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いい流れが来てるんよね。

 やったーなんか頭がすっきりする。思考が自由になってきてる。軽くなってきてる。友達とか家族に気軽に電話して話してる。電話がすごく軽くなった。電話をかけている相手はある程度関係性を築いた相手だけれども今まで電話をすることはほとんど無かったのが、最近は1週間に一度は誰かしらにはかけている。

 電話をするのはやっぱり人と話がしたいからだ。人が好きだ。異質だし、なんだかわからなくていい。会話をすると人の色が浮き出てくる。それを引き出せた瞬間を感じるようになってきた。要するに「音楽」だ。意味とかじゃないんだ。会話のやり取りは音の方にも注目している。明らかにリズムやメロディーがある。 

 その「音楽」を聴くのもそうだが自分で文章を作ることをすると格段に自分の言いたいことを話せるようになった。会話するときに詰まったりゆっくり考えることが少なくなった。とりあえず出す。とりあえず出してみるじゃなくてとりあえず出す。これがめちゃめちゃ大事。〔出してみる〕のように期待感や相手をコントロールするような気持ちはもちあわせないこと。人は操作してはいけないし操作できない。すべての人の身体がしたいことは全然違う。とりあえず出す。といっても何も考えずにばかすかその場を無視して爆発するわけじゃない。誰か自分以外の人と何かすることはセッションだ。音楽ライブにいったことがあるだろうか。ジャズやR&Bやエレクトロニックいや、ジャンルはどうでもいい。自分が行く音楽ライブには曲の最中その場に呼応しながら即興で演奏するときがある。それぞれの人人がお互いが出す音に注目しながら音をその場で作り上げるさまは最高に気持ちがいい。セッションやソロ即興で作り上げるものが大好きだ。本当に個人的なものや練り上げられた、積み重なったものが露呈していることがあるからだ。

 悩みや苦しいことを言っている時が好きだ。自分だけじゃなく他人が言っているときも。他人が言っているときのほうがとてつもなくいい。そこが魅力的だったりその人自身の原液に近いものが見えている。嘘だけいっているのはつまらない。何もそこにはないからだ。始まらない。悩みや個人的なことを流すには細心の注意が必要だ。言葉のやり取りを常に敏感に感じ取り観測して実験する。この方向性の矢を放っていいのか?ジャブで確かめたり、ときには大きく踏み込み、足の着ける地面に着地できるよう祈りながら進むべきときもある。でもそうすると「なんだそれ」っていう見たことない景色が見えてくる。それが可能性だ。この世にある魔法だ。ドラえもんの秘密道具のようなありえないものだ。ありえないものはこの世に存在する!

社会に対して不満を垂れ、絶望するものがいるが、社会に希望などない。実は身近なところにありえない凄さ、面白味は潜んでいる。社会なんかの解像度の低い、粗い画質で物事を観ていたら足し算、引き算、せいぜい割り算、掛け算しか観えない。この世は数式や化学だけの世界ではない。哲学や人類学やもっともっと多くの分野の集合体でもない。世界はあまりにも訳の分からない異世界だ。異世界ものアニメのどこが異世界なのか。あんなの高いか低いしかない単純な資本社会そのものじゃないか。葬送のフリーレンは違う。異世界ものに分類されない生身がある。

 だから人間は可能性の塊なのだ。自由になる資質は確実にもっているよ。大丈夫、世界は確実に気づきはじめているよ。だってここに1人いるし、いろんな創作物を観ていても分かる。「あっ、この人、気づいてる。」自然は先をいく。


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