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【科学者#045】有能な若い科学者の論文を紛失したフランスのガウスと呼ばれた科学者【オーギュスタン=ルイ・コーシー】

近代数学のほとんどの分野に影響を与えた19世紀最大の数学者と言えば、カール・フリードリヒ・ガウスという科学者がいます。

そんなガウスはドイツ出身なのですが、同じ時代に活躍し、解析学の分野に多大な貢献をしたフランスの科学者がいます。

今回は、有能な若い科学者の論文を紛失したフランスのガウスと呼ばれた科学者オーギュスタン=ルイ・コーシーを紹介します。



オーギュスタン=ルイ・コーシー

コーシー

名前:オーギュスタン=ルイ・コーシー(Augustin Louis Cauchy)
出身:フランス
職業:数学者
生誕:1789年8月21日
没年:1857年5月23日(67歳)



業績について

コーシーは解析学という研究分野において多大な影響を与えたのですが、実は19世紀前半の複素解析の研究は、ほぼコーシーが行ったと言われています。

ちなみに複素解析とは、複素数上に定義された関数に関わる微分法、積分法などの総称になります。

コーシーは、複素平面における積分の理損などの基本的な概念の多くを生み出し、

コーシー列
コーシーの平均値の定理
コーシーの積分定理
コーシー・リーマンの方程式 など、

コーシーの名前が付いたものも多数あります。


さらにコーシーは、第19回目で紹介したレオンハルト・オイラーのオイラーの定理にはじめて証明を与えました。


生涯について

1789年7月14日、バスティーユが襲撃され、フランス革命が進行しました。

そのため、コーシーが4歳のとき、パリに住みにくくなり一家でアルクイユに引っ越します。

その後一家はパリへ戻り、父親はコーシーの教育に積極的に取り組みます。

そんなコーシー家には、有名な数学者たちが訪問してきます。

それが、第39回で紹介したピエール=シモン・ラプラスと、第29回で紹介したジョゼフ=ルイ・ラグランジュになります。

ラプラスは、幼いコーシーの非凡な才能に気づき、ラグランジュは、コーシーを「未来の大数学者」と呼んでいて、コーシーの数学教育に関心を持っていました。

そしてラグランジュは、コーシーの父親に息子が本格的な研究を始める前に言語の基礎を身に付けるようにとアドバイスをします。

1802年には、学校に入学し2年間古典を勉強し、1804年には数学のクラスに参加します。

1807年には工学学校に入学するんですが、1810年にはナポレオンのイギリス進行艦隊の施設で働きます。

フランスのシェルブールに港を作る仕事に就き、この時期に数学的研究も行います。

1812年9月には重度のうつ病になりパリに戻ります。

病気が治った後は、ウルク運河プロジェクトの技術者として働きます。

しかし、政治的な出来事より作業が妨げられたりしたため、2年間くらい完全に研究に専念することができます。

1815年には助教授に任命され、1816年にはフランス科学アカデミーの大賞を受賞します。

1817年には、コレージュ・ド・フランスのポストに就きます。

ちなみに、コーシーは他の科学者とは良好な関係を築くことができませんでした。

さらに、コーシーは熱心なカトリックだったため、科学アカデミーに反対していたイエズス会の擁護していました。

1830年9月には、フランス7月革命(1830年7月27日から29日)後にスイスで短期間過ごします。

1831年にはピエモンテ王国から、トリノ大学の理論物理学の席を提供され、1832年からトリノ大学で教えることになります。

1833年シャルル10世の孫の家庭教師をするためプラハに行くのですが、王子はほとんど科目に関心を示さなかったので、コーシーはイライラして叫び声を上げていたと言われています。

1838年にはパリに戻り、パリ科学アカデミーの地位を取り戻したのですが、忠誠の誓いを拒否したため教授職には戻ることができませんでした。

1843年には、コレージュ・ド・フランスの数学科の教授の候補者となったのですが、イエズス会から支援などを受けていたことなど政治的、宗教的理由により選ばれませんでした。

そして、1848年には大学の地位を取り戻します。


コーシーという科学者

第44回目で紹介したエヴァリスト・ガロアは、自分の論文をはじめコーシーに提出するのですが、コーシーはその論文を紛失してしまいます。

しかし、コーシーが紛失した論文はガロアだけではなく、ニールス・アーベル(1802~1829)の論文も紛失してしまいます。

アーベル

コーシーは、アーベルの論文の審査を引き受けておきながら、その論文を放置し最終的に紛失します。

コーシーは数学者としては有能だったのですが、他の数学者の才能を見抜く能力はなかったと言われています。

実は、コーシーは困窮した生活のため病身になり、生涯健康面に配慮して暮らしていました。

そんな体調面が不安な中で、コーシーは数学の才能を開花させ、数々の業績を残しました。

今回は、有能な若い科学者の論文を紛失したフランスのガウスと呼ばれた科学者オーギュスタン=ルイ・コーシーを紹介しました。

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