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マージナルマン・ブルーズ #10

 ナンミンに点在するお墓を縫うように歩いて海辺に出た。
 日中の高い陽射しと密度を感じさせる湿度が、潮の香りと一緒に身体にはりついた。僕はそういうのが昔から好きだった。クーラーも扇風機もない部屋で汗びっしょりになって昼寝から目覚めるときが好きだった。

 しばらく歩くと、波打ち際に黒人が座っているのに気づいた。ヒートーはまっすぐその男の人の方に歩いていった。
 あめりかーがいるね、とヒートーに言おうとしたとき、男がふりかえって
「ヒトシ」
とヒートーの名前を呼んだ。
 すると驚いたことに、ヒートーはカタコトの英語であめりかーと話し始めたのだ。授業もろくに出ていない、勉強の「べ」の字もやらないヒートーが、本物のアメリカ人と英語で会話をしているということが、とても信じられなかった。あめりかーが僕を見て
「ハイ」
と言った。僕は日本語で
「ドーモドーモ」
と答えた。

「ワーの友だちさあ。ザビエル。フィリピンから来て、もうすぐアラブのどこかに行くばーよ。マリーンだからよ」
とヒートーが紹介した。
 鹿児島のザビエル幼稚園出身の僕としては、ザビエルという名前が気になってしょうがなかった。しばらくのあいだ、
「ホワイ ザビエル ネーム?」
と繰り返し聞いたが、意思の疎通は難しかった。
 ヒートーに
「なんで友だちになった?」
と聞くと、中一の夏に家出したとき、夜ナンミンをうろついていたら話しかけられたということだった。
「英語わかるのか?」
 そうヒートーに聞くとザビエルに教えてもらって少しずつわかるようになったと言った。
「でーじ、しかますな(とても、驚かされるね)」
と言うとヒートーはちょっとだけ照れて笑った。

 ザビエルは屈強には見えなかった。どちらかというと痩せていた。シャイで、言葉少なで、いつも小さな声で話した。18才だと言っていたが、大人っぽいのか子どもっぽいのかよくわからなかった。それまで抱いていた黒人やあめりかーの屈強な男のイメージとは全然違っていて、そこがまた中学生の僕には親しみを持てた。

 その夏休みはヒートーと一緒にちょくちょくザビエルに会いに行った。
 いちいち約束していたわけではないので、ザビエルはいたりいなかったりしたが、会うときはいつもナンミンの浜辺だった。ザビエルのカタコトの日本語とヒートーのカタコトの英語と、僕の流暢な日本語でいろんな話をした。時々ヒートーのネイティブなウチナーグチと、僕のカタコトの沖縄語も混じった。
 僕らは学校の話を、ザビエルは兄弟の話をした(たぶん)が、両親の話と仕事の話はいっさいしなかった。本物のM16は重いのかとかM9ベレッタを見せてくれとか言っても答えることはなかった。まあ
「エム シックスティーン ヘビィ? ヘビィ?」
とか、
「エム ナイン ベレッタ ルック ルック アット ミー」
とか言っていたので、はなから通じていなかったと思う。
 毎度たいした話はしなかった。学校のことや友達のこと、先生の悪口、今までのオーエーでの自慢話‥‥‥。そんなどうでもいいことを砂浜に座ったり寝転がったりして話した。ヒートーはよくタバコを吸っていた。ザビエルは時々タバコを吸っていた。僕は全くタバコは吸わなかったが、ザビエルのタバコはどれも必ずヨレヨレの自家製で、嗅いだことのない草っぽいいい匂いがしていた。タバコを吸ったこともないのに、やっぱりあめりかーのタバコは違うなあと思った。
「プリーズ」
と言ってヒートーが手を差し出したことが何度かあったが、ザビエルは自分のタバコを決して渡さなかった。

 3人で浜辺でゆんたくしていると、夏休みということもあって、学校のことや勉強のことなんかがまるで遠い世界の話のようにさえ感じられた。学校では睨みつけるように人を見て、すぐに人を殴るのがデフォルトのヒートーも、ここにいるときだけは本当に穏やかだったのさ。まるで沖縄の海のようにね。

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