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老いと尊厳

ここ10年以上、

表参道のゴールドジムで
トレーナーについて
筋力トレーニングをしている79歳の母が

自宅で
突然胸の痛みを訴えた。

午前中のことだったので
私は爆睡中。

母と同じマンションの
別の部屋に住む

妹に連絡が来ては
救急車を呼び

行きつけの病院が
科が違うということで断られ

家からそれほど遠くない
病院へと担ぎ込まれた。


付き添った妹は
さぞかし心配だったことだろう。


私が目を覚ました頃には、
すでに、緊急性はないと診断されては
検査のための入院へと
話が切り替わっており、

すぐに心配するような状況では
なかった。


次の日からの検査のために
絶食中だったので

食べ物を持っていくこともできずに
私は部屋にあった何冊かの本をつかんで
病院へと向かった。

思った通りその中で
母が一番興味を持ったのは、

「天才たちの日課 クリエイティブな人たちの
必ずしもクリエイティブでない日々」

というタイトルの本で、

ピカソやヘミングウェイ、フロイトなど
クリエイティブな偉人たちの

仕事の際の癖やこだわり、嗜好品、起床時間、
といった日課や生活信条などを
まとめた本で、

面白そう!

と買ったものの
まだ自分は読んでいない本だった。


タクシーで向かった病院は
どの駅からも遠かったが、

南向きの個室は広く、
窓からは遠くに高速道路や
観覧車が見え、

時折飛行機が飛ぶのも見えた。

なんとなくのどかさを
感じさせてくれる病院だ、

というのが入ってすぐの
私の印象だった。


ノックをして病室に入っていくと母は
体を起こしてはテレビを見ていた。

彼女に会った人は
知っていると思うが

母はとても姿勢がよく
肌もツヤツヤ、

髪は三週間に一度染めており
白髪が出ていることはあまりないし、
これまたツヤツヤである。

整形どころか
エステだって行ったことのない

シワも著しく少ない
本当に幸運なタイプである。

羨ましいくらいだ!

そしていつ会っても驚くのが
いわゆる老人くささがない、

ということ!

自分が老人だ、
という自覚もないのだろう。

孫にも自分のことをあだ名で呼ばせ
決して

「おばあちゃん」

とは呼ばせない。

未だ銀座の夜の店で
毎日ではないが仕事をしている。

声は大きく張りがあり、
生命力にあふれている。

焦げ茶色の瞳は
クリクリとして丸くよく動き、

まるで子供のようだと
その眼を覗き込むたびに思ってしまう。

そんな母だが
食事を抜いて点滴だけになり
体力も減り、

不安もあったのだろう。

いつもよりずっと
小さく見えた。


同時に、
それほど具合が悪そうでなくて
ほっと一安心した。

昨日は病室に何時間くらい
いただろう。

結構な時間を共に過ごした。

途中私が食事をするために
何時間か抜けては戻り

結局8時の面会終了時間を
超えても少し居残れるのは
個室ならではのことらしいと、

自分の入院で学んだ知識で
居座った。


病室には数時間に一回、
看護師さんが点滴の様子を
確認しにやってくる。

そのうちの一回、ある時、
自分と妹と、孫娘、孫息子が、
変わる変わるにやって来ることを

なんとなしの看護師さんを
巻き込んでの冗談にした、、、。

つもりだった。

どういう言い方をしたのかは
忘れてしまったが、
とにかく私は母と看護師さんを
笑わせたかったのだった。

それに対して30代であろうの
看護師さんが
自動反応のように母に
押し付けてきた言葉に
私は驚いた。

「感謝しなくちゃですね」

返事をしない母に看護師さんは
その言葉を何度か
押し付けようとした。

私はそれを遮り、

「私たちの方が世話になりっぱなしで
感謝しているんですよ!」

と、看護師さんの方に
向かって言った。

本当のことだ。

妹も、甥も、姪も、
手放しで同意することだろう。

私たちが病院に母を見舞うことを
母に感謝などしてもらわなくていい!

もちろんしてもらってもいい!


「おじいちゃん、おかゆが出来たよ」

「いつもすまないねえ」

(シャボン玉ホリデーより)


的な、マゾ的予定調和の中に押し込めなくていい。

(このお笑いを否定しているわけではないです)


ただ娘や孫たちのする
当然のこととして

悠々と受け取って欲しい。

実際彼女は呑気にそれを
受け取っていて

悪そうにする様子もなければ
必要以上の感謝もない。

なくていい!


その看護師さんの

「感謝しなくちゃね〜」

の中には、

あなたはやってもらっているのだから、

的な、

無力な老人を諭すようような
老人を子供扱いするときに
使うような言葉の色合いがあった。


「私の母を老人扱いしないで欲しい」

今度は私が母を所有物のように
感じては、

守りたい気持ちになった。

老人扱いの中にあるのは、
人格の無視である。

一人の人間の命の
尊厳の不尊重だ。


それは79歳になる母が
実際年老いていて
老人と呼ばれる仲間に
属している、

ということを
否認しようとしているわけではない。


一人一人の人間に
個性があるということへの
意識のなさが違和感となるのだ。


これは子供に対しても
しばしば起きる。

十把一絡げに
人をカテゴライズしての対応。

一人一人違うのに!


一方母は一向に気にする様子もなく
楽しげにしていたが(笑)

私は母にこう伝えずには
居られなかった。


「誰にも老人扱いなどさせないで。
断固として、抵抗して」


と。

(続く)


髪はね、邪魔らしくて二つ結びに!
いつもと違ってて面白いです。笑。

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