級生で全員違う高校で一人は地域有数の進学校に通い、補導初犯もいるというのが判明して、コッテリと搾られた後に無罪放免となり、各学校にも一切連絡しないという謎の超温情措置が取られた。

中学3年から悪事を覚え出し、高校受験に失敗してからは階段を転がり落ちるようにありとあらゆる事を試した。母親からはあなたは高校2年迄に全ての悪い事を経験してしまった、と後で嘆かれた。

親父には家に帰ってぶん殴られるのを覚悟した。小学4年の時に2つ上の姉と大喧嘩になり普段はやられていたのだが、その日はやっつけてしまい、女性と子供にはいつ如何なる時にも暴力を振るったらいけないという理由で鬼の形相をした親父に平手と蹴りでボコボコにされた事が一度あったからだ。親父は怒りを母親が止めるまで止めない。

パチンコ屋と原付の件は謝ったが親父は何も言わなかった。それが一番辛かった。遂に見捨てられたのかと思った。母親からは常日頃から、もし何かあれば親父の名前に傷がつく、それだけは心に留めておけ、と言われていた。

高校の時から家で酒を飲んでても身体に悪いぞ、飲み屋から帰っても馬鹿になる、煙草を吸っても肺癌になるのは自己責任、としか言われなかった。もう親父は仕事が忙しすぎてオレみたいな出来損ないのクズには何にも期待してないんだな、と思って少し寂しかった。

でも、その日で中学3年から続けていた悪事は全て止めた。

母親から同僚の人達は皆、自分の子息がどれだけ学業優秀かを職場で自慢しあっている中で親父だけが何も言えずに肩身の狭い思いをしている、という自虐ジョークをしていると母親から聞かされたからだ。

毎日行って、あんなに好きだった銀玉屋でさえも行かなくなっていった。カラクリが分かってしまったのと、暇つぶしの底無し沼にズブズブとハマっているのに自分で自分が嫌になったからだ。

どんなに馬鹿息子で、回りからは腫れ物のように話題にもされない中でも親父はオレの尊厳を傷つける事は一切言わなかった。受け止めてくれていたと理解した時に、もう迷惑は掛けられないし自分は何とかして早く大人にならなければいけないと強く思ったからだ。

警察に呼ばれた仲間の一人が高校3年には上がらずに学校を辞めていた。一人の友人がかなり説得したがダメで働き始めた。その時に彼も生き方を選択したのだな、と思った。自分よりも大人だった。

自分は高校を辞めなかったし留年もしなかった。出席日数は2年の春休みに登校し毎日掃除して、補習という形で出席日数不足を埋め合わせして貰えたからだ。

とにかく高い授業料を2年も払って貰ったのだから、あと1年なんとか学校に通って高校だけは卒業しなきゃならない。その為には何をするか。

幸いにも3年は就職クラスの共学で雰囲気が良く仲が良かったのと(1年は進学男子クラス、2年は進学男女クラスで少しギスギスしていた)あと1年頑張って卒業するという事で意識が変わったのか学校内にも仲間が増えた。1年2年の陰鬱な自分を知ってる仲間からは顔が明るくなったと言われた。

大人になるきっかけを与えてくれたのは忙しい中で唯一の親子のコミュニケーションだったサッカーや野球を幼少の頃から熱心に教えてくれた親父からの無言のメッセージだった。(親父はこの年の12月に部門長になり、何年か後に統括の長になり、会のトップになり、最後は全体の副長になれずに定年を迎えた。悩みのタネが消えてからの大躍進だったのだろう)

デカい背中を見せてくれてありがとう。親父、あなたはオレの誇りだよ。