sora_369

地元の懐かしい、お話や、映像や、写真も沢山撮れたらいいのですが、今は写真も撮りに行けて…

sora_369

地元の懐かしい、お話や、映像や、写真も沢山撮れたらいいのですが、今は写真も撮りに行けてないので、今は無き物や、無くなった場所などを、 振り返りながら、懐かしむ。 そんな、筆者の文集です。                筆者✴️光

最近の記事

天翔る年(平成五年)

 還暦も過ぎると、新春とか新年という言葉をそれほど意義深く考えることもなく、しだいに言葉の新鮮さが、薄らいでいく。   年の瀬が近づくにつれ、働き盛りのころの燃えに燃え、体裁よりも実質面でと強引に進んできた仕事に終止符を打ち、目にみえぬ世のしがらみから開放されての一年を顧みると暗中模索のなかにありながら、幸いにも健康面において恵まれていたことを、小さな喜びとして万物に感謝せずにいられない。    それは私が、神仏の御加護があればこそ とまで感じいるほど強い信仰心の持ち主でもな

    • しるべ石考

       道が人の踏みしめる地面から、車輪の転がるかアスファルトの帯になって久しい。  トラックやマイカーが疾駆し、人は隅の方を小さくなって移動する。………だがこんな道路を離れ廃道寸前の「みち」が残っていた。  このような見出しで、四国のみち(香川編)がつい先日(六月五日)から愛媛新聞に連載されはじめた。(この話は平成三年の話のことである) この記事を目にしたとき、ライターが「みち」というものにのめりこむには、それなりの理由があったであろうし、素材に向かって深く探れば、郷土人の自然

      • 二つの出会い

        コートの襟を立て、車から降りる。早朝のためか、月極めの駐車場に外の車は見られない。  一瞬、朝の冷気にたきされ肩をちぢませる 身震いしながらバックの紐をかけなおし駐車場から続いている隣家の塀に沿って、職場に向かう。その塀は、おおよそ10メートルほどで途絶えてしまう。途絶えた先には西向ききの玄関があり、玄関前のポーチには目隠し代わりに煉瓦造りの植え込みがある。  その道は、通い慣れた裏通りであるだけに、小さな植え込みには、五、六本の椿が、植わっていることも知りつくしていた。

        • 街角に拾う戦前の建物

          別に、その自然の変化に魅せられたわけではなく、ただうだる暑さから逃れるために、前方の伊予銀行の東側にまわり、日陰になっている通りを帰り道に選んだ。   こんなにはやく帰れるのは、減多にないことだッ。本屋にでも覗いてみるか?   そんなことを考え角を右に折れ、南に下る。 信号が赤に変わる。「ちぇっ」口を鳴らしてその場に足をとめる。  信号機のかわるサイクルは五十秒足らずの短い時間にすぎないが、いざ立ち止まるとなると長く感じられる。  この秒単位のわずかの時間に、道路を隔てた東北

        天翔る年(平成五年)

          街角に拾う戦前の建物

          街角に拾う戦前の建物

          夜行列車の女  続き

          仲間同士、自分の慌てた姿を相手に見せまいとしながらも、やはり動揺の色を隠すことはできず、「急行」とはいえ、ローカル線独特の揺れと騒音を車内に響かせながら、ひた走りに走る夜汽車の中で、しばらくは立ち上がっては座り、後ろを振り返っては車内を見回し、車掌の姿を求めていたが、やがて自分達の行為の無意味さがわかったのか、視点の定まらぬ眼差しで、お互いに腑抜けしたように相手を見ることもなく 眺めていたが、誰からかともなくニガ笑いを始め、空しい笑い声を残しながら、手にした缶ビールを飲み始め

          夜行列車の女  続き

          夜行列車の女

          夜行列車の女

          老判事と子守唄

          私が昭和三十六年当時のころ、住んでいたと ころは、盆地の高台一帯に広がっていた桑畑を増成して造った四十戸余りの町営住宅の一隅であった。  堀も囲いもなく、家の表と裏をそれぞれが耕し、花を植えたり菜園にし、それをお互いの境界としていた。  そこに住む人達は、教員、保健所の職員、家畜場の技師、警察官、裁判所職員、判事  と職種は異なりこそすれ郷里を遠く離れ、それぞれの職場に勤める境遇と、多少の年齢の違いこそあれ、田舎の町に出来た小さな団地の住人であることなどから自然のうちに親

          老判事と子守唄

          製図器とかつぎ屋のアルバイトパート5

          荷物を置かしてもらった糸屋まで引き返し、 事の成り行きを説明し、その晩の一夜をあか す宿屋の事を尋ねた。  「だいぶん旅館もあるがほとんど店を閉めており、ここから一町ほど松山寄りのところに昔からの暖簾をもつ旅館があるが、そこなら泊めてくれる」 と、教えてくれた。子供心にもその糸屋さん には、感謝の気持ちを精一杯の表現であらわ し、久万の町へ飛び出した。    最終のバスが出てしまった町筋は、一段と 淋しくなり、人目をさけるように言われるま ま宿屋を訪ねた。

          製図器とかつぎ屋のアルバイトパート5

          製図器とかつぎ屋のアルバイトパート4

          目的地は、高知県境の「Y」と言う地区である。下り立った停留所から足馬の悪い小石まじりの道を川まで下がり、大きな川にかかった橋を渡り、それから再び山坂を三十分ばかり上り詰めた二十戸ばかりの集落である。   大きな川と言えば石手川と重信川くらいしか知らず、山といえば、お城山か西山しか知らなかった私は、仁淀川の大きさや、山の深さには今更のように驚かされた。  竺田さんに案内してもらった農家の家族は、それまでに私達の事を聞いていたのか、気持ちよく迎えてもらい、風呂を浴び久しぶりに「

          製図器とかつぎ屋のアルバイトパート4

          製図器とかつぎ屋のアルバイトパート3

           頭の少し上にある窓を仰向いて、窓の外を眺めると、鬱蒼と木陰が続いている。立ち上がって眺めようにも、寿司詰めの車内ではそれも出来ず、ひたすら久万街道の山道を右に折れ、左に曲がるバス。そのたびに、体は大きく揺られ、隣の人の肩とぶつかり、さらに、尻の皮がむけるほど痛みを感じる。一度乗り込んだ乗客の乗り下りもほとんどなく、立ちづくめでいる人達のことを考えると、座っているだけでもありがたいと感謝しなければならないほど、ひどい車内のありさまである。    松山を出発し、最初の間は、緊張

          製図器とかつぎ屋のアルバイトパート3

          製図器とかつぎ屋のアルバイトパート2

           同行の竺田さんも、暗がりの中で蚊を叩いたり、手でおったりしていたが、そのうちに、私を指先でつつくので何事かと顔を寄せると、「リュックサックの中に足を入れたら、足は蚊に刺されんぞ」と、耳打ちしてくれた。  暗闇の中での蚊の攻撃も、頭や顔等は耳に近いため、飛んできた蚊の羽音で、おおよその見当がつき、刺される前に追い払ったり叩き潰すこともできるが、素足に下駄履きの足拵えではどうすることもできなかった。 刺されて蚊を叩いてみたところで仕方のないことであるが、人は皆んな必要以上に叩

          製図器とかつぎ屋のアルバイトパート2

          製図器とかつぎ屋のアルバイト

           ある日のこと嫁ぎゆく日も近づいた娘が、自分の身の回りのものをひとつ取り出し、手にしては眺め、過ぎ去りし日々を懐かしげに回想していた。  娘が突然話かけて来た。 「お父さん、これ使ってもらえるなら、使ってくれますか…私はもう使うこともないとおもうから…」  「うん…」 嫁ぐとは、真実の姿は親の手もとから巣立ち、離れ去ってしまうものであり、手塩にかけた我が家娘の生い立ちを回想しながら、それとなく娘のうしろ姿を眺めていた私は、 「ハイッこれ」 差し出された薄っぺらいグレ

          製図器とかつぎ屋のアルバイト

          松山大空襲と忘れられない辞典

           私達は、萱町周辺の逃げ遅れた十四、五人の人達と一緒にいたが、いづれも深さ五寸くらいにはられた水田の水の中に毛布を敷き、布団や防空頭巾を濡らし、焼夷弾の直撃をうけても、最小限度の怪我ですむよう頭からそれらを被り頑張っていた。   幸いにも避難所の上に直撃弾は落ちはしなかったものの、水田にまで飛び散った焼夷弾の油脂は、焔をあげながら水面を漂っており、それが田植後あまり成長もしてない稲の苗に絡み  「田の中でも危ないぞッ。皆んな川に入れ」 誰であったのかは記憶にないが、男の

          松山大空襲と忘れられない辞典

          松山大空襲とわすれられない辞典

          「薬を取ってくれッ。枕元に忘れてきとるけん…」ドンごロスで出来た編上靴を履き、仕立て直しの学生服に身を包み、ゲートルを巻いた当時中学生の私の姿を、空襲の最中とは言え多少なりとも頼もしく感じたのか病身の父からのいいつけである。  「ハイ‼︎」 戦闘帽の上から防空頭巾を被り、頚の後ろから伸ばしている紐を顎の下にまわし、キリッと締め、爆音と阿鼻叫喚のなかに不気味な音を立てて落ちてくる焼夷弾を気にしながら、それまで避難していた水田の中から道路に這い上がり、我が家に向かって一目散に

          松山大空襲とわすれられない辞典

          銀杏.おさんNo.②前文つづき

            そのためではないが、先の男の言葉にはのることもなく、今しばらくは童心にかえるべく、その場に腰を屈めてみた。   そして餓鬼よばわりされていた当時の子供の目線の高さで今一度、小さな祠の一角を見回した。ところがその祠の東側に隣接する家の壁際ニ尺ほどのことろに高さ三尺余りの石碑が建っている。   それまでは、日頃立話の姿勢で漫然と物を見ていたためか全く気が付かなかった。   目線を変えただけのことで、小さな石碑を見残すこともなく、お目見得できたのだ。 懐中電灯を灯し、碑に刻ま

          銀杏.おさんNo.②前文つづき