救われていたのは僕の方だった
「お前が代表だった時、"仕事"感が出ててサークルつまんなかった」
後日談としてサークルの同期に言われた言葉だ。
いわゆる学園祭実行委員のようなサークル。
自分達が「遊ぶ」というよりは、「遊んでもらう」準備をする団体だ。
だからなのか、サークルの活動内容のことを「タスク」「仕事」というメンバーも多かった。
そんな中、私はひょんなことから代表を務めたわけだが——。
正直、うまく行ったとはいえなかった。
つつがなくイベントを運営するために、準備することはきちんと準備しなきゃ。
ああ、またあの子、締め切りまでにポスター出してきてない!
てかもう1ヶ月前!!!間に合うのか・・・。
そんなこんなで、私は代表を「務める」ことに精一杯だった。
メンバーが「楽しい」かどうかまで、気を配れていなかった。
社会人になった今、これがいかに「イケてない上司」なのか、ひしひしと痛感している。
イベント参加者のことばかり考えて、目の前のサークルメンバーのことを考えられてなかった。
もし次にチャンスがあるなら——。
その時の私はそんなことばかり考えていた。
◆◆◆
次のチャンスは1年後にやってきた。
私のサークルでは、代表を引退後、1つ下の代表の”お目付け役”をする慣習があった。
日本史で言うところの「上皇」みたいなやつだ。
上皇(!?)になった私は、真っ先に1つの目標を立てた。
「メンバーにとって居心地のいいサークルにしよう」
これが私のミッションになった。
1つ下の代表は、私とは違って”デキた”代表だった。
私がわざわざミッションとか目標とか立てなくても、ちゃんと”居心地のいい”サークルを作ってくれた。
その心遣いに感服しつつ、私も私なりにできることをやってみたのだ。
そしてサークルを引退するとき、サークルの同期・後輩からこんな言葉をもらった。
「なんだかんだ楽しかった、またやりたいね」
居心地のいいサークルを「作ってあげよう」——。
「してあげよう」という考えで臨んでたけど。
むしろ居心地のいいサークルに「してもらっていた」んだ。
私がみんなを「救おう」とか思ってたけど。
「救われた」のは、むしろ僕の方だったんだ。
◆◆◆
noteの世界を考える。
noteにも「サークル(メンバーシップ)」なるシステムがある。
1つのコミュニティに属して、一緒に好きなことをやろう!って感じの集まりのことだ。
人と人が集まる以上、やっぱりギスギスするより楽しい方がいい。
だから、もし自分がサークルを作ったら、やっぱり居心地の良いサークルにしたいな——
——そんな思いで、「note川のベンチ」を作った。
実際どうだろう。
メンバーが居心地の良いサークルを「作ろう」
そう思っていた自分が、大学時代の自分と重なった。
”「してあげよう」って考え、やめよう”
私はnoteのサークル代表として、「してあげよう」思想を捨てた。
そうやって2年半近くサークルを運営してきて。
やっぱり大学時代の自分と重なった。
救われていたのは僕の方だったんだ。
サークルに入ってくれる”誰か”にとって居心地の良い場所を作ること。
それはそのまま”私”にとって居心地の良い場所になっていたんだ。
「救う」って言葉は大袈裟かもしれないけど。
それでも、私は「note川のベンチ」に救われた気がした。
そんな場所があなたにもあったらいいな。
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