noteで「遅いコミュニケーション」を叶えたい
「長い文章なんて、誰も読みたがらないよ」
そんな風に笑うかい?
たしかにそうかもしれない。
忙しい私たちは、日々たくさんの情報にさらされている。
忙しい私たちは、たくさんの情報に触れている。
忙しい私たちは、1つ1つの情報に時間をかけられない。
だから、1万文字の文章なんて、読んでるヒマなんてない——。
正論。きっとそれも一理あるのだろう。
でも。
でも、私は、それでも1.5万文字の文章を作りたい。
15秒の動画よりも、1.5万文字の文章をあなたに届けたいのだ。
◆◆◆
最近、「遅いコミュニケーション」というものに興味を持っている。
いつでもどこでも、簡単に情報を発信できるようになったこの時代。
速さや簡単さが喜ばれ、どんどん便利になっていく。
動画やSNSなどのコミュニケーションを、
ここでは「速いコミュニケーション」と名付けたい。
「速いコミュニケーション」は便利で、楽しい。
私も毎日のように「速いコミュニケーション」を使い、楽しんでいる。
ここで先に言っておくと、
私は「速いコミュニケーション」が大好きだ。
自分の生活に無くてはならない存在だと思う。
その上で、私はその「速いコミュニケーション」の反対の存在、
「遅いコミュニケーション」の魅力を探りたいのだ。
1つ1つの情報量が多く、やり取りに時間がかかるものを、
「遅いコミュニケーション」と名づけることにする。
たとえば手紙や長文、電話などが当てはまる。
SNSは1秒で送れ、やりとりは短文になりやすい。
1分以内の短い動画も最近はよく見かける。
これは「速いコミュニケーション」だ。
それに対し、手紙は相手に届くのに時間がかかるし、
小説は読み終えるのに何日もかかる。
これは「遅いコミュニケーション」だ。
「速い」ほうと「遅い」ほう、「イマドキ」なのは恐らく「速い」ほうだろう。あくまで私の主観だけど、そんな気がする。
でも、心のどこかで、私は「遅い」ほうも求めているんじゃないか——そんな気もするのだ。
1年に1回の年賀状。
「最近どう?」という電話。
分厚い小説。
こんな「遅い」ものには、遅いからこそ生まれる良さがあると思う。
それが何なのかは、まだはっきりと言語化できていない。
でも、どこか懐かしさ、暖かさ、そんなものを感じている。
◆◆◆
では、”note”という媒体はどうだろう。
個人的には「遅いコミュニケーション」のグループに入ると思っている。
noteの記事は、長いものから短いものまであるが、
まず「文章」という形式をとっているものが多い。
文章は受け身では読み進められない。
動画はただ待っていても勝手に進んでくれるが、
文章はただ待っているだけでは1文字も進んでくれない。
”サクサク”は進まない。
どちらかというと”のそのそ”進む。
でも、そんな”のそのそ”とした歩みだからこそ、見える景色があると思う。
全速力で「速い」動きをしていると、見逃してしまう日常があると思う。
だから、「速いコミュニケーション」が大好きな私は、あえてこのnoteという場所で「遅い」コミュニケーション」の可能性を探したい。
その小さな一歩を、あなたと一緒に歩みたい。
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