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食べ物みたいに言葉にも温度や賞味期限があると思う

「あーあ、せっかくのピザ、もう冷めてるよ」


友人とピザをお店でテイクアウトしたときのお話。

私と友人は、お店でアツアツのピザを受け取り、「早く食べたいね」といいながら持ち帰った。

家に着くころには、そのピザは冷めていた。

どことなく寂しい気持ちになりながら、私と友人はコーラと一緒にピザを流しこんだ。


◆◆◆


食べ物には温度がある。

アツアツなほうが美味しいものもあれば、ひんやりが美味しいものもある。

要は、その食べ物に最適な温度があるということだ。


さらに、食べ物には賞味期限がある。

食べ物を永久的に保存するのは不可能だし、その食べ物を美味しく頂ける期間は限られている。


つまり、食べ物の美味しさを決めているのは、食べ物の味そのものだけではない。

むしろ、「どんな温度で」「いつ」食べるかこそが、その食べ物の味を引き立てる。

食べ物は温度と時間と切り離せないのだ。


◆◆◆


それに引き替え、言葉はどうだろう?


文章は(このnoteのように)デジタルなデータとして、半永久的に保存できる。

「あっ!明日になったら腐っちゃうから、今のうちに読まないと!」なんてことにはならない。


さらに、文章それ自体は、熱くも冷たくもない。

試しに、今あなたが読んでいる、この私の文章を触ってみてほしい。熱い?冷たい?(もし熱いなら、それはスマホの熱だ)

まとめると、食べ物には温度も賞味期限もある一方で、

文章には温度も賞味期限もない。ということだ。


◆◆◆


――本当にそうだろうか?

たしかに、物理的には、文章には温度も賞味期限もないだろう。

でも。

でも、精神的には、文章にだって温度も賞味期限もある――そう思うのだ。


こんな経験はないだろうか?


好きな人に書くラブレター。


部屋でドキドキしながら筆を進めては止め、進めては止めを繰り返す。

夜も遅くなってきて、深夜テンションでエイヤ!と書き上げた。

「よし、いいぞ」と思い床に就き、翌朝読み返したら全然「よし、いいぞ」とは思えず、ラブレターを破り捨てた。――こんな経験だ。



ラブレターに限らなくてもいい。

その瞬間には「傑作だ!」と思えたものも、時間が経つと「微妙だな」と感じてしまう。

その瞬間には誰かに伝えたくて仕方なかったのに、しばらく経つと「どうでもいいや」となってしまう。


これらは、文章(ことば)の価値が文章の上手さだけで決まるのではなく、

むしろ「どんな温度で」「いつ」書くかで決まることを表している。――と思う。


だからこそ、私は「いつか・どこか」のあなたに届けるために、「いま・ここ」の想いを大切にしたい。


私が「いま・ここ」で考えたこと、感じたことを、できる限りアツアツのまま(あるいはヒエヒエのまま)あなたに届けたい。


あなたが読むnoteの文章は、無機質なデータなんかじゃない。

「いつか・どこか」の「だれか」が書いた「なまもの」なのだ。


そして私が書くこの文章も、ただのデータなんかじゃない。

「いま・ここ」の「わたし」が書いた「なまもの」だ。


「生」(なま)は「生」(いきる)とも読む。


食べ物が生き物からできているように、文章だって生き物(=作者)からできている。

そんな、温かく血の通った、「いま・ここ」のことばを、あなたにお裾分けしたい。



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