見出し画像

相手には“対”ではなく、“添”で接する

 日本人は「世間」と「社会」2つの全く違った世界を生きている。

 三連休の初日に読んだ、鴻上尚史氏の著書

『コミュニケイションのレッスン』

で心に残った言葉です。

鴻上氏が言うには、

「世間」とは、あなたと利害・人間関係があるか、将来、利害・人間関係が生まれる可能性が高い人達のこと。
つまりはあなたが所属しているグループや集団のこと。
「社会」とは、今現在あなたと何の関係もなく、将来も関係が生まれる可能性が低い人達のこと。

世間と社会は本音(世間)と建前(社会)

だから、会議(社会)で本音を言うことが
日本人は苦手。

確かになぁ。。。

本音は会議後の同僚等の小さなグループ(世間)で
つぶやかれることが多い。

建設的な本音を言い合える会議が理想的。

欧米では、「世間」は存在せず、
全てが「社会」。

「世間」は同じ価値観の人達が集まり、
メンバーの幸福を考える集団なので。

どんなに嫌な提案でも、
「世間」がよくなる為の提案なら、
Noと言えない。
「社会」は自分にとってプラスとなる時も
あればマイナスになる時もある。
自分にとって、マイナスとなる時は
Noと言う。

欧米人にとって、
「社会」は
これからも生活していく世界だから
微笑みながら断る。
今回はダメだったけれど、
次回がもしあったら、
お互い上手くやりましょう、
と。

本書を読み進めながら、
身近な身内は「世間」寄りでいたいけれど、、、

仕事関係や、
場合によっては身内も「社会」の在り方でありたいな、とも感じて。

「世間」の親密な関係もありながら。

「世間」の場でも対立した時や、
説得したい時は
「社会」の立場で「社会」で通用する言葉を使う。

支え合いながらも、
お互いが自立した一人の人間として、
人間関係を構築していこうという気概。

とことんコミュニケイションするのは、
1つになる為ではなく。

あなたと私がどう違うかを
具体的に、徹底的に発見する為。

お互いの違いが分かるからこそ、
お互いがどこまで歩み寄れるかが分かる。

あなたと私がどう違い、けれどどう歩み寄れるかを知るためにコミュニケイションのスキルを獲得する。

あなたはあなた。
わたしはわたし。

論破だとかではなく。

建設的なコミュニケイション。

人は人と交わらなければ生きることはできないから。

問題は、それを「迷惑」と感じるか、
「お互いさま」と感じるかだけ。

「世間」と「社会」のいいとこ取り‥
中庸なバランスが大切と感じた読後📚

そもそも「世間」の定義である同じ価値観なんて、
これからの時代ではより難しいだろうし。

だからといって、
「社会」の在り方のように、
プラスマイナスで気持ちよく断るのも、
日本では難しいことが多い。

相手には“対”ではなく“添”で接するのが
お互いに心地よいな。

家庭でも、学校現場でも。

何か決めようとした時に。
私の意見がいい・悪いという視点ではなくて。

私達が目指す“北極星”へ向かうには、
こちらの意見がいいよね、
これらを組み合わせればベストだね、
と、客観的な議論・判断をする。

いいものを作るのが第一。
自分の意見が採用されるかは関係ない。

家族や職場、指導する子どもたちとも。

いろいろ気持ちよく思案できた良書でした😌

この記事が参加している募集

スキしてみて

読書感想文

自分の考えをアウトプットして、誰かに見ていただけるって、幸せです! 拙いながらも、今の自分にできる記事を書き続けられるよう、精進します!!!