製図器とかつぎ屋のアルバイト

 ある日のこと嫁ぎゆく日も近づいた娘が、自分の身の回りのものをひとつ取り出し、手にしては眺め、過ぎ去りし日々を懐かしげに回想していた。
 娘が突然話かけて来た。

「お父さん、これ使ってもらえるなら、使ってくれますか…私はもう使うこともないとおもうから…」

 「うん…」
嫁ぐとは、真実の姿は親の手もとから巣立ち、離れ去ってしまうものであり、手塩にかけた我が家娘の生い立ちを回想しながら、それとなく娘のうしろ姿を眺めていた私は、

「ハイッこれ」

差し出された薄っぺらいグレーのケースを開けてみる。
 「オオッ!これは製図器じゃないかッ。今使わなくても後に使うこともあるのとちがうか?…」

 「これから、デザインすることも余りないと思うから…お父さん使ってくれる?」
と言った娘は、何回も使ってないと見られる製図器に、何の愛着や、ためらいを見せることなく私に差し出した。

「かまんのか?お父さんも時々は仕事で使う事もあるから、もらっておこうか」

受け取った製図器を膝もとに置き、再びゴロリ、と横たわる。そのまま製図器を手もとにひきよせあ、烏口、コンパス、ディバイバ等に手をやり、冷たいその感触を楽しんでいるうちに、古い昔のことが思い出されて来た。   

「姉ちゃん、お父さんが学生ごろは、こんな製図器を買うために、ふた夏は、アルバイトしてようよう買えたもんぞよ」

我が娘に背を向けたままの姿勢で話しかけた。
娘は一瞬
"おやじの小言かな''と思ったのか

「エエッ?」
と、小声で聞きかえした。どうせ娘も私の話を愚痴にしか聞いてくれまいとおもいながら、三十六、七年も昔の終戦当時のことをはなし始めた。
「蚊がこう多うちゃあ寝れんぞッ」

「なんぞそこらへんに、燻べるものでもないのかや?…」
「そこのゴミでも燻べるかァ」
等と話ながら、空襲後にバラックで建てられた松山駅周辺のそこかしこで十数人の者が野宿している。

 私もその群の中にいた。野宿しているその人達をみると、生活に疲れ切ったちゅうねんの女性。復員したそのままの軍服姿に、狡猾な眼差しは一見してブローカーとわかる男達である。

いずれも翌朝のバスに乗るべくその順番をとっている連中である。

数時間前までは、お互いに一面もなかった間柄であるが、バスの順番を待ち合わす間に、空腹をみたしてくれる食い物の話や、その商いに深夜の二時ごろまで、話に花を咲かせていた。しかし、皆んなの屯しているその暗闇は、蚊の格好の住み家であり、その蚊の襲撃に老若男女の一群は悲鳴をあげている。

 私も睡魔に襲われ、眠たくてたまらないが蚊の襲撃に閉口し、じぶんなりに少しでも煙をたてようとそこかしこのゴミや枯草等を火中に燻べ、煙の力に頼っていたが、ものの数分もじっとしている事はできず、眠れぬ夜を明かさなければならない運命に置かれていることに、なかばあきらめを感じていた。
      続く

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