見出し画像

天翔る年(平成五年)

 還暦も過ぎると、新春とか新年という言葉をそれほど意義深く考えることもなく、しだいに言葉の新鮮さが、薄らいでいく。
 
年の瀬が近づくにつれ、働き盛りのころの燃えに燃え、体裁よりも実質面でと強引に進んできた仕事に終止符を打ち、目にみえぬ世のしがらみから開放されての一年を顧みると暗中模索のなかにありながら、幸いにも健康面において恵まれていたことを、小さな喜びとして万物に感謝せずにいられない。
 
 それは私が、神仏の御加護があればこそ
とまで感じいるほど強い信仰心の持ち主でもなければ、神仏の存在を否定する無神論者でもなく、正月、縁日には、神社に参拝し、仏事には菩提寺に墓参りし供養をいとなみ、何かにつけては験を担ぎ他宗の寺院にまで足を運び合掌し、クリスマスにはケーキを食して祝うという独特の宗教観をもつ平凡なな日本人の一人であるためか、汎神論的な観念を無理にこうさつさせることもなく自然に感謝の念が醸しだされたものであった。 
 
 そのよろこびも単純な考え方しか持ち合わせていない凡骨の私は欲がからみ、来年の健康はと、家庭暦をとりだしてひもどいてみる。
 
国連においては変動多く、損失損耗甚大、不安定で多事多難であるが、後半に至ってようやく平穏を得る。
 とあり、経済にあっては盛衰の始めといい
始め悪く、後に良いと解釈されており、社会情勢にあっては、酉年は政治の要衝に人材なく、世相乱れて人品も下落し、上下の反目も甚だしく、社会情勢は険悪化の傾向とみられるなか、酉年生まれの男性にあっては実りを迎え熟成しようとする気を受け、物静かな中に周囲への気配りを忘れなければ、人の輪から運勢も発展する。
 注意すべきは自重して今年の盛運を発展への足掛かりとし、チャレンジ精神を発揮し新分野への改革をも行うもよしとするが柔軟な姿勢を忘れないことが、大切である。
 
 また周囲からの意見に耳を傾け、反対意見に対しても考慮の余地を示す寛容さが必要で、謙虚な態度を保てばよしとされている。と記されていた。 
 
いづれにしても、うらかた、運勢はその内容においては、人は終生精神的よりどころを求め成長し続けるという考え方を基点にした上で、それぞれ祥気、称賛、努力、注意、警告、破錠を持って意識化させ、方向づけられた課題を運勢とし、解決すべき道を示しているようにしか思われず、味気のない気がした。 
 
 玄関内に角凧を飾りつけ、春の装いを演出しながらふと床の間に置かれた小箱が目にとまる。子供の頃の正月の遊びに小倉百人一首があったことを思い出し、正月の小道具として、十年ほど前に買い求めていたものであった。
 悪童であった私は、本質的に移り気と飽きやすさであったためか、歌留多や小倉百人一首のたぐいは、不得手ときており、友と遊び競った強い記憶もない。
 
 たた百人一首はその昔、奈良平安の時代、貴族、歌人に詠まれた歌であるだけに、詩情的文言の美しいさ、さらには絵画構成と色彩の面白さに魅されてしまい、手に入れたものであるが、その歌も数首しか記憶してなく、漠然眺め手操りをするうちに、干支にちなんだ「鳥」が、詠まれた歌はと思い直し、家庭暦をひざもとにおいたまま座り込み一首づつ「鳥」を求めて読みあさった。
 
 その一 柿本人麿(かきのもとのひとまろ)
 あしひきの  山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
「山鳥の尾が、長く垂れ下がっているように長い長い秋の夜を、あなたもこないで ひとりさびしく寝ることは何ともつまらないことだ」

そのニ  清少納言
 
夜をこめて 鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ
 
「夜がまた明けきらぬうちに、鳥の鳴き声をまねてだまそうとしても、中国の函谷関ならだまされもしょうが逢坂の関(あなたと私の間にある関)は許しませんよ」

その三  源 兼昌
 
淡路島 かよう千鳥の鳴く声に 行く夜ねざめぬ 須磨の関守 
 「淡路島へ往きぎする千鳥のもの悲しい鳴き声のため、須磨の関守は幾夜眠りを覚ましたことだろうか」

その四  後徳大寺左大臣
 
ほととぎす 鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ のこれる
 
「ほととぎすが鳴いたので、声の方をさがしながめましたが、ただ有明の月だけが残っていました。
 百題のうちこの四首の内容は恋歌あり、旅の歌ありでその調べのすばらしさはたとえようもない。
 
 今年は酉年という。
現実の社会は厳しく、この一年荒波に向かって進まなければならないが、卦、運勢に頼りすぎることなく、鳥本来の姿で進みたい。
 
鳥は空天を舞う姿こそまことの姿であり、歌詞のごとく美しきものであれば、これにあやかり、静かに天翔ける年でありたいと、年の始めに願うものである。
     建築設備だより平成五年一月会報29より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?