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100m日本代表から主夫へ

発見して頂きまして、ありがとうございます。
はじめましての方がほとんどだと思います。
これを機にお読み頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。

自己紹介

1980年生まれ(40歳)
生まれも育ちも千葉県です。
かんのコーチと呼ばれています。(菅野優太)
中学から28歳まで陸上競技をやっていました。
現在、アキレス腱断裂中につき主夫をしています

現役時代

高校3年生で国体100m3位。大学入学後は1年生からインカレ入賞。4年生で100m2位。卒業後、役場の臨時職員時に100m日本ランキング2位(10秒22)その後役場を退職。就活150社落選後、(株)サイボウズに陸上部設立。2007年、為末大さんがテレビ番組で獲得した1000万円を元に開催した東京ストリート陸上に出場。朝原さんと50m対決。
翌年、北京オリンピック代表選考会(日本選手権)100m6位代表落選。その秋、大分国体400mリレー(2走)優勝。その後、引退。
最高成績は日本で2番、アジアで6番です。

引退後の活動

ー教員時代ー

引退後は教員の道へ。県立千葉西高校の講師を1年務めました。陸上部では女子400mハードルで関東大会出場。仕事の厳しさと理不尽さを学びました。自習当番を担当。「なんでおれが1回多いんだ」と化学教師にブチギレられる。部活に熱心過ぎて教頭に怒られる。生徒から教師への暴力問題を校長が涙ながらに揉み消す。こんな現場を見てきました。

ーお手伝い時代ー

NPO 法人ニッポンランナーズ のお手伝い。小学生向けのかけっこ教室を担当する。当時、一緒にコーチをしていたAくんはその後、逮捕された。

ーアルバイト時代ー

かけっこ教室の体験会を実施。2箇所で約200名に参加してもらう。その後、有料の教室を開講する。入会は1名。
高校の非常勤講師と霊園のアルバイトを兼ねながら、更に1校開講。その後、東京都内にある北青山ランニング クラブのコーチ就任。同時期に引退直前の為末大さん(400mハードル)に声をかけてもらい、様々なプロジェクトに参加する。

ー為末大学時代ー

今ある土台の全ては為末さんから学んだ。その中でも、慶應義塾大学蹴球部(ラグビー部)のスプリントコーチを任せてもらい、速く走らせる為にはどうすべきか真剣に考えた。2年間で50mの平均タイムを0.2秒短縮するプロジェクトだったが0.18秒と目標に少し届かなかった。ただ、ラグビーという別のスポーツにおいて様々な事を学び発見する事ができた。

ー教室集中時代ー

為末さんから離れ、教室の拡大期に入った。当初1名から始まった教室は現在、8クラスまで拡大する事が出来た。全て保護者の方から要望を受けて誕生した。営業活動を一切行わずに広まっていった事は、本当に感謝しかない。

ー陸上界復帰ー

慶應義塾大学のコーチが終わり、1年が経とうとしていた頃、ハンマー投げの土井さんから連絡を貰った。当時から土井さんは流通経済大学の投擲コーチをしており、短距離コーチの打診を頂いた。当時は流通経済大学という大学を知らない事。金銭的にボランティアに近い事もあり少し悩んだが、自分が必要とされている事が嬉しく引き受ける事にした。自分の知っている短距離とはかけ離れた世界で当初驚いたが、5年が経ち関東インカレ100m(2部)で優勝する選手が現れるまでになった。

ーこれからー

数日前、アキレス腱を断裂した。いつまでも同じ指導(見せる指導)は出来ないのだと痛感している。ただ、こうなる事は何となく予想していた。いつかは見せれなくなる。そんな事を思っていた。そして、その時はいきなりやってきた。今は不安しかない。でも、いつか笑って話せる日が来ると信じている。今までもそんな事ばかりだったから。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。


アキレス腱断裂陸上についても書いています。



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菅野優太

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