製図器とかつぎ屋のアルバイトパート3

 頭の少し上にある窓を仰向いて、窓の外を眺めると、鬱蒼と木陰が続いている。立ち上がって眺めようにも、寿司詰めの車内ではそれも出来ず、ひたすら久万街道の山道を右に折れ、左に曲がるバス。そのたびに、体は大きく揺られ、隣の人の肩とぶつかり、さらに、尻の皮がむけるほど痛みを感じる。一度乗り込んだ乗客の乗り下りもほとんどなく、立ちづくめでいる人達のことを考えると、座っているだけでもありがたいと感謝しなければならないほど、ひどい車内のありさまである。
 
 松山を出発し、最初の間は、緊張とめずらしさもあって目隠し同然の状態でありながらも、車外の風景や松山からの距離等を気にしていたが、車窓の乏しい箱バスのことだけに外気の流れがなく、ひどい人息の蒸れと、木製の天井からの熱気に襲われ、まさに受難の日そのものであった。
 
 堪えることについては、不本意にも慣れていたために、苦しみ、辛さと言うものには、十分に対応出来る世代に育ったことは、現代の感覚では到底理解し難いものであるかもわからない。
 
 五体がバラバラに離れてしまうほどの揺れと振動に耐え、二時間あまりの時間を費やし、ようやくにして久万と言う町に到着した。
 乗客は、それぞれの目的地に向かってソソクサと足早に立ち去っている。私より先に箱バスから降りた竺田さんは、他の二、三人の乗客とともに駅前でキョロキョロと何かを探している。
 久万の駅前は、ちょうど戦災を免れた松山の橘橋周辺の商店街とよく町筋は似ている。 
 家の構えは、二階建てか中二階が多く、どの家の軒の上にも大きなトタン造りの看板が乗っている。
 
 下見板張り、押縁等で仕切られた商店の中には、めぼしい商品もなく静まりかえった家並みが軒を連ねている。
 強い日差しと暑さから、その街並みは、白黒映画の黒の部分がしだいに抜けていくような、不思議な色合いというか、失神しかけたときのようにすべての風景が音もなく、白っぽくなりながら消えていく幻想にかられ、私は一瞬立ちすくんだ。
 
私を呼ぶ声に気づき、車庫の中に停まっていた箱バスの前まで行くと、高知行きのその箱バスに乗らなければならないと言う。
 これ以上自動車に乗らなければならないのかと思うとウンザリし(もう大概にしてくれ)
と、叫びたい衝動ににかられたが、今さら引き返す事もできず、連絡されていると言われながら、何分か遅れた箱バスに再び乗り換える。 
 
 乗り継いだ箱バスは、それまでの箱バスと比較し上客は幾分空いており、立ち通しの客も先のバスほどではなく、ときおり高い車窓から流れ込んでくる風が車内を通り抜けていく。
 「久万」と言う地名は聞きかじっていた地名であるだけに、それまでの遠い道のりも、不安と好奇心でなんとか克服し、頑張っていたが、それ以上の地名や方角は、まったく始めての山村に行くとなると、腰をあげ、かいま見る風景を楽しむ余力もなく、ただ自分のおかれた一刻の運命を箱バスと言う、あまりにもあわれな乗り物にすべてを託し、ただ堪えていることを余儀なくされていた。
 
前日の睡眠不足けらくる眠気がしだいに昂じ、乗り心地の悪い自動車の振動が、揺籠のような感じとなり、隣りの乗客に迷惑をかけてはいけないと自分に言い聞かせる。
 自動車の騒音はしだいに耳から遠ざかり、ついには子守唄と変じ、いつの間にか深い眠りに入っていた。
 どのくらい時間がたったであろう。酷いゆれのために眠りから甦める。隣りの客は、中年の女性であったが、「よく寝ていたネッ」
と、笑顔で話かけて来た。ハッとし、冷たい自分の口もとに手を持って行くと唇から涎が流れ、その婦人の右肩辺りを少し汚している。
 
(ひどい揺れだなぁ)と、感じたのは坊主頭の少年が他愛もなく、その婦人の右肩にもたれかかり、幾度となく押し返してはもたれ、挙句の果てには涎まで流されたので、たまらず強く私をおこしたのであろう。
 このときばかりは、その場からにげだしたいような恥ずかしさを感じ、何回か頭を下げはしたものの、照れくささと、恥ずかしさで目は冴えてしまい、竺田さんに促され目的地の停留所で降りたとき、もう一度大きく謝りの一礼をしたが、どうしても声を出す事が出来なかった。
        つづく

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