その場に居ないとみえないもの

今日、「マネー・ショート」という映画を観た。

リーマンショックの話を、実話を交えて伝える
その映画では、当時、誰も信じていなかった
「ある金融市場の崩壊」を
予期した複数の人物たちを主軸に物語が進む。

数値データを見て、世の中の
危機に気付いた頭の良い人もいた。

棚ぼた的に、情報を手にした若者もいた。

私が一番、なるほどと思ったのは
頭の良い人の話を聞いて、鵜呑みにせず
自らの足で現場の状況(一次情報)を
確かめに行った人の存在だった。

そして、現場の悲惨さを知ったその人は
金融市場の崩壊を確信する。

そんなストーリーだった。


自ら情報を取りに行った、私だけの一次情報

少し言い過ぎかもしれないけれど、
伝聞で聞いた言葉は、希釈され、
一度解釈を加えられたフィクションだ。

対して、自分の足で、目で、耳で、
見聞きし感じたことは、圧倒的な事実だ。

「あの人はどんな人?」と聞いて、
「あの人は付き合いづらい、変な人だ」

10人が10人そう返してきたとしても、
自分がその人と直に接したしたときの印象は
全く逆で、とても面白いかもしれない。

にも関わらず、周りの情報を受けて
自ら扉を閉じてしまうのは、すこし勿体ない気がする。


自分の目に映る世界は何色か

世の中には、偉い人や頭の良い人が沢山いる。

彼らが「赤だ」といえば、
何も考えずに「赤だ」と判断する人もいる。

たとえ自分は「青だ」と思っていても、だ。

でも、人にはそれぞれのものの見方がある。
それこそがその人らしさに繋がるとも思う。

とはいっても、「赤だ」という集団の中で
「青だ」ということは容易くない。


考えて、判断して、行動するのは自分

赤の集団の中に青が混じることは難しくても、
青の集団を探し出せれば、息ができる。

そう思ったとしても、
自ら主体的に青の集団を探そうとしなければ、
似た感覚を持つ人と出会うことだって難しい。

そして、もっと言えば世の中には
紫の集団だって存在する。

もしかしたら、今まで「赤」「青」の
対立としか見えていなかった構図が、
情報を得ていくうちに、グラデーションに
見えてくることがあるかもしれない。

それも、その場に居ないとみえないもの。

メディアや伝聞の情報だけでは伝わらない、
一次情報から得られるものは大きい。

誰の言葉を信じるかじゃない。
自分がどう考えて、どう行動するかが大事。


ご清聴ありがとうございました。




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